仲間と連れ立って北海道地域の宿泊研修会に参加した。二泊三日。開催地は洞爺湖であった。観光はメインではないのだが、中日のプログラム開始前に、湖上を走る遊覧船に乗船し、中之島でひと時を過ごす。ちょうど雨が上がっていたときだったし甲板の上の風も心地よい。羊蹄山が雲に隠れてちらとしか見えなかったのが少し残念だった。
北海道の宿泊研修会は特別な感慨がある。理事になったばかりのときの夕張。財務問題で多くの仲間から質問や疑問を投げかけられた。しかし自分の立ち位置は見失わなかったと思う。はじめてしらふで北海道の地に立ち、札幌と夕張をJRで往復できたのが楽しかった。評議員経験者との毎回の交流。やはり人と人との関係がぼくの大切にすべき第一のものかもしれない。帯広、十勝川に仲間と一緒にツアーを組んで行ったときは、グループメンバーも一緒だったし家族旅行のようだった。六花亭で初めてお茶を飲んだし、九月にもかかわらずバス車内で暖房が入っているくらい寒いのが印象的でさすがは北海道と思ったものだ。そして帯広の研修会の時、帰り際に現在の妻に連絡先のカードを渡したことを思い出す。あれがこの結婚に至る始まりだったのだと思う。
今回はあいにくの雨にやられる場面も多かったが、ミーティングやフォーラムは楽しく過ごせた。地域の仲間に結婚の報告もできた。そして三割くらいが本州からの参加の仲間だということだった。来週は山形で同様のイベントがあるが、震災以降東日本圏への全国的な関心が集まっているものと思われる。古いメンバーと久しぶりに会うこともでき、良い集まりだったと思う。
翌日月曜まで札幌に滞在した。新千歳空港がリニューアルしているし、旅はますます快適になっている。またあちこち出かけたいと思う。来年は旭川だろうか。
修士課程の大学院入試は不合格であった。残念である。力不足以外の何物でもない。けっこう数学は過去問を楽しく解ける感じになっていたのだが、150分で15問選択は厳しかった。TOEFLもそうだが、短時間で大量の問題と取り組むという、大学入試並み、あるいはそれ以上の緊迫した受験感覚を取り戻さなくてはならないのを実感する。
学問の扉はなかなかステップアップに厳しいようである。次回以降のチャンスに万全で臨みたいところである。
試験も発表も終わり少し間があるので、仕事を退職した自分の今年の税務を試算してみた。来年早々確定申告することになるが、どのような結果になるか。
収入面。いま生活の原資になっている雇用保険の失業者給付は非課税である。セーフティーネットはありがたい。三月までの給与収入は、支払いベースでも100万円に届かない。あと若干の不動産収入。これは年末までの収入額がほぼ確定しているが、正規の簿記で青色申告すると10万円が控除されるし、税金や管理費が結構かかっているので経費計上して所得は微々たるものとなる。退職金は800万円までは非課税である。これもありがたい。共済への個人年金の積み立てが打ち切られたので一時金が入ったが、投入した原資との差額が50万円に満たないのでこれも非課税。生命保険の一時払いも原資がそれを超えていて非課税。税制はぼくの味方ばかりしてくれているようである。失業者に優しい国だ。収入はけっこうあったが税法上の「所得」となると50万円にも満たないことがわかった。
控除の側はみなさんもご存知かと思うが、国民全員に基礎控除38万円がゆるされている。もうこれだけでぼくの所得の大半は控除されているが、国民健康保険料、国民年金保険料、生命保険料など積んでいくとあっという間に所得額はすべて控除される。所得から控除額が差し引かれてゼロになると、無税となるのだ。うれしいやらさびしいやら。今年の所得税はぼくはゼロとなる見通しである。在職中に源泉徴収された三か月分の二万円強が、まるまる還付されることだろう。あと来年度の住民税は所得割はゼロになるので、均等割の数千円だけとなる。今年の住民税がまだまだ重いが、来年は身軽になりそうである。
きょう台風15号が日本列島を横切るようである。昨夜から激しく雨が降り続いている。先週の金曜深夜あたりから雨が始まった。それ以来バイクに乗らず電車とバスで移動している。
天気図を見るとすごいことになっているが、実際は雨風が降り続いているわけでもなく、降ったりやんだり、吹いたり凪いだりである。外が荒れているときというのは、室内で落ち着いて勉強ができる。晴耕雨読が地で行ける。こういう日を大切に活用したい。
試験が続きTOEICやTOEFLで打ちのめされまくったこの一年だったが、やはりここで会話以外の試験対策をしなくてはと考えあぐねている。英語雑誌の中で勝間和代がはじめて受けたTOEICが420点だったということを書いており、それってぼくの今のスコアじゃん?と、一気に親密感を感じたのだった。何かやればスコアアップが可能かもしれない。そう思う。
大学受験のときに使った増進会(Z会)、英語教育のアルク、他の生涯学習団体も多くのところがTOEIC対策を用意している。LOST状態で勘でマークしていくのはもうやめたい。じっくり時間があってテキストがあれば読めるのだが…と、古い英語教育を受けた人たち(ぼくも含めて)は思うのだった。
少し検討して、この秋からの取り組みを組み立てよう。
入試生活の中で自分のレベルは客観的にどのくらいなのかを測る基準として、大学入試センターの実施する「センター試験」の得点力がある。ぼくが高校生のときは共通一次試験と呼ばれていた。国公立大学および福岡県の産業医科大学を受けるには、この共通一次試験を受けなければならず、この試験の成績を元にどこか一つの国公立大学を受けられるというものだった。その後国公立も前期・後期と分けられて二ヶ所の受験機会ができたり、他の私立大学もこのセンター試験を利用するようになったらしい。共通一次試験が実施されるさらに前(昭和40年代から50年代の前半)は、国公立は「一期校」「二期校」と分かれていて、明確な大学の序列があったと聞く。大学の序列を解消するために導入した共通一次試験が受験機会を狭め、その結果大学の一元的偏差値序列化を促進してしまったのは皮肉なことである。
当時の共通一次試験は誰しもが5教科7科目を受けなければならなかった。英数国はそれぞれ200点満点で、理科と社会は1科目100点満点のものをそれぞれ2科目受けて400点満点。合計で1000点満点だった。東大や京大の二段階選抜(足切り)は700点台後半から800点台だった。そこに達していないと門前払いになるのだ。今もその制度は残っていると思う。ぼくは現役、浪人と二回この共通一次試験を受けたが、現役の高校三年のときには860点、浪人した予備校生のときは850点を取れた。配点が二次試験に大きく偏っていたので、センター試験の成否はあまり関係がなかったといえるが、そこそこのレベルに達していれば自然とセンター試験も得点が取れるものだ。
有名予備校である駿台予備学校の発行するセンター試験模擬テストを購入し、全科目解いてみた。本番と同じ時間で区切り、きちんと鉛筆でマークシートにも記入した。一通り終わって自己採点もしてみたが、レベルはかなり落ちている。比較的得点できたのは数学、物理、国語。しかし六割程度の得点。化学や社会、英語などは五割を切っている。英語はリスニングもあるので足を引っ張られるのである。記憶がものをいう科目はやはり壊滅的である。比較的得点できた数学や物理でも、余弦定理・方べきの定理など幾何の部門や回折・振動波動の部門はほとんど無力であった。
試験はそれなりの訓練と短期的な記憶力の勝負かもしれない。全体的な論文作成などは社会経験と論述訓練ができているのである程度可能だが、受験勉強の分野は再開拓が必要かもしれない。
どんな試験内容であったとしてもこのブログでも再三書いているように、おそらく英語の力というのはどこに行っても応用が効くし役に立つだろうと感じている。