またまたあっという間の一週間だった。そして七月になった。例年六月は祝日もないし、労働密度が高まっていくしんどい月である。ところが月が明けて七月になるとぐっと精神的に楽になる。梅雨も続くがトンネルから出られるのがもう目と鼻の先という感覚になるからである。
最近はいろんな角度の違う活動が同時進行であった。表向きにはほとんど主体的には動いていないが、水面下の重要な行動が多かったように思う。一息入れたところで不運な目にあったりもあったが、行動を止めないでおけば、前進するということだろう。
よいことばかりではないというのもこの人生なのかも。完全主義は子どもの考え、大人の生活は妥協と推進である。汚れた車両でも、走れば光る。行けるときはゆき、行けないときは「待つ」。それでよいのではないか。時には泥もかぶる必要もある。
毎日、たくさん自分のやるべきことがある。これはとても幸せなことではないかと思うようになった。かといって、病的なほどに時間を埋め尽くすほどのものでもない。必要なだけ必要なことをするようにお膳立てができている。ぼくはそのように状況を持ってきたのだった。
まあもちろん、持ち上げられたり、落とされたり、そういう精神的揺さぶりはたくさんあるものの、周りには愛が溢れている。苦しんでいる仲間ももちろんいる。だからこそやるべきことがたくさんあるのだ。十三年前のあの冬の日々を思い出せば、おのずと答えは見えてくる。
きょうもやるべきことは大方やった。したいことも大概できた。何かのはずみで、明日の朝このまま目が覚めなかったとしても悔いはないよ。会場では時間は黙想とともにあった。
うーん、書いてる暇がない。こういうのってずっと続くんだろうか。週末はずっと埼玉で会議続きだった。しかも国際会議。出番たくさん。そして月曜に帰ってきた。明けてもう仕事。今日も目まぐるしかった上、サービス残業なんかしちゃうし、ちぐはぐだね。仲間にはえらそうに「優先順位をよく考えろ」なんてアドバイスしてて、自分はこのざまかよ。でもまあ今日はミーティングにも出られたしよしとしよう。
1996〜2000まで住んでいた。きょうはそちらのミーティングへ。なんだか木曜は最近雨続きだ。前回5/31はずぶ濡れになって翌日から風邪を引いた。きょうはそんなに濡れなかったが、じめじめした梅雨時なのは仕方がない。
三鷹の南口は小田急バスがたくさん発着している。家族で暮らしている人が多いように見える。多摩はどこもそうかもしれない。
ちょっと天気のよい日もあったが、また連続して小雨の日々に逆戻り。梅雨が明けるまでまだ数日かかるのだろうか。バイクに乗れず残念である。
この一週間は毎日ミーティングに出られた。何も考える必要はない。あと、過去の話をもう少しするように心がけていこう。