かのRCサクセションの伝説の久保講堂ライブの未発表映像と音源が完全収録……とのことで、昨年発売されていたようである。何年かぶりでレンタルCD店に行き、借りてきたよ。定番のラブソングがたくさん入っている。25年くらい前のライブだというのに、ソウルフルで、斬新だ。
キヨシロー、若いよ。すごすぎ。29歳くらいか。現在のぼくよりなんと年下だ。当たり前だけどね。
中間施設へのメッセージと夜の成増のミーティング。第一土曜はこのパターンが多い。電車賃をちょっと浮かせるために、清瀬→新桜台・徒歩・氷川台→地下鉄成増で移動するケースがよくあるのだが、今日は買い物したくて素直に午後の池袋へ出た。このわたしが「買い物したくて」?? 明日は雪が降るかもよ。
黒の半袖シャツ、二重柄シャツ(黒・紫ストライプ)、ピンクのタンクトップ。メッシュカラー染料。以上。
四月末になんだかさっぱりわからない状態で無印良品に行ったのだが、今回ははっきりと、自分の趣味がわかった。ていうか、自分のセンスをただ単に、12年ほど、忘れていたのだ。ああ、なんかこないだ買ったシャツとかパンツとか靴とか、ちょっと買い直したい気分。ま、でも、自分の「かわいい系」ファッションとして使えばいいか。
染料は、髪メッシュを考えたんだが、短髪だし白髪も結構あるので、試してみたがちょっといまいち。どうせなら薄めに全体ブリーチの方がいいかも。仕事もあるので実行は慎重に執り行います。
ネットで大変評判がいいようなので、先日預金口座を作ってみた。ネットからだと他行宛て振込手数料が月6回まで無料という、どこにもないようなサービスを展開している。コンビニのATMも他の都市銀行のATMも、手数料なし。すごいね。逆に、なんでほかの銀行はこれができないんだろう。
定期預金とかも他の銀行に比べて金利がダントツのようだ。財形解約して、切り替えるか……とか。
漱石の「それから」も「門」も読んだ。そして、他の読書傾向も、不倫や浮気の恋のものばかり。そうなのか。みんな、けっこうやってるんでは。それとも創作は、現実を凌駕し、代償行為なのか。それを読んでるぼくもそうかね。高橋源一郎の「官能小説家」はかなりのパンチ力があったね。あと、亀山早苗さんの存在。渡辺淳一や林真理子には、まだ手を染めていない。
書店に行くと「今のリアルな自分の関心」がたちどころにはっきりする。みんなでジュンク堂へ行こう。
今週はよく働いた。タイムカードに管理され、就業時間中の職務専念義務を守り、次々に発生する不規則事項に対応し、気がついたらあっという間に終業である。そして数々のことを持ち越したまま、次の週となるのであった。われわれは労働力を提供して賃金を得ているわけであるが、労働そのものも提供している。とくにそれが今週は顕著であったということだろう。
業務命令のあまりないうちのような職場であっても、上司や同僚との関係の中では、自分の労働力をカードとして切っていかねばならない。カードをあまり切らないでいるほうが労働者性は増すし自分をあまり貶めないで済むこともあるが、トータルでいうとやはり何かに夢中になっているほうが、その場にいるには生き易いかもしれない。しかしながら、2004年4月に残業が一切時間外労働としてつかなくなってからは、損切りも必要と思うのであった。それが賃金労働者としては当然の身の守り方だと思うよ。
ミーティングの終わった後に、歌舞伎町あたりをうろついていることが多い。あぶないねー。西武新宿からの定期券を買っているときなんかは特にそうなのだった。ほかにもいろいろ目的はあったりするのだが、どんなに遅い時間でもわらわら人がいるから、すごい街だ。直感的に、あまりお金を持って歩かないほうがいい場所みたい。
ホストとかいっぱいいるので、いまどきはこういう格好をしてるとモテるのかなとか、参考になったりして。ふつうのサラリーマンでも、遊び人は、なんか服装とか違う気がするよ。
今日は早めに帰ってきました。
この超低金利の時代に、よくもまあ5%を超える預金商品を作っているものだ。円定期といいながら、中味は外貨で運用しているからくりだからこそ高金利が実現しているようなのだけれど、為替手数料をいちいち取られないので素人でも手を出しやすいね。
円定期セットとパワード定期にそれぞれすこし指しこんでみた。パワード定期はニュージーランドドルが利率がいいので選択したのだが、為替がどう動くかわからないので面白いかも。五月の連休明けの円高ピークのときに、みずほとUFJで米ドル定期をすこし買っておいたのだけど、ピークの予測が見事当たって、じわじわ円安になっているのがうれしい感じ。
たった三ヶ月程度、流動資産を保留するだけで不労所得が万単位で入ってくるのって、やっぱり資本主義のメリットだなと思う。もちろん、普通に汗水流して働いたほうが、所得をえるのは簡単なのだけれど。
先日書き留めておいた特定分野の棚卸しを、きょうは仲間にじっくりと聞いてもらった。この作業が、多分プログラムの核心部分であるのだと思う。言葉に出してキャッチボールをし、そして客観的な判断が、仲間の言葉を通して語られる。もちろんハイヤーパワーの語るところなのだけれど、わたしのこころはそれを受け止めて、明日からの生活と方針にそれを生かすのだ。たくさんの間違ったことをした。しかし、資産も実はたくさんある。使い方が悪かっただけなのだ。本能そのものはけっして悪いものではなく、神様の与えてくださったものなのだと思う。
自分には果たしてこれから何ができ、何ができないのか。ここでまた6と7に取り組むのだと思う。取り組めば、また答えは出てくるであろう。
気がついてみたら、Amazonにはかなりお世話になっている。読み終わった本はほとんどマーケットプレイスに出品しているし、たいてい確実に売れる。ブックオフよりはるかに高値でさばけるし、1円出品しかできない安物はやはりブックオフに持っていって20円とかで売る。
Amazonのアソシエイトに参加したら、読者の皆さんもAmazonにはまるかもね。ただ、1500円以上新品で買わないと、つねに送料がついて回るのが厄介だ。でも足を棒にして古本屋回りをするよりは、少ない労力で、確実にほしい本が見つかるかもね。左下のリンクからサーチしてみてください。
西武新宿線は、行き先別最終の場合、西武新宿駅の電光掲示板に「終電車」と出るのを昨日知った。ワールドカップが終わった直後でしたか……。数年前の韓国戦のときも、なぜか歌舞伎町付近にいたんだっけか。日付が変わったあと、ゆうべは自宅に着いたのだった。
古い仲間にチャンスを与えてもらい、二日続けて話をする機会に恵まれた。水曜は、自分の生きてきたベースを中心に、木曜は、今のトピックス問題を中心に、どちらも15分程度。そのままの自分の背の高さでいられるこの場所というのは、ぼくの生きる場所という感じがする。職場では夕方、団体交渉があったのだが、ぼくの発言時間はほぼゼロ。朝9:00からの一時間半のMicrosoft Wordの講習(授業)では、実習の合間にぼくの説明時間は、ほぼ一時間。ぐっと地下にもぐっているか、目いっぱい広げているかのどちらかだ。やっぱり仲間のフェローシップは、ぼくの再生のプログラムの核心だったと思うし、これからもどのように道具として使ってもらえるかにかかっていると思う。たとえどんなに落ちぶれていた話をするにしても、いま苦しんだり高みに上ったりした話をしても、みんながぼくの話を聞きたがっている感じをもったときに、安全な場所にいるという気持ちになれるのであった。
もっとほんとは裏の話やナマの感覚の話もあるのだが、それはそれでTPOが揃ったら白状しまくる予定なので、お楽しみに。でもたぶんここには書けないようなことなので、会場でね。
かっこ(「」)がついているのは、比喩という意味。もちろんパチンコなど10年来やっていない。ラストは成増会館だったと思う。
殿様営業という言葉もある。立地がよいので、なにも営業努力をしなくても、次々に客は入ってくる。そして何千、何万と突っ込んでみるが、まったく出ない。出たとしてもスズメの涙。そしてさらに搾り取られていく。いいカモだ。そして愚かさに気づき、そこを去る。
どんなに熱意をもって入れ込んでも、何の配当も利益も出ない。話をしようにも、電話すらできない。何も始まらないことが最初から確定しているのに、ごりごりと発電しているこの愚かさはどうだろう。まさに、てのひらの上で転がされているように思うこともある。
「それで……何がもらえるの?」という問いもあった。燃える火が収まってきて、ガスコンロでいうととろ火くらいになってみて、初めて自分の立っている位置が見えるのである。必死だな>オレ、みたいな。何がどうであれ、みんな棚上げにして、まずは冷静になろう。そして点検してみよう。
先週日曜に棚卸しをしたので、それがとっても効果を発揮してるように思う。立ち位置がわかり、どうしたらいいかがわかり、そしてあとは、自分がそれを求める気持ちになるよう、神に祈るということだけであった。祈りは果たして通じるのか?? 先日、祈りは通じるとここに書いたが大人の祈りは通じるが、子供の祈りは通じないのだ。ステップ6に書いてあった。
キヨシローの曲にも「宝くじは買わない」というのがあった。渋谷で歌っていたときはレパートリーだったんだけど、何年かたって、いまにつながってくるのは不思議だね。
アジアオセアニアのサービスミーティング開催に向けて、協力委員会発足。執行責任があり、立場上参加。地域の仲間とともにやっていく場に出てきたのは、久しぶりかもしれない。来年の夏開催なので、ちょうどあと一年。変化の年になりそうである。
現在読んでいる本の中に出てきた言葉。厳しいね。でもそうかもしれん。そしてそれは、よいことであっても、だ。必要なものは与えられる。そして乗り越えられない試練は来ない。
変えていく勇気ということも頭に浮かぶ。果たして、自分はどうしたいのか。
この6月半ばの時期は、毎年のことながら、仕事の面では、年間でもっとも油の乗っている時期である。祝日もないし、特別な行事もない。ただひたすらに、つぎつぎに授業カリキュラムを進めていかなくてはならない。学生の皆さんの顔もだんだん見えてくる。授業を終えても授業を終えても、すぐ次が来る。でもだんだんそれに慣れてくる。仕事が詰まっていて当たり前だという感じ。仕事とミーティングの間のわずか数十分を新宿や池袋で過ごすのがやたら楽しい。
なぜかこの期間は、忙しいにもかかわらず、やりたいことがたくさん出てくるのである。忙しいから、かもしれない。そして、あまり無駄な体力も使えないので、無駄なことはしたくないという気持ちもある。したがって、必要なことだけを選別して、実行する。土日はあっという間に過ぎ、そしてまたすぐに月曜だ。あらゆることに可能性を感じる。制限がたくさんあってこそである。
あーなんかとっても後ろ向きな人生だけど、ぼくの戻りたい場所は、昭和56年とか昭和60年とか、そこらあたりのようである。TSUTAYAで
なんていうのを曲名見てみて、しびれてしまった。そして思わず借りてくる。まざまざとその頃のことを思い出すね。高校1年〜大学受験の頃までだ。
ぼくはその頃にどうも戻りたいみたい。戻ったからといって人生がやり直せるわけではないのだが、その想い出と妄想に浸っていたい……ということのようだ。
まあなんかそういうことよりも、今を生きればいいのだけど、なかなかそうもいかないのが、この後ろ向きの人生のようである。
あと、この中には収録されていないが、アルフィーの「シンデレラは眠れない」とか、松田聖子の「Rock'n Rouge」とか、そしてキョンキョンでは「私の16才」も、たまらんねぇ。
話題の流れから言って、なんかゾクの集まりみたいだけど、そんなことはない。きょうは井荻で生コントラックの運転手の人たちの労働組合の集会があったのである。まじめで必死に働いている人たちである。労働基準法の守られていない職場は多い。そしてこれらはなかなか改善されない。だから労働者は団結して闘う必要があるのだ。当然の権利を主張するだけなのに、それに対して不当な処遇を受ける。こうしたことは是正されてしかるべきだ。
外貨定期を始めてから、意識が為替相場にたびたび向かっている。たしかに利率もいいし楽しいのだが、銀行の手数料は高すぎることに気づく。四千ドル預けたら4000円の手数料を「わたし」から取り、それを円に戻すと、また「わたし」から4000円取るんだよ。この「わたし」から取るというところがいかんね。もうけている人たちから公平に、とか、国と業者とわたしと三等分とかならまだ納得行くのだが、「わたし」からだけ取るのである。
証券会社やネット銀行だと、この取り分がやたら安いことを後から知る。あー悔しい。でも経験してみてはじめてわかることなのであった。
昨日、およそ七年ぶりにPHSの機種変更をした。東芝のDL-S300から、京セラのWX300Kへと変更である。初めてのカラー液晶。そして、アニメーション・画像も初めて使える。カメラつきも初めて。初めてづくし。世間並みからは大幅に遅れをとっている。
プロバイダのメールもこれでついに遠隔地で読めるようになってしまった。土日は地方に行っているからメールは読めません…という言い訳はもうできない。そして、もっと衝撃的なのは、電話を「折りたためるようになった」のである。すごいねー。ポケットに半分のサイズで入ってるよ。
ついでにWillcom定額プランにしたし、マルチパックを使うとADSLも安いので、PCプロバイダもメアドだけ残して、接続はWillcomに乗り換えるつもり。Willcomづくしだ。
ご飯の炊き失敗を「ごっちん」と呼んでいたのは、小倉だけだろうか。今朝、お釜を開けてみたらそうなっていた。ただ単に「炊飯」スイッチを入れ忘れ、夜中じゅう保温動作をつづけていたらこうなったのである。一人暮らし20年の中でたぶん二回目。すぐ捨てて炊きなおしたが、たまたま仕事のない日だったのでよかったようなものの、ふだんだったら落ち込んだだろうなぁ。もちろん今もちょっと鬱だけど。
まあ、われわれの仲間内でやる合宿と交流会みたいなものである。福岡の志賀島のそばにある「海ノ中道」というところに行って参ります。心中複雑な想いもあるのだが、きのうホームグループで話したとおりである。ま、しかし、仲間は財産、行ったら楽しんでこよう。今年になって飛行機に乗るのは3月の山口以来二回目。
福岡で仲間と分かち合い、小倉で感傷にひたりきってみる、そんな旅であった。
小倉では実家には向かわず、出身高校のそばを散策。折りから激しい雨。絶好の自己憐憫ムードである。
高校への通学路の踏み切り、生徒会で使っていた建物、補習科の予備校、デートで使った喫茶店。どれもみな、当時のままであった。もう20年以上経っているというのに!
そして明日からまた、現実の生活に戻るのであった。
おそらく国内では外貨金利が最高水準であり、為替手数料も格安のソニー銀行に口座を開設した。無店舗なので、コストがかからないのであろう。通帳すらない。ネットでほとんどを済ませられる銀行である。決済には向かないが、預け入れはUFJや三井住友で無料でできるし、投信などもラインナップが揃っている。
ここへきて、身辺整理か。明日死んでもいいくらいの気持ちで、今日を生きていきたい。
水曜日は授業が目白押しな上、きょうは不規則労働がたくさん発生していた。わたしにしては珍しく、20分近くも時間外でサービス残業。こんなこと、絶対にしない人間だったのに……。ま、いろいろ考えたくないこととかも、たくさんあるので。
仕事とミーティングの間に、高円寺の1100円カットで散髪。スポーツ刈り以外を注文したのは、10年ぶりくらいか。最近こういうの多いね。
しらふで新しく、いろんなことを経験してみて、そして自分を知る。こうしたほうがよいということがだんだんわかってくるのだ。すごいプログラムだねー。そしてここからが重要なのだが「こうしたほうがよい」ということと「こうしたい」ということが違うのである。頭ではわかるんだが……という、例の悩ましい葛藤だね。「止めなくてはならない」のが「やめたい」に変わらなくては扉が開かないのだ。これはあらゆる問題に当てはまるのである。仲間の手助けにより、自分のことを正直に書いて、そして話し、自分を変えていこうという努力をした。それでも自分を変えたくない、あるいは古い考えを使いたいという頑固な自我が立ちはだかったとき、さて、わたしはどうすればいいのか??
ここへきて、また底付きを体験する場所にやってきたと思う。理論ではなく、体験である。とてもそういう流れを感じている。とろ火になって鎮火したに見えても、まためらめらと行く手に炎が上がり、電車から見える景色もポストも真っ赤な色に映えている。まさに漱石の「それから」だ。1と7のステップがつながっていると仲間が言っていたのを遠く思い出す。かごぬけするうさぎを追って、わが身を濁流の中に落とし瀕死の重傷を負ってみて、やっと目を覚ますのか。自分の背丈がどれくらいあるのかを知らないと何もうまくはいかないし、配られたカードで満足はしないだろう。飲み込むのに困難な謙遜を、取り込まなくては前に進めないのだった。
われわれの共同体の扉をたたき、新しい人生を始めてから、わたしは「キヨシ」と名乗っていた。約10年それを続けた。
そして2004年2月から2年4か月の間「森田」と苗字を使って名乗ることにした。理事会に◎◎清(きよし)さんといういう人がいて、混同されるのもなんか嫌だったし、第9回全国評議会で日本のゼネラルマネージャーが「【ニックネーム】はあるが【アノニマスネーム】というものはない」と明言したのもきっかけになったのである。グループでも一・二年で新しい仲間がたくさん来たし、わたしがかつて「キヨシ」と名乗っていたことを知らない仲間も多くなってきた。
しかしながら、ここで名前をまた「キヨシ」に戻してみた。どっちやねん、と思われる方もいるだろう。どっちでもいいのだが、どっちでもいいということをあえて知らせたく、戻してみることにしたのだ。
ネット社会などではハンドルネームを使うのは伝統的な手法だが、われわれの新しい生き方の中でもこれを使っていく。単に匿名ということだけではなく、謙虚になることや、自分の願いさえ、名前の中に含まれていることがあるのだ。
asahi-netのインフラを解約してメールアドレスだけ維持し、今日からは接続はWillcomのADSLである。モデムが届き、開通した。定額プランと同時契約なので、とても安い。PHSの基本料とメールも定額やり放題+3MbpsのADSLで4785円というのは、格安なのではなかろうか(料金表・最下段)。携帯電話だと、基本料だけでこのくらいの値段になってしまうのでは??
一人カラオケを初めてやってみた。新鮮な感動もあったが、やっぱし変だよね。自己憐憫モードが続いている。そしてまた週末。