というか、感謝の集いである。16周年。
先行く仲間に司会に来てもらった。ミーティングは盛況だった。新しい人が多い。わざわざ出向いてやってきてくれた人もいる。感謝。きょうは地区のセミナー(分割前の最後のセミナーかも)が終わって、その流れで来てくれた人もいた。もちろんバースデーだと知らないで来た人も。
今回はいただいたメダルを自宅の机の上に数日置いて眺めている。ローマ数字でXVIと書いてある。時間が経ってきたなあと思う。与えられている仕事がたくさんある。面倒がらずにやっていこう。
今年七月に記録した797円をさらに下回り、今月は請求額791円である。28kWhは同じなので、東京電力の単価がちょっと変わったためだろう。もう別に節電などしているつもりはないんだが、どんどん下がって楽しい限り。15A→10Aにして一挙に下げたい誘惑と闘う今日この頃。
最近は大学同窓会のことをこのように呼ぶようである。昨年は中曽根康弘氏の講演会が行われたが、今年は小宮山宏氏のエネルギー談義、そしてシャープ、JR東海、三菱自動車、それぞれの社長によるパネルディスカッションが催された。十数年前には液晶普及は夢物語だったが、現実にブラウン管に取って代わったという話や、今また太陽光や原子力発電が注目されているということ、さらにそれが電気自動車のコスト減の現実性につながっていくという話、ふだんの生活とあまり関係ないトピックだが面白かった。
第二部はそれぞれの学部に分かれての催しだったが、最近少し興味のある農学部の講演イベントに参加。食品への科学研究としての味覚の話や、獣医学者による抗がん剤開発のプレゼンなどがあった。他学科卒業でも参加OKであった。農業や生命科学、環境について今まで考えたことがあっただろうか。医学にしてもまったく自分の職業とは関係ない分野だと思っていた。しかし何らかのコミットメントは可能だという気がした。
帰り道、地下鉄の駅で偶然仲間に会ってびっくり。確かにその時間ちょうどそこでミーティングが終わったあとだった。現実に戻れた気がする。
実家の父親が喜寿である。今日で77歳。誕生日祝を考えあぐねていたが、ぼく自身の姿を見せることが一番と考える。でも行けないので、写真送付。今回は絶好のチャンスだった前述のホームカミングデーでの記念撮影を贈った。角帽、ガウンを貸してくれて、プロのカメラマンが撮ってくれるサービスだったのだ。プリント費用はちょっと値が張る。少なくともぼくの靴よりは高いよ。電気代なら半年は払えるね。
二十代の写真にはろくなものがなく、自分にとっては空白の十年間とも言える。卒業アルバムに載ってる写真なんてファックポーズだし、あれを見たときの父の落胆のありさまはひどいものだった。今回はその埋め合わせでもある。
父さんには、まだまだもう一回りくらいはがんばって暮らしていって欲しい。
新潟県六日町でスタディミーティング。プレゼン役を頼まれ、引き受けて出かけていった。「サービスリーダーのみなさんに来ていただきました」などと紹介を受ける。こそばゆいよ。
棚卸のやり方、ということで60分しゃべりまくる。半分くらいいったかなと思って時計を見たらもう55分。あわてて5分でまとめる。時間に対してもわれわれは無力でコントロールが効かないのであった。わたしだけか…。
夜は伝統のスピーカー。また20分しゃべりまくる。一体性の強調。そして翌日はサービスについて20分。新潟地区との連携で、ぼくの全体サービス活動は始まったのだった。そのことを具体的に話していたら20分なんてあっという間である。Q&Aの回答者もやった。トータルでマイク持って話していた時間は100数十分といったところか。もっともっと説明したいことだらけだったが、自我の縮小である。
往復は高速バスでの移動で、片道約3000円の三時間。魚沼は近い。当初水上あたりで前日泊して、温泉宿からローカル線で六日町へ、という計画もあったが、前日にメッセージと地区委員会が入ったため、素直にピストン往復となった。
おいしいお米をお土産にもらい、現地宿の温泉にも夜と朝二回入った。六、七年前に知り合った仲間ががっちりと新潟地区を守っている。脱落がないのが不思議である。東京なんかだと5年もしたら様変わりなんだが。自分なりに課題となったテーマは輪番制についてであった。グループでも生かしていきたい。
数年来病院にかかることが増えている。決して何か大きな持病があるということではないのだが、健康管理に気をつけるようになってきたということだ。皮膚や呼吸器は子供の頃からあまり丈夫ではなく、喘息やアトピーに苦しんだ。それぞれ治ってはいるが、やはり鎖は弱いところから切れるものである。体調が悪くなってくるとのどや疱疹、また細かい擦り傷などがなんとなくできてくるのである。
40歳を過ぎてから健康診断や人間ドックも受けるようになった。がん保険なども大幅に見直し、入院しても安心なように手配してある。仲間の急な入院などをたびたび見るにつけ、他人事ではないという気がするからだ。ちょっとしたことでもあまり我慢しないで病院に行く。売薬で自己診断するより安全確実だし、早期発見できる。三割負担でもけっして高いという気はしない。体を見られたりしても今はなんとなく堂々としていられる。
歯医者も含め、かかりつけの病院も各地にある。対応がよくない場合はさっさと変える。歯科は新中野、皮膚科は恵比寿、眼科は新宿、内科は小竹向原、外科は葛西、などと大体決まっている。通っているとカルテもあるので安心なのである。
介護についての講演会があった。残念ながら先日、奥様の南田洋子さんは亡くなった。ぼくが講演会の申し込みの振込みをした日に、偶然にも洋子さんが亡くなったのだ。でも講演会は予定通り行われた。介護の話が、亡くなったお別れの話になってしまった。
選択肢がいろいろとあるのだと思う。自分がそうならないとも限らない。両親や姉妹も。明日はわが身である。知り合いの中にも当事者になった人がいる。認知症は遠からず、発症しないような方法が見つかるかもしれないという情報もある。考えさせられる講演会だった。