多磨霊園のそばの公園。1994年の冬に原付バイクを買ったとき、よくここの間の東八道路を往復していた。当時の自宅の調布から、通い始めた国分寺の会場との中間にこの野川公園があったためである。府中の自動車免許試験場や、調布の飛行場にも隣接している。東京大学付属の国立天文台も近い。東京の武蔵野と言われるこのあたりには多摩にちなんだ地名が多いが、このあたりだけはなぜか「磨く」ほうの多磨である。最近駅舎がきれいになった武蔵境駅から西武多摩川線に乗って多磨駅へ向かう。以前は「多磨墓地前」という駅だった。墓地というのが縁起が悪いから変えたのかもしれない。そしてさらに南の北多磨駅は今は白糸台と駅名を変えているようだ。駅名を変えるより、京王線武蔵野台駅や南武線の南多摩や府中本町と接続してくれたら格段に利便性が向上すると思うのだがどうだろうか。
ともかく野川公園に着いた。子どもたちとしばらく遊ぶことに専念する。今日はプログラムというより遊びに来たのだ。だから遊ぶ。だるまさんがころんだ、なわとび、ハンカチ落としなど積極的に参加。子どもたちとわあわあ言いながら遊んで、あっという間に時間が過ぎて行く。そして芋煮やカレーうどんなどが振る舞われ、おいしくいただく。また子どもたちと遊ぶ。天候もよく、淡青の晴れた空の下。終了後ホームグループへ。非常に幸せな休日の一日だった。
今年の遠隔地巡業シリーズの最終となるだろうか。鹿児島の仲間とともに行動。土曜は山間部の天台寺院で伝統セミナー、日曜は九州の広報セミナーに出席。二日間で少し強行スケジュールだったがすべてこなして帰京できた。メダルのお祝いもしてもらってプラスアルファがうれしい。ホームグループでのお祝いは12月に順延である。
鹿児島県と言っても山の中のお寺はかなり涼しく、自然の中に溶け込んでいる感じだった。移動などはすべて仲間の助けをいただく。夜は県営のスーパー銭湯でくつろぐなど、それなりのリゾート気分。空港の辺りには茶畑が広がっていた。
広報セミナーが行なわれていた会場はかなり大きめのやはり県営施設。放送大学の学習センターも抱えているようだった。地元や離島の関係者も多数集まり盛況であった。
あとは年末までは大きなイベントも入っていない。夏から秋にかけてよく動いた今年だった。
バイクのエンジンがかかりにくい季節になってきた。充電が足りないと思いバッテリーを外し、充電器に接続したら「バチン」と火花が吹いた。プラマイ逆ざししてしまったのである。バッテリーは使えるのだろうか。少なくとも充電器は動かなくなった。過電流で壊れたに違いない。充電器分解してあちこち調べたが直せず。諦めかけたときに、ケーブルにヒューズがついていることを発見。短絡してみたら復活。ヒューズが飛んだだけのようである。再度充電にかける。
そもそもセルスターターだけで、キックがないのがCBX125の弱点である。バッテリー上がりは何回も経験しているが、キックスターターがないのは恐怖である。まあ自動車だってキックスターターはないわけだが、バイクのエンジンがかかるかどうかいつも不安なのは考えもの。そろそろ買い換えでも検討してみようか。
この11月は東京大学イベントシーズンである。本日は恒例のホームカミングデイ。卒業生を集めて記念集会などを行なうのである。ここのところ三年連続で出席。今回はベンチャービジネスがテーマになり、パネルディスカッションが行なわれた。
安田講堂でのイベントが終了した後、日比谷公会堂に移動して淡青祭が開催される。運動会応援部の三部構成イベントである。一部は吹奏楽、二部はチアリーダー、三部はリーダーによる応援歌など。今年は神宮に五回ほど参加したので、応援部のリーダーたちの顔をほとんどおぼえてしまった。いままであまり関心のなかった歌も歌えるようになってきた。「ただ一つ」「大空と」「足音を高めよ」「嗚呼玉杯に花うけて」など。リーダーの中に、自分と同じ小倉高校出身の学生がいるとわかり、うれしい気分。
音楽、踊り、パフォーマンス、盛りだくさんの内容で、最後は「ただ一つ」を全員で歌って終了。すばらしいイベントだった。
今年でちょうど卒業後20年であり、感慨深い。下旬の飛び石連休では学園祭である「駒場祭」も開催される。
アドエスを購入して使い始めてからちょうど二年。機種代金を月賦で割り引いて実質負担がゼロになる「W-VALUE SELECT」の支払い期間がようやく終わる。二年は長かった。途中で解約したり機種変更すると、割引がキャンセルされ毎月何千円か支払わなければならなくなる「縛り」システムなのだ。キャリアとしては、客を逃さぬすばらしいビジネスモデルに違いない。考えついた企画者には脱帽ものである。
というわけで、今月からは自由の身となったため、機種変更ができる。新機種をまた同じシステムを利用して購入すると、また二年間の縛りがかかる。どうしたものか…。手持ちの旧機種に戻すこともできる。あるいはアキバやネットオークションで白ロムを仕入れて、それを使うこともできる。いろいろ検討している段階が楽しいのだ。
要するに今のアドエスが使いにくいのだ。重くて大きいのが最大の難点。購入時は、スライドしてJISキーボードが出てくるのが画期的と思ったのだが、結局大して使わなかった。折り畳めない、ソフトにバグがある、ボタン一発で留守電にできない、など、使い始めてわかる不便の数々。せっかくCPUもメモリも高性能なのに、惜しいことが多い。ただ、ワンセグユニットでテレビが見られるのは秀逸なので、他に機種変更したら、うちには地デジはないことだし、ミニテレビとしてアドエスには活躍してもらおう。
先述の理由により、バイクを他の車種に買い換えた。注目の下取り額は\15,000-であった。購入時車体価格が約九万円だったCBX125カスタムだが、三年半でかなり疲弊したものだ。でも6,000kmくらいは走った。オイル交換、ブレーキシュー付け替え、エンジン回転調整など、いくらか技術も身についたのでよしとしよう。
前回の販売店は戸田市の下笹目である。ここで販売されている車種を検討。車と同じく60kmまで出せて二段階右折の必要がない、原付二種か中型にしたい。そして置き場所をあまり取らない小さいもの、となってくると限られる。結局店頭に在庫があった「リード90」に決定。10年以上経過している中古バイクだが、比較的状態もいいので購入した。黄色ナンバーで無段スクーター、2ストである。なんかギアなしに戻るのが退行のようにも思えるが、車体価格\65,000-だし手頃と思おう。
セルとキックスターターがあるし、けっこうすいすい走る感じ。原付二種の継承のため、自賠責も任意保険も無駄にならず車両変更手続きだけで済む。この寒い時期に新バイク!?と思う向きもあるかもしれないが、寒いとみんなが手放す時期なので、購入価格も割安なのだ。しかし、青梅街道と環八を一時間近く走ると、寒さで頭が冷え切ってきてクラクラする。危ないねー。冬のツーリングは近距離程度にとどめておこう。
予告どおり、PHS電話機も機種変更した。手持ちのWX300Kに戻した。アドエスとはお別れだ。やはり携帯は折り畳めるほうがコンパクト。待機状態で時刻も確認できる。WXシリーズは機能は少ないしメモリも容量が限られているが、やはり電話は電話である。パケット料金の高さでブラウジングしないなら、アドエスのような高性能は要らないかもしれない。
このWX300Kは2006年の6月に池袋のショップで購入し、2008年の12月まで使っていた。新機種でまた似たタイプが出てくれば検討しよう。ウィルコム定額プランSだと機種変更の代金が高くなることが多いのである。まあいまどき携帯メールし放題で基本料金\1,450というのは破格なんだけどね。
高田馬場のゲーセン「ミカド」に、またまたアルカノイド復活。また少し通うことになるかも。しかし残念なことに古いオリジナルバージョンの方であった。リベンジオブドーを期待しているのだけど、稼働率が低いのかもしれない。
この2010年後期は唯一選択している放送大学の面接授業「アメリカ現代史」を千葉学習センターで受講。歴史というより現代の政治の仕組みを学びたく、ぴったりの授業かもしれない。来週、再来週と3週連続の講義である。
先日始めた英会話もそうだが、比較的高齢な受講生に混じっての学習である。40代半ばで最年少に近いというのは、どうなんだろうかという気もする。本当は老後の楽しみに取っておくべき制度なんだろうか……とかね。最近は慶應や早稲田も通信教育や社会人教育を始めているようだし、そちらが本命なのだろうかとか、迷いも生じている。しかしぼくが本来やるべきことに支障が生じるほど勉強に没頭するのも問題である。
みんな勉強ってあまりやろうという気はないのだろうか。ぼくははっきり言って勉強(というか学問)は好きなのだ。もちろん怠けることも好きなのだが、両方楽しい。矛盾はとくに感じない。走るのも歩くのも、止まっているのも楽しいようなものだ。
放送大学は一度卒業しているので、今回は2専攻目なのである。科目を減らしてゆっくり低空飛行。だからこそ生涯続けられるのかもしれない。
サービス集会で役割を一日やる。夕方終了。ミーティングに向かう。グループメンバーと分かち合い。北海道から仲間も来る。そしてまた場所を変えスポンシーと分かち合い。そのあいだも電話が複数。さらにメールが数人から入る。重なるときというのはこういうものだ。23:00ごろに返信などもすべて終了。阿佐ヶ谷からバイクで自宅に戻る。スクーターはギアチェンジがなく、すごくラクだ。比較的暖かい気温の夜で助かった。洗濯して風呂に入って就寝。表面上はほとんど提供してばかりの一日だったが、結果としては内面の自分の幸福をいただいているのだった。
前回不合格だったが、再度勉強して受験した。NHKのラジオ講座、テレビ講座と視聴し続け、この一ヶ月間は対策テキストも買って強化した。しかし、やはりレベルに追いついていない感じだ。試験翌日、サイトに模範解答が示され自己採点してみたが、厳しい結果となった。文法の選択問題がほぼ壊滅的である。単語力が足りない。しかし、発音問題と長文読解はほとんど満点に近かった。聞き取りはまあ半分くらいといったところ。前回よりは成果が出ている。しかし60%以上の正答が求められるので、46問中27問正解というのは、渋い境界線かも。採点率と全国平均によっては、よもや…ということもあるけどね。
検定のあと駒場へ行き、学園祭をうろつく。やっぱり学生さん若いなあ。18〜22くらいだものね、当然か、2まわり違うのだ。子供がいたらこのくらいという感じかも。東大生というより、第一高等学校だね。駒場は教養学部があるところで、1、2年の一般教養を学ぶところなのである。ぼくは事情があって3年いた。
国会議員の柿沢未途氏らのパネルディスカッションや応援部のパフォーマンスなどに参加。模擬店で食事。雨にならずによかった。
学生の頃に入り浸っていた喫茶店に寄ってみたい気もしたが、ほんのちょっとした勇気が出ず、先送り。心の準備ができたらまた訪れよう。
買い換えたバイクで、初めての遠乗りを挙行。といっても40kmくらいだが、満を持して出発。購入時より前輪がきしんでいたので、事前に購入店で改善してもらった。プロは手際がよい。瞬く間に前輪を取り外し、ブレーキパッドや軸受けを研磨、清掃してくれて、きしみの音はなくなった。自分でやっていたらまず前輪外しなどできず、パッドの交換も怪しかったかもしれない。そもそもパッドは磨り減っていなかったので交換する必要はなかったのだ。
40kmの遠乗りは今回千葉の幕張までである。過去に埼玉の嵐山や川崎、青梅あたりまでなら飛ばしたことがある。それぞれ30〜40kmくらいだったであろう。いままではギアつきのアメリカンバイクだったので長距離に向いていたと思うが、今回はスクーターである。やはり疲れた。
自宅から本郷付近まで国道257号(川越街道、春日通り)、そして城東から千葉へ向けて国道14号(千葉街道)である。あまり深く考えずにどんどん進んでいたら、東京と千葉の境辺りに来て、道路がなくなる。というか有料道路だけになり、原付二種では江戸川を渡れない状況になってしまった。やむなく迂回して市川のほうへまわる。京葉道路は有料なのだった。最初から蔵前橋通りから国道14号(千葉街道)の旧道へ向かえばよかったのだった。ごちゃごちゃした本八幡や西船のあたりを抜けて、津田沼付近からようやく広い道路に出ることができた。幕張に出ると計画都市ということがよくわかる。別世界なのである。
帰りは京葉道路方面へは出ず、蔵前橋通りからまっすぐ本郷へ。30分位はセービングできたと思う。
幕張では先週に引き続き、放送大学の面接授業受講だった。授業教室内に拘束されているときというのは、思考が活性化する。話を聞くことはもちろんだが、現在の自分の状況、いま何をしたいのか、どこに行きたいのか、何を求めているのかをよく考えられるのである。試験期間に人生行路を想う思考回路に似ているかもしれない。来週も幕張である。
ここのところ日曜日にサービス活動が続いている。もらうことより与えることのほうが良いに違いない。もらうことばかり考えていると、些細なことに苛立ったり、被害を受けていると考えるようになる。自分のことは二の次でよいのだ。サービスが結局またもらうことになってしまうのが、結果はオーライである。
久々にズボンを2本購入。擦り切れて変色までしている古いズボンと、ボタンが取れ、サイズも合わず、たった800円で数年はいたズボンを処分。裾直しで有料と言われたが、今年の最初の事件をすぐさま思い出し、快諾する。そう、快諾だ。300円くらいなんともない。心の平和の代金である。