何度か書いているか、営団定期をフル活用している。どんな経路で買っても9000円を越えないシステムになっているので、自由に組合せて買える。便利だ。全線にすると値段ははね上がるので却下。ひと筆書きで、突き抜けず、三乗換四路線までという制限を守れば買える。
自宅は落合と中野坂上の二駅利用、だから東西線中野・神楽坂間と丸の内線新宿・新高円寺間はどうしても入れたい。いろいろ経路選択はできるのだが、今月は中野→(東西線)九段下→(半蔵門線)大手町→(丸の内線)荻窪とした。これはなかなかベストに近い。
今週は隔日で仲間に会っている。ありがた味も倍増するね。もうちょっとお茶時間が長くてもいいような気がしてくる。道理だ。毎日出てると21:30までくらいで過不足ない気がするのにね。
こころの友は第二スポンサーシップという感覚もある。上下がない感じもいいです。
最近は大学同窓会のことをこのように呼ぶようである。昨年は中曽根康弘氏の講演会が行われたが、今年は小宮山宏氏のエネルギー談義、そしてシャープ、JR東海、三菱自動車、それぞれの社長によるパネルディスカッションが催された。十数年前には液晶普及は夢物語だったが、現実にブラウン管に取って代わったという話や、今また太陽光や原子力発電が注目されているということ、さらにそれが電気自動車のコスト減の現実性につながっていくという話、ふだんの生活とあまり関係ないトピックだが面白かった。
第二部はそれぞれの学部に分かれての催しだったが、最近少し興味のある農学部の講演イベントに参加。食品への科学研究としての味覚の話や、獣医学者による抗がん剤開発のプレゼンなどがあった。他学科卒業でも参加OKであった。農業や生命科学、環境について今まで考えたことがあっただろうか。医学にしてもまったく自分の職業とは関係ない分野だと思っていた。しかし何らかのコミットメントは可能だという気がした。
帰り道、地下鉄の駅で偶然仲間に会ってびっくり。確かにその時間ちょうどそこでミーティングが終わったあとだった。現実に戻れた気がする。
この11月は東京大学イベントシーズンである。本日は恒例のホームカミングデイ。卒業生を集めて記念集会などを行なうのである。ここのところ三年連続で出席。今回はベンチャービジネスがテーマになり、パネルディスカッションが行なわれた。
安田講堂でのイベントが終了した後、日比谷公会堂に移動して淡青祭が開催される。運動会応援部の三部構成イベントである。一部は吹奏楽、二部はチアリーダー、三部はリーダーによる応援歌など。今年は神宮に五回ほど参加したので、応援部のリーダーたちの顔をほとんどおぼえてしまった。いままであまり関心のなかった歌も歌えるようになってきた。「ただ一つ」「大空と」「足音を高めよ」「嗚呼玉杯に花うけて」など。リーダーの中に、自分と同じ小倉高校出身の学生がいるとわかり、うれしい気分。
音楽、踊り、パフォーマンス、盛りだくさんの内容で、最後は「ただ一つ」を全員で歌って終了。すばらしいイベントだった。
今年でちょうど卒業後20年であり、感慨深い。下旬の飛び石連休では学園祭である「駒場祭」も開催される。
冬学期が始まって以来、卒業研究の現地野外巡検や指導教員との打ち合わせが続く中で、通常の授業もいくつか取っているので大変忙しい毎日となっている。卒業研究は河成段丘をやることになった。ぼくはこれから地理学者を目指すのかもしれない。江戸時代に伊能忠敬が50歳から一念発起して、全国を測量をして回ったのは有名な話である。ぼくは伊能忠敬の足もとに及ぶべくもないが、ともかく今あるエネルギーと残りの半分の人生を、地学と地理の研究に注ぎ込もうと思う。学部生としての時間はあと四か月半だが、そのあとの長い大学院での暮らしも待っているし、学問の中にどっぷりつかってあれこれとややこしいことを考え続けるのが楽しく思える。やることがちょっと多すぎるのだが、一つ一つ丁寧にやっていきたい。
_ ぼくは原子力工学科を卒業しているので当然のことながら原発推進派であると公言したい。というか自分がやってきたことを肯定するのは人間だから当然である。そして労組活動も長いことやってきたので、その意味でサヨクとも言えるのである。カタカナでサヨクとしたのは、本物の左翼活動家の人たちに比べたら全然力も根性もないので、端くれにすぎないということである。これも自分が長いことやってきたことだから、肯定するのは当然である。組合活動家の仲間たちからよく言われるのは「なんで森田さん原発賛成なの? 自民党好きなの?」とか、なんとも答えがたい質問である。自民党だって集票したいからか、最近は原発推進とは言わない。代替エネルギーでカバーする、とか廃炉を目標、とかごまかしている感じなのである。原発をはっきりと推進すると言っているのは維新の会くらいだろうか。結局みんな世論がこわい、みんなの支持を得たい、って感じなんですかね。それって大衆迎合主義なんじゃないのかなあ。ポピュリズムですかね。
みんなと違う主張をするのは勇気がいる。下手すると袋叩きにあったりするからね。でも信念は変えられないのですよ。自分の本音が変わる日だってくるかもしれないのだけれど、本音が変わらない以上、人と違っていてもそれは仕方がないですよ。