牛丼サンボにて昼食。(゜д゜)ウマー。お皿注文。殺伐とした雰囲気が落ち着く。
OverTopという、パーツショップ。アキバデビューの頃、よく、足しげく通ったものだ。Pentium対応のSocket7マザーボードを初めて買ったのもこのお店である。そのOverTopがついに店じまいである。10年近くお世話になった。ま、本体のメッセサンオーは営業を続けるし、OverTop2は生き残るらしいから深刻なお別れではないのだが、店舗がなくなることだけでも少しさびしい。
しかしながら、最近の自分はといえば、パーツやソフトはあまり買う気がしない。コンピュータ講師をしているというのに、いまだにSocket370のPC使い続けてるしね。
アキバは、電器と部品の街→PCとアニメの街→今はエロとモバイルの街になりつつあるようだ。ま、それは主観か。
以前、秋葉原を歩いていたときに、たまたまAMDのキャンペーンにぶつかり、写真に掲載されてしまったことがある。
三年ほど前に中古で購入した液晶モニタが故障した。昨夜まで何の問題もなかったのに、けさPCの電源を入れたら何も映らない。ケーブルの接触か、ビデオカードか、などと考えて点検するが、どうもモニタの問題だけのようである。その証拠に、モニタの電源をいったん切り、再び入れると、いっしゅんデスクトップ画面が、幻のように映る。んー、困った。中古品の寿命は自分の考えているより短く見積もるべきだったか。これではメールすらチェックできない。「いっしゅん映る」ということに希望をつなぎ、分解を試みることにした。
昔のようなCRTブラウン管と違い、開けて高圧部に触れて感電といった危険もない(はず)。ねじを緩めてプラスチック筐体を取り外し、中の基盤(ホンバンじゃないよ…)とパネルとバックライトを点検。とくに外傷やショート跡もないようだ。電源のオン・オフを繰り返してみる。すると、基盤の端に独立したトランス付きの棒状基盤が別にあり、ここがどうも、オン・オフ時に反応しているように見える。インバータらしい。で、インバータに電源を供給している4pinの端子を抜き差ししてみる。プツプツと音がする。何度か抜き差ししていると、プツ……パッとついた。おおっ回復。いやー勘が良かった。早くも復旧。ほんの日曜大工程度の直感と試行だけだったが、見事になおった。よかった。でもまたいつおかしくなるかわからんな。ま、使える限り使い続けよう。
というわけで、久しぶりにアキバへ。一回りして液晶モニタの相場をチェック。なにー、こんなに安くなってるんですか。新品15インチで18,000。17インチで23,000。19インチでも29,800。三年前の中古価格がそのまま遷移しているといった感じ。中古はさらに言わずもがなで、15インチだと10,000を切っているものすらあるね。そして、CRTタイプはもうほとんど姿を消している。隔世の感。液晶モニタつき新品パソコンが60,000円台で出せるのはこうだからなのだね。モニタはとりあえず、また映らなくなったら買おう。きょうは価格調査のみ。
すこしアキバをぶらついてから、めしも食ったしぼちぼち帰ろうかと思って駅前に戻ってみたところ「完全メイド宣言」の青空ライブに偶然遭遇した。三曲ほど披露していたが、すごいひとだかり。口パクじゃなくてちゃんと歌っていたようだ。盛り上がりを引き立てていたのが、熱狂的ファンである。いっしょになって踊ってるよ。しかも、振りまで決まっているみたいだ。高校生のころに河合奈保子を追っかけていた自分を思い出して非常に気恥ずかしかったよ。でもメイドさんたちかわいいし、スカートの下の白いレースがなんとも悩まし杉。いいものを見せていただけました。
先日メディアが切れたので、10枚ほど買っておこうと思ったのだが、いまはもうほとんどDVD-Rの時代なんだね。どこの売り場に行ってもCD-Rは店の影にひっそりと置かれているし、量販店では昔よりむしろ高値になっている。どういうことだろう。需要が少なくなると供給も減るし、自然と値段も高騰するということか。しかし、念入りに小さい裏手の店も細かくチェックし、10枚148円、ケースつきというのをついに発見して購入。一枚単価14.8円。これなら過去の記憶の単価20円が最安だったころを下回るね。CD-Rに関しては、ヨドバシやビックよりもアキバの裏道のほうが安いという法則がいまだ健在のようだった。
夕方まで四谷の図書館で時間を過ごしてから仲間のところへ。トラブルでスタートした一日だったけど、なんだか仕事もサービスもまったく入る余地がなく、とてもとても休日らしい一日だった。
会場地図作成プロジェクトということで、年末より準備してきたものがある程度かたちになってきた。仲間とのミーティング会場の地図を地区単位で集めたものなのだが、東京都内の地区の会場は、一地区あたり20以上あるのである。すべてスキャナーで読み込み、周りのデータはエクセルとワードを駆使して構成。本当ならDTPソフトを使ったほうが楽なのだが、後の仲間が専門的なDTP知識を持っていなくても引き継げるよう、あえてワードとエクセルなのである。画像はすべてTIFFファイルである。
神奈川や埼玉、そして多摩と同様、この地区もグループが多いのでそろそろ分割の時期では?と思うのだが、それは地区で必要に迫られて議題が出てきたときに考えることになるであろう。
放送大学の今期の試験がすべて単位取得できた旨、通知書が届いた。これで124単位すべて取れて「人間と文化」コースの卒業が決定した。先述の通り四月以降も専攻コースを変えて再入学するのであまり変わり映えはしないが、ともかく一区切りついたということでちょっとうれしい。ここのところドイツ語にいそしむ日々だった。これからは英語への取り組みである。
同名のお菓子がある。木、金、土と二泊三日で小倉の実家に帰省。
実家に長いこと置いてあった大学時代の教科書類をダンボール詰めして、東京に送った。二十数年ぶりに東京に戻ってくる。物理や数学の本類である。裳華房、朝倉書店、岩波書店。そして自分の受けた定期試験のプリント類や卒業論文もある。卒業論文を読んでみると、まったくの別世界だった。自分が書いたものだとはとても思えない。でも確かにぼくが1989〜1990に書いたものなのだ。試験問題と計算用紙も見てみる。びっしりと計算式が書かれている。微分記号や数値計算の跡。脳味噌をフル稼働させていた。いま使っている脳の箇所と明らかに違うのだと思う。
今回は父や姉ともよく話をした。そしていつもならまったりと過ごす滞在期間が、とても短くあっという間という感じがした。もう出発日か、という印象。
往復には日本航空のマイルを使った。マイルを現金換算すると、だいたい2倍半くらいの価値があるように思える。もう一回分くらい国内なら往復できるくらい貯まっている。
父からは一年くらいのんびりしたらどうかと言われる。それもそうだろうか。自分の足元を良く見て人生を考えたい。
理学系研究科で博士号の学位を取って就職した人たちの体験談を聞くセミナーに参加した。さまざまなお仕事をされているようだったが、全員が同じコメントだったのは「博士論文を書くために実践したプロセスが、その後も役に立っている」というもの。たしかに多くの時間と労力を研究生活の中でつぎ込んだのであろう。努力はすべて結晶化し、われわれの人生の血となり骨となるのである。
まだ学部生の自分としてはこれからたくさんの努力過程が待っているものと思われる。他の人の体験から自分の将来をシミュレートできるのかもしれない。
● 薫 [おめでとうございます! 見習わねば。]