午前中からの会議、出てきました。3ヶ月ごとの長岡。来年は他の仲間と交代になる。そろそろ下地ができて、信頼関係もぼちぼちで、ちょっとくらいこちらも無理言ったりできるなぁ…ってとこで輪番制。うまくできてるね。イベント開催の準備以来、だいたい3年強の行き来でした。これからは一人のメンバーとしてセミナーとかで立ち寄りたいです。
仲間と昼食。チャーシューがよく煮込まれて溶けそうでうまかった。混んでたけどよかったです。駅から近いし。
長岡グループの会場。和室なのがちょっとおしりに厳しい(笑)。でも原点に戻れる。これまで自分が都内でしてきた話を、ほとんど知らない仲間ばかりというのが、不思議と心地よく、より正直になれる気がする。こっちでも別に、正直は正直にやってるんだけどね。微妙な裸加減。また機会あったら行きます。
「あさひ」がなくなったんだね。帰りに乗ったのが、偶然初期型の緑帯・丸目の車両だった。上越新幹線開通20周年らしい。田中元首相ってすごい政治力だなぁ。
朝、日の出前に出かけ、夜、日没後に帰ってきた。昼間の東中野を知らず、な一日だった。朝発見した道端のゲロが、夜もそのまま放置されている。誰のものかは一切わからんが。
サービス活動で一日つぶすと、ふだんより体はしんどいはずなのに、夜には充実感。これだからやめられなくなるんだね。でも、人に説明しようとしたときに初めて、自分が何も知らないことに気づく、何たる逆説。自分のイメージしてるとおりのことばをただ並べても、伝わるときと伝わらないときがあるようです。でもきょうは背丈どおりの話ができたと思います。やった部分しか、話ってできないね。当然か。
連絡協議会なのだけど、役員会が月一回ある。きょうは年末ということもあり、講師を招いて学習会も。こうして活動を続けていて、ほんとに自分のためになってるのか…と思うことがよくある。何もやらない人と平等に賃金などが支払われているのも何だかなぁ。いろいろわかってくるのは確かに進捗感はあるけどね。
中小企業で小数組合立ち上げて、外部と横断的に連帯してやっていくには、苦労も多いし、そもそも大企業の御用組合とは根本的に生き残りの理屈が違う。「民主的に」なんていうのも、幻想と裏表の甘い汁だな、と思う。
いろいろ忙しくて溜りに溜っていたことが、ほぼこの三日くらいで次々にカタがついた。不思議と「完了」が続いている。12月になったせいもあるのかなぁ。最後まで先延ばしになっているのは、部屋の掃除と不要品の処分だったりする。なんとかしたいなぁ。
仲間に土曜日本をもらって、一篇だけ、読んだ。そういやほんっとに読書をしなくなった。過去、あれだけ本に囲まれ、図書館に通い、神保町に往復していた自分なんだけどねぇ。最近読んだのと言えば、10年ぶりくらいで二度読みしたサリンジャーの「フラニーとゾーイー」。その前は、うーん…。12の概念とか(笑)。
忍耐力を養っていきたい。毎日が忍耐だと最近思う。無意味に金を使わない忍耐とか、間食をしない忍耐とか。就業時間も忍耐だし、会議も忍耐、人の話をただ黙って聞くのも。
いやなことも嫌なりに受け入れ、効果がないようなことも続けてみるという途方もない退屈。退屈でもそれに耐える力。やる気になれないときの、やる気とか。思い通りにならないのは、必ず感謝に通じる。
非常に社会的で活動的な一日ではあったが、霊的な貯金はやはり一日24時間で枯渇するね。耐える力はついてきたように思うが、軌道修正は独りでは決してできない。その証拠に文章が次から次に書ける。妄想と説明が亢進する。そろそろ疲れてきたなぁ。こういうときは早く寝るに限る。いろんなもの(形状のない物も含む)が欲しくなるし、これで十分だという感覚から程遠くなる。そして注入されるのが、酔えるさまざまな魔法のパワーだったのだ。いまは注入も投入もできないけど。
ああ、これでいいのだ、過不足ありませんって感じ。もらいました。いろいろ。無形のもの。
話す順番がもはや来ないか、とか、手を上げるタイムもないか、とか、ちょっと困る瞬間もたしかにあったけど、ハイヤーパワーはすべて仕組んでいるのでした。
「ひきこもりたい」という自身のありのままの感情を受け入れないがために具合の悪かった数日でした。共感がスタートみたい。
きょうは半日有給休暇を使って、一日行動の一部に参加した。朝から裁判所。からだに悪いなぁ。不当解雇撤回を求めて起こされた提訴。傍聴を終えて、即、霞ヶ関デモに参加。冬の雨で寒い上、傘もほとんど役に立たず、ずぶ濡れでした。
他の人々はそのまま埼玉県庁へ申し入れに出かけたが、自分は仕事に復帰。午後は賃金カットの組合外出扱いとしました。
夜も続きで代々木でデモ・集会が行われたのだけど、こちらは断わって高円寺へ。歩き回って、ちょっと腰が痛いです。腐ったような色になった白靴下は処分。
高円寺ではグループの会議。来年上半期の役割決定だったのだけど、つぎつぎに奇跡のように決まっていく。ここ数年、うちのグループでは「やる人がいない」という状況は皆無。再任もほとんどない。3,4年経ってからのいわば「循環任」はあるけどね。
先日ここに「不平等」という主旨のことを書いたが、訂正したい気分である。すなわち、神のもとには平等かもしれん…、というのが最近の結論。やった人は享受し、やらぬ人は掴めない、ということ。なにも組合や役割の話だけではない。全分野にあまねく働いている原理かもしれない。
狭い切口だけで見るとたしかに不平等が露呈するけど、総合して考えると、神様は均等に配分してくださっているのかもしれないと感じる。
これもちょっとした自分の中での今のテーマ。依存と罪悪感は一枚のコインの裏表かなぁ。罪悪を感じながらそれをやってしまうというのは、病気の症状としか言いようがない。わかってて、やる。健康な精神の人から見ると「狂気の沙汰」と見えるようですね(笑)。
でも自分はこれが好きだったのかもしれない、そして今も好きかも。でも消したいかも。消したいエネルギーがマイナスの強力な力を生み、結果的にそれがパワーとなり昇華される。わけわかりませんかね(笑)。現時点で自分の棚卸しすると、こうなります。
恐れもそれ自体は悪いことではない…という理屈にほっとする。使い方次第だし、エネルギーの源。でもせめてプラスのエネルギーに突き動かされたいなぁ。そのほうが少なくとも自由な感じかも。
「愛」なんてへどが出そうな言葉だったんだけどなぁ。あと「仲間」とか「協力」とかもね。それくらい自分は自己中心で、健全な感情は持っていなかったみたい。「みたい」というのは自発的に気づいたんではなく、仲間の話をいろいろ聞くに及んで、ひょっとしたら自分もかも、と気づいたから。
いまはでも、この愛と共感なくしては、なんの幸せ感もない。信頼の中で生きていたい。あと、言ってることとやってることを、できる限り合致させたい。口ではいやんと言ってもからだはひーひー言ってる、みたいな。下品なたとえですんません。
密度の濃い一週間でした。金曜日はこういうふうに、いつも感謝できるといいんだけどね。忙しいけどあまり心は亡びてない気がする。したくないことはやってないからかも。
グループでは、仲間の一周年のお祝いでした。真っ先に心に浮かんだのは、自分の一周年のときのあの奇跡的な変化と、とにかく受け入れてくれていた仲間、仲間、仲間。終わりであり、始まりであったと言えます。
最初に着実に身の回りにクサビを打って、プログラムの基礎を作るのは大切なことだと今も思えます。今もやはりおろそかにはできませんね。
高円寺の喫茶店「poem」で毎度のお茶。今日のサブテーマは「わたしがアバラを傷めたとき」だったかも。当時はケガや病気は「勲章」のごとく思ってました。狂っていたんだね。
月島へ。きょうで最終だ。来年は他の仲間と担当が変わる。ご挨拶だけして終了。
新宿に移動していつもの仲間と食事。こんなとこに横綱屋があったとは。
帰宅。部屋の中ってあたたかい。このまま今夜は眠れそう。おやすみなさい。
ついに冬本番となったみたい。小雨。午前は高円寺へ。
といっても、自分の部屋はいつまでもあと回しで、教会の大掃除。できる範囲でやっていく。あっという間。昼過ぎで終わり。別に「貢献」を競うわけではない…とか頭の中で考えてる。春先の掃除のときは地域委員会の日とバッティングしてて来れなかったなぁ、とか。
帰りに東中野駅前のスーパー「ライフ」に寄って買物。大根半切り\45〜\70。価格が落ち着いた。ライフの帰りはいつも明大中野の前のJR跨線橋を渡って帰る。中野の丸井のビルかはるか彼方に見える。ここに住んでそろそろ二年半。
営団地下鉄がミニモニのパスネットカードを発売してると聞き、朝中野坂上の定期券売場のおねーさんに聞いてみたら、「売り切れました」とのこと。ううむ、人気があるのか。ミニモニもモー娘も、詳しいことはよくわからんが、地下鉄の駅貼にある映画のポスター見て、「かわいいな」と思っただけ。こいつらまだ10代なんだなぁ。どうも気になる。ライフの本屋で「小学×年生」とかが並んでる本陳列棚に「ミニモニ。カフェへおいでよ!」という魅力的なメイキング写真集が置かれているのを発見。買うか…。ちょっと恥ずかしい。レジを見る。ここもおねーさんだ。ううむ。書店を一めぐりする。また陳列棚の前にいる自分。あうぅ。えい、買っちゃえ。買っちゃいました。
っていうんだね。アイドルってハマりやすいんで気をつけねば(笑)。いまだに南野陽子には関心が行くしなぁ。
それにしても20歳近くの年齢差だと、これは犯罪的なのでは?とか思っちゃいますね。ののたんかぁ。
● junk [加護ちゃんのパパは34歳(汗]
この寒さの、坂道をころげ落ちるような急転直下な勢いはなんなのでしょう。初のコート着用の出勤となりました。しかも東京は積雪。いつもなら数分余裕で着くところを、足元がたどたどしかったせいか、定時ぴったりのタイムカードになってしまいました(8:45と打刻)。
こんなときに限って当該の労働委員会だったりするし。ずぶずぶの靴下。賢明にも替えの靴下まで持参していたというのに、忙しくて履き替える暇もなく、結局白の乾いた靴下持ち帰り(笑)。ビニール袋すら持参してたのにね。
役員らと組合のことを打ち合わせして、丸の内線で直帰。駅から地上に出たらまた雪が降ってて寒。あぅあぅな感じ。今日はもう二度出は不可能。炊飯機のスイッチを入れる。
さて、今度時間があったらじっくりやろうとつねづね考えていたことは何だろうか。建設的な考えが浮かぶ。そうだ、掃除! 掃除しなくちゃ。他人のうちなんて掃除してる場合じゃない。自分ちの掃除。エアコンの前に棚とか衣類とかが迫ってるし、ゴミが多いんだよなぁ。油断するとゴミの山になるのがとても嫌。で、掃除。年末だしね。
全部やろう、なんて殊勝な考えで始めると、ココロザシ半ばで苦痛の海となる。足腰立たなくなるまでやっちゃうからねぇ。サルかい。猿に失礼かも。週が始まったばかりだし、あんまり飛ばさないほうが…。ということで、三段ボックス(本棚と言っている)とその上にある物だけ、とりあえずすべて出して、捨てる物と再びしまうものに選別。きょうはこれだけ。でもかなりの物がある。
結局20Lのポリ袋二つを動員して、それぞれ可燃・不燃として、どちらもいっぱいになったらやめる。そして…。
CD・ソフトの箱・古いチラシ・関心のなくなったアニメ関係など、あっという間に選別できた。いま雪道の中、ゴミ集積所に置いてきたとこです。ふー。21:00。あとは捨てないものを三段ボックスに収納して終わり。すっきりしたせいか、妙にエアコンが効きまくる。これだけでも進捗ですな。
結局きょうの不要品処分と大掃除は、ミニじゅうたん爆撃程度となった。それにしても処分って気持ちいい。すっきりする上に、なんかひょっとしたらエンドルフィン(脳内快楽物質)でも分泌されてんじゃないか…と思うくらいだ。掃除されると水路が開けて、対象(神とかモノ)と自分が直通になった感じがする。step4,5の秘蹟とそっくりだ。つねに棚卸と資産と負債のチェックが必要だというのも腑に落ちる。
時間厳守で22:00には手を止めた。邪魔なモノが部屋にいくつか残ったが、明日以降また手をつけよう。
年末一時金支払い日。このご時世だし、欲しいものもないので、ほとんど貯金にまわる。考えてみたら今年から奨学金の返還がもうないので(昨年で全額終わった)、その分は楽になった。あと、年末調整とかわずかだけどある。
ややこしいトラブルは起こしたくないなぁ。そのためにはステップとタイミングと誠実さだろうなぁ。TPOをわきまえることの重要さは承認出版物にもあったし。
仲間が買ったらしい。やわらかそう。住環境の改善も再来年あたりかなぁ。今はとにかく物を減らしたいです。
喫茶店。相性のよい仲間とだと、あまり長い感じもしない。でも帰り道は寒かったです(笑)。
あまり精神状態のよい日ではなかった。会場へ行く前の新中野の喫茶店で一服してるとき、胃がすこし締め上がっている感覚。ま、しかし、忍耐、忍耐。
会場へ行き、仲間と会う。まだダメダメ状態だったけど、いろいろ話して、終わって帰ってくるときには、やはり奇跡の訪れ。ちゃんと元に戻ってるんす。この経験の積み重ねしかほかに方法はないなと今日も実感。細かいところではいろいろあったものの、これでよし。
恒例築地のすきやき会。飲まないで生きる忘年会みたいなものだ。100人はいたと思う。
今年はご飯を半分食べてみた。いつも自分はすきやきのみだったからである。腹いっぱいになっちゃうんだもん。きょうはほどほどは食べられた。ふだんの食生活に比べたら質も量も大幅アップなんだけどね。
今朝からなんとなく喉が痛い。エアコンの効きすぎかと思っていたけど、節々も痛いので、もしや風邪? 休みは取れなくはないけど、回線切り替えが迫ってるしなぁ。臨機応変にいこう。
ここ一・二週急に気温が下がってきたし、体力的にも脆弱な自分が風邪を引いてもさほど不思議はない。憐憫かまして炭鉱のカナリアとまではいわんが、分相応に用心しよう。微熱がある(37.2度)ことがいまわかった。
というわけであまり遅くまで起きてないようにしよう。目標就寝22:30。おやすみなさい。
● ami16 [ああ、再開気付かなかった・・・、楽しみが増えました。]
たまたま休日にかかったので仕事にはあまり穴が開いてないが、明日の地域委員会はカットせざるを得ないようだ。ハシカのとき以来だね。
汗とともにぐっと発熱が引いてくれたらいいんだけど、なかなかしぶといようです。風呂に入れんのが気持ち悪い。くさいよう。
● ポチ [寝てるとき電話してごめん。無理しないように]
わー、もう日付変わってるじゃん。病み上がりでいきなり終電まで残業。Bフレッツのルーター設定がうまく行かず。なんか春のDSLのときもそうだったなぁ。
でも神様の助けか、異様に暖かい夜道だった。初夏の夜のようだったよ。ちょっと雨に濡れてしまった。
きのうに引続き、きょうもルーター設定で一日を過ごした。でも結果が出せたのでよしとしよう。
要約すると格安ブロードバンドルーターのカスタマイズ幅の狭さに尽きる。ほとんどが自動設定で、このIPはこのポートとしてNATして出したい、とか、この経路はこう指定したいとか、そういった幅があまりないのである。結果的に偶然の設定手順により解決したのだが、安物買いは結局労働時間をいたずらに費やして、わたし自身の人件費もトータルで考えたら、高い買物になったかもしれぬ。
風邪も小康状態、Bフレッツ導入の設定作業も無事終わり、神楽坂に行けた。木曜の築地以来だ。
日々の棚卸しダイジェスト、そして仲間とお茶してほとんど言語化できたと思う。体調をおもんばかってくれて、短時間で切り上げ。風邪引いてる人がもうひとり。
寒い夜に戻っているので、きょうも中野からバスに乗ってしまった。これくらいは自分に許して上げよう。
職場のネットワークが正常に稼働している。安心感。追われていないという感じ。
でも、ここまで自分が骨折って、一体なんになるのか…という疑問が湧いてくる。それこそ自分がいなくなったらどうなるのかという話。きっとWebもサーバーも外注して、プロバイダのレンタルサーバーで独自ドメインとかになるんだろうね。そしてわたしの苦労など誰もまったく感じることすらなく…ってどうも自己憐憫モードから抜け切ってないなぁ。
きょうもすこし時間外になった。ほかのことだったんだけどね。この自分が病み上がりにしかも三日も続けて残業だなんて、明日はまた雪でも降るんじゃなかろうか。
忘れてはならないことは、自分は病的な人間だということ。働くのはたしかにそれ自体決して悪いことではないけど、労働は麻薬でもあり、そして自分は「がんばらない」を実現し続けないとソーバーな(しらふの・正気の)精神状態は維持できないということなのであった。一般の人にはたまの怒りや、コンプレックスをバネに頑張るのも、それはそれでエネルギーの源だが、自分の場合は毒に変わるということなのだ。
…に行けた。それはそれで問題の種もあったけど、これではじめてよしという気がする。高円寺から東中野まであっという間。次はまた来週の水曜だ。
● ami16 [僕が異常ともいえそうな残業に耐えられているのは、あるいは仕事が現実逃避になっているせいなのだろうか?仕事をしている間..]
前後がこんなに激しい労働だったのに…とか関係なく、日々の仕事はやってくる。定例の授業、講師料の締め日、モデムの回収、今日も忙しかった。おまけに昼休みは他校で組合の情宣。団結ガンバローをぶっつけアドリブでやることに。風邪で声が枯れていたので、ちょっとハスキーでよかったかも。
明日から二泊で小倉に帰省。バースデー割引を使うのだ。各航空会社片道一回分しか使えないので、行きはJAL・帰りはJASです。日曜の夜に東京へ戻って参ります。
明日は午前中は仕事に出るの。なんでこんなによく働くようになったかなぁ>自分。社会的責任は軽視(「仕事は二の次」とも)と言い続けてはいるけど、実際は言い聞かせているだけなのだろうか。仲間の中では言葉のままだけど、職場ではよく「いや、森田さんは働いてるでしょ」と言われることもある。お世辞半分かも知れんが。ま、自分のことは自分ではよくわからないということに尽きるね。
仲間と餃子の話をしたら、餃子が食べたくなった。落合のそばのローソンで餃子購入。うまー。明日の朝のためのごはんまで食べてしまった。また炊くか…。
自宅に帰るといつも一瞬で親からマジックをかけられてしまうのだ。ただの食い潰しの人となってしまう。動けないし、喋らないし、笑わないのである。まーしょうがないか、育った環境だし。行くたびに、自分の病気は偶然発生したのではない…と確信を持つのだ。でもまあ、親孝行と思って行ってきます。
しんどい小倉行きであった。家族の病気はまっ盛りであったし、自分もこの中で育ってきたのだと思った。
具体的な話もいろいろとあったが、わたしとしては聞いておくだけにとどめた。ほかに何もできないからである。
最近の自分のテーマでもあるが「忍耐」の一言だなぁ。人生はみんなそうなのか。
九州で本場のラーメンを食う暇がなかった。そこできょうは新宿にわざわざ出て、桂花に入る。うーん、何年ぶりだろう。それでもやっぱり東京風にアレンジされてるような感じは否めない。九州の本当のとんこつの臭さはあの「犬の下半身」のようなにおい。関東ではまだお目にかかったことがない。
食べ終わってふらふらしていたら仲間から電話。そこで遊んでもらうことに決定。新宿に呼び出してしまう。タカノフルーツパーラーでケーキ。ハルクのピーカンに寄る。そしてみたけ行きの切符購入。最後は自宅に呼ぶ。相手が女だったらここで目的達成!!ってとこでしょうか。男だからそうはならないね。
上板橋へバスで北上。異様にしっこが近い。交番で小便させてもらう。初体験。鍵が閉まらない構造のトイレだった。意味がきっとあるのだろう。
会場入り。久しぶりのミーティングでした。帰りは池袋でうどん。うどん流行ってるらしいね。うまー。きょうは食ってばっかりだったかも。明日からまた仕事。
といっても仕事はあるの。表題は夜の話。いつも行ってる神楽坂の教会が、さすがにイブは使えないみたい。そして吉祥寺も年末年始の休み期間に入っている。お昼、仲間から「今夜はどこ行くの?」というメールももらったんだけど、気温もかなり下がってるし、連休明けの労働はすこししんどかった。休みだ。大根もしらすもない。ハムも米も秒読みに入っているので、スーパーでたっぷり買物。米5kgはやっぱし重い。ひーひー言いながら家に向かう。
惣菜コーナーは鳥だらけであった。クリスマスって一体どのくらいの鶏が食われてるのだろうか。自分もついついリトルマーメイドでフライドチキンを買ってしまった。もともと鳥カラ好きなんだけど、こうしてみんなで鳥を食べる日ってなんか変。
これこそが幸せの原点であると見た。平凡には忍耐もいる。変化しないことへの忍耐・刺激のないことへの忍耐。退屈という意味でもあるけど、待つのは努力でもあるみたい。
問題が起きないというのは、なんと幸せなことであろうか。健康なこと・帰る家があること・働く場所のあること・そしてささやかな自分の役割があること。そうなってくると、もう「適正に評価されたい」だなんてことは、どうでもよくなってくるね。
みんな仲間が教えてくれたのだ。「大事なことはみんな猫に教わった」というのが昔あったけど、猫も平凡な生活に忍耐してるよね。ときどきサカってうるさいときもあるけど。
そして明日はクリスマスなんだが、今年最後の賃金支払い日でもある。年末調整でちょこっとだけふだんより身入りが多いかな。
今年の暮れはおそろしいほど用事が入ってないぞ。多忙の極みを先週までですべて済ませた感じもある。もう委員会もないしイベントもない。年越しを青梅の山奥で仲間と過ごすのみ。もぎとった「暇」という感じ。そして明日の朝も鳥肉を食べるのだった。笹身の梅しそ。
● ami16 [僕も鶏の足食べました、本当は七面鳥なんでしょうけど。トリを食べる理由を前に聞いた事がありますが忘れちゃいました。]
あ、と気がついたら年内の不燃ゴミの回収がもう終わっちゃってる。不覚であった。可燃と資源はまだ出せる。カレンダーの都合上、次の不燃ゴミの日は1/7(火)だ。駅やコンビニまで捨てに行くのも、なんか公衆道徳の逆なでみたいで、いやーんな感じ。素直にゴミとともに年を越すか。
きょうはなんか気分的に忙しくて詰まっている感じであった。夜仲間の中で話をしてみてやはり確信するのは、自分の身を守ろうとする本能が強いかなということ。本能それ自体は何も悪くない。問題は人と人との本能のぶつかり合いなのだ。それに尽きる。
明日はでも14:45で定時。土曜出勤勤務時間なのだ。仕事納めはいつもそう。ここのところ年末年始にあまり有給休暇を取らなくなった。学生もいないしガチャガチャしてないので、日中職場が過ごしやすいのである。
先週は金曜寝込んでいたこともあり、一週間ぶりのグループミーティングだった。伝統。他のグループで話した伝統は、テーマに沿っていたが批判的で、あまり自分の話が出て来ず、解説+具合の悪さという、あまり状態のよくないミーティングだった。でもこれが不思議と自分のグループだと、話はあまり沿ってないものの、自分の話の要素が圧倒的に多くなり、解説は少なく、終わったあともいつもの感じで帰れるのである。伝統はグループの杖と呼ばれるが、効果も自グループだとやはりよいみたい。他のグループでも同じようにやれればいいだけの話なんだけどね。気負いが余計なのかも。
…をインターネットで振込。きょうは年末年始のための現金も銀行で下ろす。混んでたねぇ、やはり。定期無しときっぷの都合上、夕方目白のUFJ銀行に。目白駅がきれいに完成していた。
些事を遺漏なく片付け、今年も仕事納め。自分がこれまで使ってきたフロッピードライブが実は3mode対応のハードウェアだったことをいまさらながら発見。ドライバを入れてみたらPC98シリーズの1.25MBフォーマットのディスクがちゃんと読めた。驚き。
総務関係者が二人とも休んでいる。年内に玄関前に据え付けるはずの門松が来ない。誰も連絡先がわからず。結局事務長が玄関に張り紙して帰った。「代金は寿司屋に預けておく」は珍しいね。
そして仕事が終わり。夜のミーティングまで三時間もある。この寒さの中、自宅に帰ってしまうと、出るのに強い意志がいる。そこで営団地下鉄の乗り継ぎをして遊ぶ。乗り継ぎ指定駅(新御茶ノ水・淡路町など)は改札を出てから30分以内に改札を入れば、運賃は上乗せされないのである。結局、大手町・新御茶ノ水・仲御徒町・三越前・九段下の五駅で乗り継ぎ。スタート高田馬場でラスト神楽坂だったが、最大キロ程の190円で済む。合法的な鉄道遊びである。冬は地下があったかいし、山手線一周より楽しいよ。
自分としては今年最後。step4。終わって喫茶店。サシだ。ミーティングがあると、人間になれるね。まったく、なんか、過不足無し。人生いつもこういう風にいけばいいんだけどなぁ。
きょうから当分冬休み。職場に行かなくてよいというのがちょっとうれしい。かなりうれしい。でも社会に参加してないという感じが早くも襲ってくるね。
さっそくシーツを洗濯した。恥ずかしいけど何ヵ月ぶりかわからない。外はよく晴れていて乾燥しているし、太陽に晒され寒風になびいている。夕方には乾きそう。
資源ゴミのラストが明日出せるので、段ボールを潰して縛ったりしよう。縛る紐も買ってきた。
目の前のあまりやりたくない物事が迫ってくると、掃除の意欲が湧く。今に始まったことではなく、学生のときに顕著であった。定期試験が迫ってくるとよく掃除をしていたのである。現実逃避とも言う。
この年末としてはきょうは二回目の大掃除である。段ボールはすべて処分。こないだ仲間が家に来たとき、玄関先で引っかかってしまっていた靴置きも処分。そもそも何年も履いてない靴を埃まみれになった上でなお保存しとく理由はないことに気づいたの。
玄関を塞いでいた無意味な綾波レイのかけじくも処分。いつかBOOK OFFに売り飛ばそうと積んでいたマンガ類もゴミに。BOOK OFFまで持っていく労力を賃金換算しても、売上はきっとそれに満たないと判断してのこと。モノを大切にするという呪縛というか道徳みたいな方向とは引き裂かれるんだけどね。
ああ、まだ一時半だ。もうすこしいろいろできるなぁ。自分がいま逃避したいものって一体なんなのだろう。
自グループの最後のミーティングであった。昼間あったかかったので油断して薄着で行ってしまったことを後悔。コートがいるなぁ。
一時間半、会場で過ごし、こし方・行く末のことなどを思う。思えば1995年の新年の幕開けあたりから、ぐいっと方向が変わったのだった。変えてくれたのは神様かもしれない。仲間の話を聞きながらそう感じている。
アフターを喫茶店で過ごす。来る予定の仲間が来ないので心配していたら、PHSを落として大騒ぎだったみたい。見つかったと連絡が入る。すこしほっとしていたらもう時間。仲間の車に乗せてもらう。薄着だったのでとても助かった。
昼間掃除したおかげで、家のドアを開けた瞬間、だいぶ印象が違う。引っ越してきたばかりのときを思い出す。壁が見えてる広さが違うとこころまで広くなれるような気がしてくる。
● junk [早!(笑)]
月に一度、仲間と個人的に基本テキストの読み合わせをしている。きょうは昼前に出かけ、予定通り歴史書みたいなやつをすこし。そして昼食をはさんで、基本テキストの二度目。
じっくり仲間とプログラムのことを話し合う…という初期の目的が達成される上に、今まであまり気がつかなかった点をフィードバックつきで話し合える。相手が不特定ではないので、あれこれ気を揉まずともすむ。
その上いつもお昼をご馳走になり、きょうは手土産までもらってしまった。うれしい。
なんといっても、いまは自分独りで生きる必要はない…という安心感。輪の中の一員という感じに感動する。考えていたより、ハードルは低かったのかも、なんて思う。
非常にまったりした休日だった。どんどん起きる時間が遅くなっていく。まずい。サービスの奇跡ももはやここまでか。
午前中、すこし片づけをした。掃除。掃除好きかも。とても他人様には見せられないような物が無造作に床に並んでいるので、これらを棚にしまう。すべてキャプチャしてDVD化すれば嵩が減るのになぁ…とか。何かわかっちゃうね。
先日も書いたが、不燃ゴミの出せる日が遠い。1/7だ。だからPC小物類の整理をする気に今一つなれない。ゴミ袋に入れて置いときゃいいだけの話なんだけど。
夜、仲間と約束。高田馬場で待ち合わせ。サービス、サービス。いろいろ話し合った。
ついでにといっては何だが、プログラムの話とかも少し。動いている人はやっぱり目の色が違うなぁと思う。自分もそうしていきたい。
帰ってきたらだいたいいつもと同じ時間。この暖かい部屋で過ごせるのがささやかな幸せ。睡眠時間元に戻したいなぁ。
今年一年はかなりいろいろと走り回ったと思う。新局面が多かった。役割もそうだったし、たくさんの新しい出会い。組合もヒートアップして、当該の集会とかも経験したしね。
後悔を綴るとすれば綴れるけれども、それよりも満足感のほうがまさっていた。得がたい人間関係も少しずつ築けているし、一時は平坦にさえ思えていたプログラムもBBの登場(以前からあるにはあったけど「自分の側」になかった、ということ)によりカーブを曲がりだしたような気がするし。
いつも気になっててなかなかできなかったのは、部屋の掃除と不要品処分。でもこれもここ数日、進捗しまくっている。ゴミ出し日が遠いにもかかわらず、今日も三袋。今日に至って、ほぼ自室のすべての物にチェックが入ったという感じ。手着かずの物もわずかにあるが、年は越せそうだ。
グループの最終プログラムで、池袋の某クリニックへ。なななんと、休み。連絡の行き違いのようだった。でもがっくりくるメンバーは一人もいず、みんなで冗談飛ばしながら、喫茶店でひととき。明日行くみたけの話で盛り上がったり。
というわけで、今年はこれでおしまいです。元旦にかけて青梅市の奥、みたけの山荘へ出かけてきます。仲間とみんなで泊まって年越しです。
● poti [出来ました。お礼ここでいいかな]