中間施設へメッセージ。金髪来訪。もう期限が迫っているけど。仲間が少なかったが、それなりに。ひとり15分。過去もいまも恨みが多いという話。テーマは恨み。
暗闇の中でよろめいている仲間にどうやったら手助けができるのか、迷ってしまうことが多い。思惑と反対の結果を生んでしまったり、何もやらないことが効果を発揮したり、ということも往々にしてある。神の意思に自分を合わせるしかなさそうだ。
今週はほとんど英国ポンドに一本がけしていたのだが、一度も上がることなく、為替取引は惨敗であった。具体的な金額は、もう恐ろしくて書けない。それくらい大損こいてしまうのがFXのリスクである。為替投資額の約4割が相場の海に消えてしまった。
明日はセミナーである。今日はコーヒーなどの買い物を準備し、リュックの中ははちきれそうな状態だ。会場まで自転車で行ける距離なのはぼくだけかもしれない。明日は一日、仲間の中でたっぷりと力をもらおう。
この十日間ほど、なんか死ぬほど忙しかったよ。ここに何か書こうということすら忘れていた。いちおうなんとかそれなりの決断とケリは着いたのだが、またこれから数日はいろいろと巻き起こりそうな予感。
でも今は自分は一人ではないという感覚がある。敵もいれば味方もいる。誠実に進めていれば、味方のほうが多いはず。そう信じてやっていきたい。
きょうはスポンシーとともに渋谷のグループへ行った。なんとここでもNZ方式導入である。誰も前に出ないので、司会者がいきなりぼくを指名してきた。うーん、とかいいながら、結局15分くらいベラベラとしゃべりまくってしまった。ストレスフルなことの過ぎ去ったあとというのは饒舌になるね。
外野からいろんな球が飛んでくるが、あんまり気にしないで休日を過ごそう。だって、やるべきこともすべてやったし、良心の声に従っているので不安もない。ただ、新しく傷つく人のいないよう、神に祈るのみである。そして、わあわあやる人に対しては「この人たちは病気なのだ」と黙想する。また、もう一段、決断を進めるときがまた来るだろう。
雨の降らないうちに、昼間、大久保まで自転車で出て、昼食。いったん帰って読書。まもなく夕方になる。今朝は午前のミーティングに出るつもりだったのだが、目覚めたら珍しくもう九時を回っていた。目覚ましなしでだいたい七時台に起きる日が続いていたのだが、最近疲労がたまっていたのだろうか。きょうは、夜のミーティングだけにしよう。明大前までの土休日回数券(14枚)が、二ヶ月経たないうちにみんな無くなる。これはみんなスポンシーたちのおかげ。ぼくは支えられているのだ。
日本マクドナルドホールディングスの株式を、権利確定月の月末約定日に保有していたので、優待券が届いた。しかしながらこれが、どれもビッグサイズのポテトや飲み物がもらえるタイプでどうもぼくの需要にそぐわない。
考えた末、中野の金券屋で売却した。買取金額は2400円。この株の取得と売却で出した損が数万円あったので、焼け石に水ということか。優待は忘れた頃にやってくる。
金髪から戻して二回目の散髪。もうネイティブな黒髪がほとんどになってきた。明日から職場分会の執行委員会が始まるし、来週はもう授業開始である。とどめを刺すために、夜、さらにクリームで黒に染めた。もう真っ黒で、金髪にしていたなどということは、文字通り、毛ほどもわからないであろう。むしろもともと白髪だった部分まで黒く染まっているので、逆に30代前半の頃くらいに若返ったような気分である。
あーまた今週もだいたいやるべきことをやり尽くし、みんなと相談して結果を出す。何回も何回も作り直して、満を持してリリース。これでたたかれたらもうしらん、っていうくらい。
しらふになってそういうことができるようになったのだが、人と共同でなにかやるって、こんなに面倒で、こんなに充実感もあるもんだなんて。そのかわり、何かあったときも共同責任である。いっけん、矢面に立っているのはぼくだけのように見えるのだが、実はうしろに何人もの人たちの助けがあるのだった。
約四万の経費がかかり、共済が六割、自己負担四割の覚悟だったのだが、なんと職場が自己負担分を全額負担してくれた。よって、自己負担額はゼロ円。払った約四万が、行って来いで、そのまま現金で封筒に入って戻ってきた。ラッキー。
もともと自分の財布から出た四万何がしなのだが、なんか空から降って湧いたような四万円に見えてくる。あぶく銭なら使っちゃえ……とか思ってつい歌舞伎町に行ってしまいそうな気分になるが、いやいや自分の財布から出た現金なのだから、ちゃんと自分の普通預金口座に戻そう、と思いなおすのだった。
みんな、会社が倒産する前に、福利厚生は利用しといたほうがおとくだよ。
仲間の正直な話が胸にとてもよく突き刺さった夜であった。なんか過去の話ばかりして、今の問題をないがしろにしている気がしてきて、恥ずかしくなる。過去の共通な問題はもちろん大切、今の問題も大切、何一つどうでもいいことなどないのだった。
帰り道「森田さん、いま何が一番欲しいですか?」と明るく聞かれ、答えに窮する。結局まだぼくは金と女と名誉と地位と、そんな下世話な欲望の中で生きているのではないか。そして、仲間の愛と寛容の中にどっぷり浸っていても、なおもいつもなくなりはしないかと不安で、自分が不必要とされる日がいつか来るかと不安で、味方を探しているだけなのかもしれない。
だからこそ、個別のケースを、きちんと誠実に取り組んでいきたい。
重要な問題である。自分がそうしたければそうする。人にやらせるという話ではない。施設や病院に入っているならまだしも、われわれは完全に自由にこのプログラムをやっていく権利がある。
そう、週一回くらい休みを作ってもいいかもしれない。自分に厳しい人は人にも厳しくなる。正しいことを言うときは、正しくない人を傷つける。そんな道理がわかるようになったのはほんとに最近のことだね。
最近よく「明日、死ぬかもしれない」と思うことがある。今日を悔いなく生きるためのスローガンのようでもある。
今夜はうまいものを食おう、と思った。松屋あたりでいつも豚めしやカレーを食っている自分としては、600円くらいする定食類は豚めし二杯分!!とか思うと、途端に、食う意欲が萎えてくる。
とくにこの「牛焼肉定食」に至っては、630円もする。松屋で630円なんて、スペシャルプライスですよ。一度食ってみたかった。ということで、今夜は食ってみました。
塩コショウで焼いてあり、おろしもついてくる。生姜焼き定食のときのあの惨めなくらいの肉の少なさを思うと、さすがに値段だけあって、たくさん肉が盛られている気がした。
そして味は……うまかった。ほんとにうまかったよ。
明日死ななければ、また何かうまいものを探して食べようか。でも父から受け継いだ貧乏性なので、そう簡単には抜け出せずにいるだろう。
貧乏性とか前回書いときながら、食道楽は一気にエスカレートする。きょうは木曽路でしゃぶしゃぶ。いやー、すげー高かったよ。一人でウン千円。恐ろしくて正直に書けません。肉の追加だけで2,625円だもんね。ま、きょうの株の儲けの20%と言っておこうか。一時、官僚の不祥事で「◎◎としゃぶしゃぶ」って流行語にもなったね。
でもはっきり言ってぼくにはグラム150円の肉もグラム1500円の肉も、どっちもうまくて、違いはよくわからん。ならば、やっぱり松屋の牛定で喜んでいるほうが、自分の身の丈ということなんだろうね。
きょうは社会勉強にもなりました。店員に帰りのタクシー呼ばせてる客もいたし、金は余るところには、たくさんうなるようにあるのだと気がつきました。
食事の話題が続く。きょうは仲間と韓国鍋をつつく。ちぢみや蟹なども。辛い。すげー辛いよ。お尻に悪そう。明日が怖いね。
新宿の職安通りや新大久保のあたりは、もう完全に韓国人の人たちの生活文化圏という気がする。国境作ってあげてもいいくらいかも。スーパーなんかはもう、日本人が買い物に入っただけでも違和感があるくらい。
鍋をつついて、一人約1800円。松屋の豚めしだと六杯食えて、きのうのしゃぶしゃぶの約五分の一。何が高くて何が価値があるのか、よくわからなくなってきた。みんなで食べるとうまいというのは確かなことのようだ。