ご飯の炊き失敗を「ごっちん」と呼んでいたのは、小倉だけだろうか。今朝、お釜を開けてみたらそうなっていた。ただ単に「炊飯」スイッチを入れ忘れ、夜中じゅう保温動作をつづけていたらこうなったのである。一人暮らし20年の中でたぶん二回目。すぐ捨てて炊きなおしたが、たまたま仕事のない日だったのでよかったようなものの、ふだんだったら落ち込んだだろうなぁ。もちろん今もちょっと鬱だけど。
金曜日、土曜日と課題消化に専念している。どうにもならないと感じていたような難度の高いものも、調べたりトライしているうちに何とかなるものだ。そもそもギブスの自由エネルギーの表を用いて、相転移の状態図を書く…なんて、今までやったこともないし、説明を聞いてもわからなかったし、木・金と資料とにらめっこするしかなかったのに、今朝から二時間くらい取り組んでいたら図が書けてしまった。相変わらずぼくの中では、意味はあんまり分かっていないんだけど、指導してくれる先生があまりにも頭のよい人で、この人についていけたらたぶん安心だろうという気持ちが自分を支えているようだ。すごいんだ、この先生。いままで出会った人たちの中で、五本の指に入るすごい人、である。
信じた瞬間に救われるステップ2,3とか、浄土真宗とか、「信じる」=「救済」は等価であることを感じる。そんな感じの修業の日々を重ねているのだ。
造岩鉱物光学や大気海洋循環学、そしてデータ処理の多すぎる城ケ島の課題があとに控えているのが少しばかりしんどい気がするが、理学部に入ることができて、この厳しさに揉まれて自分の力が向上するのが身に余る幸せである。卒業論文の段階になったら、さらに先鋭化していくことだろう。