少し陽気が戻ってきた一日だった。心なしか街の人出が多いように感じた。山手線も混んでいたし、荻窪も新宿も大久保もすごい人出。不思議な感じ。
人にあまり言えないようなことを次から次へと進めている自分。これもまたミッションかもしれない。自分の役どころというのがあるのである。たまには泥をかぶる必要もある。そして楽しみを密かに挙行する自由もある。組織活動をずっと続けてきたことの成果が現れるのかもしれない。
そしてまた自分の拠点に戻るといつもの仲間の顔。ここにいれば救われる。きっと続きがある。
きょう郵送されているはず。明日か明後日か日曜あたりまでにはわかるだろう。そうするとまた次の羅針盤を回すことになるであろう。
残念ながら、東京大学農学部生物環境工学専攻への学士入学試験(三年次編入)受験の結果は不合格であった。全力を尽くしたことに悔いはなく、また応援いただいた皆さんには感謝の意を表したい。そしてハイヤーパワーの意思と配慮は、この入学を進めなかったということであろう。ミッションはおそらく他にあるのだ。
一ヶ月そこらの準備で入れてもらえるほど東京大学は甘くはなかったということである。しかし次を目指してまた立ち上がり、ピンチをチャンスに変えて努力していきたいと思う。
仲間と会う用があり浅草へ。少し早く着き浅草寺境内に入る。日曜の浅草はすごい人出だ。先日の不合格の落ち込みもあり、少しブラッシュアップしたいところ。門に入るとお香を焚いていて、まずはそれを髪の中にまぶす。護摩焚きとかって不思議な風習である。西新井や川崎の両大師でも見た覚えがある。げんをかついでちょっと安心する。厄除けにも通じるのかもしれない。
おみくじも引いてみる。キリが良く第十番。抽斗から出してみたらなんと「大吉」。大吉引いたのなんて一生で初めてかもしれない。いっぱいいいことが書いてあるので引用してみよう。
「過去の不幸や多くの悩みも消え去り、良いことが起こるでしょう」
(Bad old things will turn into happiness.)
「新しい望みが出てくるとともに、財産も充実することでしょう」
(New hope appearing, you will get treasure.)
「雲の上に望みを求めるように、高い望みを求めてごらんなさい」
(You can find hope on the cloud in the sky.)
「枯木も春には花が咲くように必ずや繁盛することになるでしょう」
(Just like dead trees bloom flowers when spring comes, everything will be prosperous.)
全部英訳付きなのがまたすごい! インターナショナル浅草寺である。
上記以外にも「願望」「病気」「失せもの」「待ち人」「新築」「縁談」「旅行」「付き合い」などみんな、叶うでしょう、現れるでしょう、すべて良い結果となるでしょう、のオンパレードである。なんだかだんだんそんな気になってくるから不思議だ。来年は東大医学部の大学院に受かって、卒業後ハーバード大学に留学できるような気がしてきた!
まあともかく目の前にあることを地道にやっていこう。
きょうは第一スポンシーのバースデーの司会をさせてもらった。あまり自助団体の話はここに書かないことにしているのだが、きょうはちょっと特別な感慨であった。集まっているメンバーも多かったし、自分の中のモデルケースという気がする。
いろんなことが人生には待っているが、乗り越えられない試練はない。仲間がそばにいるから、何もかも受け入れられるのである。
一緒にやっていけることを誇りに思う。
メトロの定期券が一ヶ月経って切れたため、今度は東武東上線のときわ台←→池袋間で購入。これで自転車の寒い運転から解放される。小竹向原だと自転車だったが、ときわ台だと歩いていけるのである。とは言っても徒歩15分。下落合の頃の徒歩3分は近かったなあ。
しかし東武は途中駅の使い手があまりない。大山のハッピーロード商店街に下車するときぐらいだろうか。北池袋も下板橋も中板橋も何もない。まあ池袋にすぐ出られれば、あとは丸の内線やJRでどこにでも行けるからなあ。
今月は実家に帰る期間もあるし2月は28日までしかないので、定期券があまりフル使用できないのだ。でもバイクに乗れるにはまだまだ寒くて、やはり定期で出かけたいところ。
日々過ぎて行く時間の早さをひしひしと感じる。春宵一刻値千金という七言句があるが、まさにそんな感じ。受験用の学習時間が限られているからそう感じるのかもしれない。しかし探していけばたくさん時間があるのも事実。時は平等に刻まれている。
やはりここは与えられている役割や、進んで提供したい時間のことなど、優先順位が問われている感じがする。そして喜んで手放そうとした瞬間に、それは価値をもって戻ってくるのであった。抱きしめて手放すまいとすると皮肉にも手からこぼれていく。まるであなたの心のようだ。あなたとともに生きるには、奉仕することを考えるのが近道かもしれない。
評議会や地域のローカル集会が連続する。ぼくの役どころはなんとかやりおおせたと思う。そしてグループに戻り分かち合い。スポンシーたちに支えられている上に、尊敬する先行く仲間がずらっと目白押しに訪問してくれる。ミーティングで並んでいた仲間のソーバーは一列だけで合計80年くらいあったかもしれない。
井荻で皆で夕食の時間。岐路は迫ってくる。全力は尽くす。人生の並木道。
東京大学大学院情報学環教育部研究生の一次試験を受験。筆記試験2時間。往年の大学入試を思い出させる。東大の記述試験はA3タテのでっかいマス目か大ぶり罫線の解答用紙なのだった。学部の一般入試は、選択科目の部分をハサミで三角形に切る。今回はとくにそれはなかったが、選択した問題の記号を書き込む欄があった。
感触は…。今回も渋いところだった。自信を持って書いた解答も、直後に確認してみたら国名や出版社名、著者名など基本的な部分を間違っていることに気づく。減点だろうなあ。まあそう甘くはないのだった。
来週一次の発表があり、二次試験へと進む。足を切られたらまた別の選択肢を探すことになろう。
ちなみに研究生というのは正課生ではないので、正式な大学院生ではない。だから研究生は、所属している正式な学部や大学院があり、あるいは社会人だったりしながら、教育部で研究するという主旨なのだ。でもやっぱり受かりたいところ。
同名のお菓子がある。木、金、土と二泊三日で小倉の実家に帰省。
実家に長いこと置いてあった大学時代の教科書類をダンボール詰めして、東京に送った。二十数年ぶりに東京に戻ってくる。物理や数学の本類である。裳華房、朝倉書店、岩波書店。そして自分の受けた定期試験のプリント類や卒業論文もある。卒業論文を読んでみると、まったくの別世界だった。自分が書いたものだとはとても思えない。でも確かにぼくが1989〜1990に書いたものなのだ。試験問題と計算用紙も見てみる。びっしりと計算式が書かれている。微分記号や数値計算の跡。脳味噌をフル稼働させていた。いま使っている脳の箇所と明らかに違うのだと思う。
今回は父や姉ともよく話をした。そしていつもならまったりと過ごす滞在期間が、とても短くあっという間という感じがした。もう出発日か、という印象。
往復には日本航空のマイルを使った。マイルを現金換算すると、だいたい2倍半くらいの価値があるように思える。もう一回分くらい国内なら往復できるくらい貯まっている。
父からは一年くらいのんびりしたらどうかと言われる。それもそうだろうか。自分の足元を良く見て人生を考えたい。
初めて六本木ヒルズに足を踏み入れる。すごい摩天楼。skyscraperだ。空を削るような建物がそびえ立つ。そして外を見ると、ライトアップされた東京タワーが赤く光っている。ここは都会の真ん中だ。田舎者の自分は肩身が狭い。
ミーティングに出てみる。仲間に誘われたのだ。英語のミーティングなので、全部英語だ。書籍読み合わせも英語、司会者の説明も英語、自己紹介も英語、スピーカーもフェローもみんな英語である。アメリカに来たときみたい。正確には「行った」ときなのだが、まさに「来た」っていう感じである。ああやはり世界の共通言語は英語なのだった。
地下鉄ですごすごと帰る。霞ヶ関で丸の内線に乗り換え、池袋で東上線に乗る。大山あたりでやっと日本に帰ってきた感じ。ハーバードもケンブリッジもあまりに遠し…。
きょうから一般入試の東京大学2次試験が行なわれている。今週から本郷三丁目の地下鉄駅構内に大手予備校河合塾の広告が大々的に出され、受験生を応援している。大学構内にも下見に来る受験生と母が散見された。地方から泊りがけで来ているのだろう。なぜか「母」と子なのであった。ぼくの時は現・浪2回とも一人で来たよ。お母さんはご心配なのでしょう。
そういうわけで大学構内に二日間入れない。図書館が使えないのが大きい。駒場も試験場になっていて使えない。今日と明日は自宅学習である。
先日受験したことを書いた大学院研究生の試験結果は一次で不合格。残念。Webでも結果が公表されているが、三倍以上の倍率だったようだ。年度内ではあと一つ受ける予定。三月までの駆け込みで願書を出せる大学や大学院もたくさんあるようで、電車の中吊り広告などでたくさん願書受付中の文字が躍っている。でも私立はやはり学費が高くて手を出せない。あまりレベルを下げたくないというのも正直なところ。下げるとずるずる妥協しそうでこわい。人生を賭けるのだから、納得の上で進めたい。
今週は卒業した研究室の教授にも会いに行った。まだご健在で定年退職直前の様子だった。原子力業界の話や同窓生らのその後についても聞く。指導教官の中には残念ながら亡くなった方もいるようだった。小一時間相談に乗ってもらって、研究室をあとにする。門はたくさんあるのかもしれない。卒業後、学科の改変が進み、工学部(大学)も工学系研究科(大学院)も複雑になっているようだ。やはり英語や物理は必須といえる。試験対策が当面の課題である。