昼間、誕生日だったことを思い出してしまった。せめて三日前に気づけば手紙のひとつも送れたものを。そうだ、電報(笑)。電報ほんとに打っちゃったよ。「70歳おめでとう」じゃあんまり直接的過ぎるしなぁ。結局、用意されている当たり前の文例で送りました。いまどきはインターネットでできるんだね。
あ、ていうことは明日は母も誕生日。歳は違うけど一日違いの誕生日の夫婦なのでした。515事件の年(1932)と226事件の年(1936)。このおかげで、日本史のこの部分はいつも間違いようがなかったです。
秋の夕べはつるべ落とし…だっけねぇ。五時過ぎて退社(校?)すると、もう完全に夜道。こういう薄さびしいときってグラッと行っちゃいそうでこわいねぇ。でも自分には行く場所があるのでありがたい。待ってる仲間もいるしね。きょうは定期券の経由どおり、九段・大手町回りでゆっくり丸の内線使って高円寺に行きました。20分以上車内で眠れた。
…は、でも決して目指して得るようなもんではないね。さもないと、称賛を求める例の罠にハマってしまうでしょう。独身者なので時間もたっぷりあるの。そして、「好きでやってる」ところがポイントかも。
実家の父親が喜寿である。今日で77歳。誕生日祝を考えあぐねていたが、ぼく自身の姿を見せることが一番と考える。でも行けないので、写真送付。今回は絶好のチャンスだった前述のホームカミングデーでの記念撮影を贈った。角帽、ガウンを貸してくれて、プロのカメラマンが撮ってくれるサービスだったのだ。プリント費用はちょっと値が張る。少なくともぼくの靴よりは高いよ。電気代なら半年は払えるね。
二十代の写真にはろくなものがなく、自分にとっては空白の十年間とも言える。卒業アルバムに載ってる写真なんてファックポーズだし、あれを見たときの父の落胆のありさまはひどいものだった。今回はその埋め合わせでもある。
父さんには、まだまだもう一回りくらいはがんばって暮らしていって欲しい。
この2010年後期は唯一選択している放送大学の面接授業「アメリカ現代史」を千葉学習センターで受講。歴史というより現代の政治の仕組みを学びたく、ぴったりの授業かもしれない。来週、再来週と3週連続の講義である。
先日始めた英会話もそうだが、比較的高齢な受講生に混じっての学習である。40代半ばで最年少に近いというのは、どうなんだろうかという気もする。本当は老後の楽しみに取っておくべき制度なんだろうか……とかね。最近は慶應や早稲田も通信教育や社会人教育を始めているようだし、そちらが本命なのだろうかとか、迷いも生じている。しかしぼくが本来やるべきことに支障が生じるほど勉強に没頭するのも問題である。
みんな勉強ってあまりやろうという気はないのだろうか。ぼくははっきり言って勉強(というか学問)は好きなのだ。もちろん怠けることも好きなのだが、両方楽しい。矛盾はとくに感じない。走るのも歩くのも、止まっているのも楽しいようなものだ。
放送大学は一度卒業しているので、今回は2専攻目なのである。科目を減らしてゆっくり低空飛行。だからこそ生涯続けられるのかもしれない。