_ おかしなタイトルですねぇ。たしか「最強! Linux」なんていう書籍の題名は聞いたことがあったような…。わたしの場合PC-UNIX歴は浅くてまだ二年です。だからまだまだLinuxは最弱です。エラーが出てバイナリが動かなくて、途方に暮れる^^;という場面にたびたび出くわします。わからなくて手出しできない部分がまだ山のようにあります。Windowsだと開発部分に踏み込むケース以外は「わからなくていい」ということが往々にしてあります。ユーザーはMicrosoftの意のままに操作してればいいということで、変に興味を持ってシステムファイルやレジストリをいじろうとすることは、「危険」なのでやめなさいと言わんばかりの警告があふれています。Win98でWindowsフォルダを開こうとすると、隠されるというのはどういうことでしょうか。ユーザーというのはMicrosoftからは信用されてないんだと感じますね。DOSから続いているユーザーであれば、どのファイルがどこにあってどれがテキストでどれがバイナリか…ということは当然いちばんはじめに押さえなくてはならない基本でした。でもWindowsになってからはそういうのは余計なことらしいです。それが世の中の趨勢かと思っていましたが、LinuxやFreeBSDではやはり何もかもがファイルで管理されていました。ディレクトリとかも、もともとUNIXのものをDOSがまねたという歴史的経緯もあるという話だし、DOSの知識は無駄になっていないと思います。逆にMacやWinのGUIなインターフェイスしか知らないとしたら、Linuxのコンソールなんて
ただの真っ暗闇でしかない
かもしれません。Windows95プレインストールのパソコンをはじめて購入して、DOSアプリを動かしたら、パソコンが壊れたと思ってうろたえた人が続出したという話は、笑えない事実です。画面に衝撃が走るし、急に真っ暗になったら誰だって怖いっす。いったんGUIインターフェイスに慣れてしまったわたしたちは、果たしてテキストベースのコンソールに戻れるのでしょうか。しかしX windowもありますし、起動時のログインから既にXが立ち上がってくる仕掛けであるxdmというパッケージもあります。最近のTurboLinuxとかはよくできたもので、インストールもびっくりするくらいの簡単さになってきました。そしてインストール直後からXが使え、デスクトップは完備され、ネットスケープも日本語化したものが立ち上がってくる…という至れり尽くせりです。ネットスケープメールのフィールドにカーソルをクリックして、Shift+スペースを押すと、いきなり日本語入力が可能になってしまったのには驚愕しました。あぁ、もう、何にもしなくていいんだ…ぼくらは…みたいな(笑)。でもやはりいろいろわかっていないと動きが取れなくなるのは事実です。何にもしなくていい…といっても「Windowsの何にもしなくていい」とは質が違うので、やはりアプリを追加したり設定を変更したりするときには、ターミナルが必要です。全部GUIでやってしまうというのは確かに理想でしょうし、実際GNOMEやKDEはそれに近づこうとしていますが、これが成熟するまでにはまだまだ時間がかかるでしょう。
わたしがメインのOSをLinuxやFreeBSDになかなか切替えられずにWindowsNTを使い続けていたのは、大きな理由が一つありまして、それは「かな漢字変換」でした。何度かWebでも書いてきたと思いますが、わたしははじめてJISキーボードを触れたときから一貫してかなタイパーだったのです。ですからデフォルトでローマ字入力を前提としているPC-UNIXのフロントエンドを変更しなくてはならないのです。これはもう効率がどうとか良い悪いの問題ではなくて、指が平仮名打ちしかできないのです。無理してローマ字打ちをやれば打鍵数がほぼ倍になるだけでなくキーの場所も不慣れなので、同じ文章量を打つのにも3倍~5倍の時間がかかってしまいます。これではとても使い物になりません。しかしLinuxにはWindowsのIMEみたいに、ボタン一発でローマ字→かなを切替えられるものなど存在しないのです。
ただ、ひとつだけ比較的簡単に設定を変えられるものがありました。それは商用のVJE-Deltaです。試用版で試してみたところ確かにかな入力ができたのです。早速、今まで使ってきたhtmlなどのテキストを編集しようとしてみたところ、また新たな難題にぶつかってしまいました。VJE-PENというエディタは日本語DOSテキストのS-JISコードを通してくれず文字化けしてしまうということでした。他のEmacsとかに日本語変換だけVJEを使えるようにしてやればいいのですが、それもけっこう面倒です。ああ面倒なことばかり。おまけにEmacsってむちゃくちゃ重いし、ファイル保存すると「*.*~」みたいな気色悪いファイル名のファイルが勝手にできるしうまく消せないし、な~んか嫌な感じ。そもそもソフトがみんなディストリビューションについてくるのがLinuxの特長であり強みだったはずなのに、なんで有料ソフト買わねばならんのだ。しかもそれをNetscapeやEmacsで使うだけでもごちゃごちゃ設定しなくてはいけなくて、ちょー面倒。もうやめよっか…って感じでした。
最初からどの日本語Linuxパッケージにも入っているCannaにもかな入力を設定するファイルがついてくるのですが、これを設定しても出てこない文字があるのです。たしかに大部分のかな打ちができるのですが、「ね」「る」「む」といった句読点からみのキーが出てこないのです。必死になってインターネット中をヒントを求めて探し回りました。このときかな入力の需要など世の中に何%もないという現実を知りました。わたしは少数派だったのか……。答えは出ません。いつまでもいつまでも、この「ね」や「る」が出ない問題の呪縛にとらわれ続けて生きていかなくてはならないのか、というと大げさですが、実際にそれが大きな理由でメインOSをLinuxに切替えることができないでいたのです。
しかし、ついにこの出ない文字を出す方法を知ることができました。どこかの掲示版でその答えを見つけたのだったと思います。場所はもう忘れました。まとめますとCannaでかな入力するにはつぎの手順を踏めばOKです。
Cannaでかな入力をする方法
設定ファイル/usr/lib/canna/default.cannaを探す。ディストリビューションによっては/var/lib/canna/default.cannaなど違う場所にあることもある。エディタで編集します。
(setq romkana-table "default.cbp")を(setq romkana-table "kana.cbp")に変更する。
「;;シンボルの定義~」以下の行を全てコメントアウトする(行頭に;;をつけるだけです)。
ファイルを保存したら、cannaserverを再起動。ps axやプロセスといったことがわからなければ、Linuxを再起動しちゃえば間違いないです^^;。
これで全てのかなキーが使えるようになります。106キーでは「を」はshift+\、「ろ」はshift+@なのがちょっと使いづらいですが。
これで全てのキーをかなタイプできるようになりました。ということで第一の難関突破です。これでもうなんの心配もなくLinuxに移行できるぞと思い、慣れ親しんできたWindowsNTをいとも簡単にパーテーションごと削除してやりました。うっしっし。これでもうフリーズ強制リセットのときにWin98が勝手にScandiskかけて、NTFSのパーテーションをズタズタにしてしまう…なんて事故の被害を受けずに済むぞ(何度か起きた実話ホラーです)。そしてLinuxメインの生活が始まったというわけです。
わたしの場合メインとして使うためにはまず、インターネットへの接続の確保・そして快適なftpとWebの徘徊・メールの読み書き、といった条件が必要です。動かし始めた最初のメインはバージョン1.0で勢い込んで高価な「Pro版」を買い、その後も順調にベンダーの甘い誘いに乗ってバージョン1.4, 2.0, 3.0と買い続けてきた「TurboLinux」です。先日最新のバージョン4.0も買って、カーネル2.2.9でDual Processorにも対応!と喜んでいました。日本語設定やパッケージ管理も簡単で、あのSlackware+JE0.9.7の設定を繰り返していた
毎日が困難と辛苦に満ちていた日々
を考えると、こんなに簡単で飯田橋??だったのですが、そのうち悪いところが目につくようになってきました。やたらturboなんとか~という独自設定のユーティリティーが多すぎて、汎用的なLinuxのスキルが身についていかないのではないか…という不安。実際、SlackwareやFreeBSDで努力して積み上げてきた経験が役に立たない場面に何回か出食わしました。それだけならまだよかったんですが、リリースされたばかりの上位のカーネルを使っているせいか、堅牢なはずのOSがよく凍るのです(最近のbug fixをパッチあてすればどうかはわからない。PHTの名誉のため念のため)。Xだけ凍るならまだしも、全体が凍ったんではWindowsと変わらないじゃないか。コンソール版のDOOMが凍るのはなお痛い(これはどうもサウンドサーバーがうまく設定できていなかったみたい)。ということで他のディストリビューションに乗り換えることにしました。あとの候補のLinuxとしては、rpmパッケージの簡便さを考えると、RedHat系列しかないと思いました。Laser5の製品がまず頭に浮かびましたが、あれはどうしてもプリンタの設定ができずに苦労したし、ちょっと派手で重いかなぁ…というのが率直な印象でした。あとはネットワーク越しのSambaプリンタ(Windowsにつながったプリンタ)も楽々使えて、しかも軽いし日本語化がきめ細かいパッケージということで、白羽の矢は「Vine Linux 1.1」(ヴァイン リナックス)で落ち着きました。現在Vineを愛用しています。ftpもNetscapeもばっちりです。デスクトップ環境はgnomeは中止し、WindowMakerにしています。ダイヤルアップの「ppxp」で簡単に二つのプロバイダの切替えができるし、Vine Editorもシンプルでいい感じです。エディタはしかし日常の血肉でもある道具ですので、Emacsほどの重さは要らないが、そこそこの機能は欲しい、そしてわたしはWindowsからの転向組ですので、身についたカットアンドペーストのショートカットはあまり変更したくない、ということで条件を満たしてくれるエディタに出会いました。それはビレッジセンターから試用版の出ている「xzエディタ」です。昔懐かしいDOSのVZと言ったらご存知のかたも多いのではないでしょうか。あれのX11版のようなものです。まだ製品化前のαバージョンですが、なかなかグッドです。今もこのhtmlをxzで書いています。製品版出たら確実に買ってしまうでしょう。それこそベンダーの思う壷^^;。
次は当Webの要でもある、平面の2Dグラフィックですね。画像処理するたんびにPaintShopやPhotoshop使いたさに、いちいちWindows立ち上げていたんでは何の意味もありません。そこでPhotoshop以上の高機能といわれて名高い「gimp」を使うことにしました。なるほど、これはPhotoshopでなければできないだろうという処理の数々が、どれもgimpの中の当り前のような機能として入っていて、非常に驚かされました。フォトレタッチならWinかMacという固定観念は打破されたのです。自分なりにPhotoshopは使いこなせている域に達しているという自負がありましたが(もちろん、だからこそそれを学生の皆さんに教えられる余裕もある)、gimpの数々の機能とオプションの豊富さに圧倒されているこの頃です。JPEG圧縮の圧縮率の細かい設定などは、Photoshopでは足元にも及ばないでしょう。もちろんレイヤーやフィルタも思いのままです。しかも処理が速い! まさに最強の画像レタッチソフトです。それを使うわたしの技術力が全然まだ足りないのを感じます。わたしはまだまだLinux使いとしてはタイトル通り最弱の限りであることを、gimpの前では痛感します。
せっかくLinuxをメインに据えたのですから、お次はゲームですね。ゲームの土俵ではWindowsには叶わないかも…という現実もあります。実際、某新手のLinux誌ではLinux上でWindowsエミュレータを動かし、その上で
某マルチ嬢が「ふ~~~~~~」
って倒れている魅惑的な画像を掲載していました。しかしこれも所詮はWindows版のゲームです。だったらそんなややこしいことしないで、楽で・きれいで・処理も速いWindows上でゲームを楽しめばいいのです。グラフィックボードもWin98版のドライバの開発の素早さと更新頻度なら、十分練られているしバグフィックスも小回りが効くし、性能も発揮できているのではないでしょうか。実際今でもDOS版のDOOM2をやるときはWindows98のDOS窓に行きます。そうではなくて、やはりLinux版の伝統的なゲームをやる…というのが王道でしょう。で、秋葉の外れのLaser5で手に入れたのが「Linux版quake2 with mission pack」でした。
ソフトウェアレンダリングはあっけないほど簡単でした。CD-ROMをマウントしてsetupスクリプトを動かしてやるだけです。音も出ますし処理速度もまぁまぁ。で、更に今度はハードウェアレンダリングです。手持ちのMillenium G200でやってみたところ、……愕然の一言。むちゃくちゃ遅いのです。実用に耐えないほど。Milleniumの名誉のためにいうと、G200っていったってこれは2Dに特化したカードなのです。3Dゲームは弱いのは当り前です。Xの色数を16ビットにしてやると、まぁ許せる程度にまで動きました。さてさてどうしたものか。情報集めに入りましたが、あちこちで出て来るキーワードは3dfxです。これは有名なビデオチップベンダーの名前ですね。Voodooといえば3Dゲームが驚異的なスピードと美しさで動くことは周知の事実です。2Dもけっこうイケるらしく、仲間からもVoodooのスクロール性能の素晴らしさがHDbenchで実証できたような話も聞いていました。
このLinux版quake2のマニュアルにも、3dfx製のチップの乗ったボードならハードウェアレンダリングができるようなことを書いてあります。「ような…」というのは全文英語なのです。困難ですなぁ。英語圏に生まれたら楽だったろうに^^;。インターネットで情報集めを行い、次のお買いものはVoodooBansheeに決定しました。
秋葉原を見て回るとBansheeは一年前に一世を風靡したのでお値段も手頃。型落ちのDiamond Monster Fusionをゲットしました。Edge3D以来Diamond製品は決別したはずだったのでは……→kiyochan。Edgeが\38,800-だったことを考えると、性能は桁違いに素晴らしいこのBansheeが約1/5の値段です。信じられない技術の進歩~。わくわくして家路についたのですが、これからがまた困難と辛苦の日々だったのです。……次号へ続く。
まだむちゃくちゃ重いのには変わりがないのだが、リンク元大杉。なのでときどきこうして形式的にでも何か書かなくては、パンクしてしまいそう。それにしても「おっぱいぱふぱふ」とかで検索に引っかかっているのは何? 更衣室を上回るかも。
栄養失調気味なのか、池袋を歩いていると、すこしめまいがした。そこですぐに松屋で牛めしと生卵を食べる。体力復帰。池袋のサンシャインから東口に至るあのごみごみ感ってどうもダメ。西口のロマンス通りとか有名な立ち飲み酒場「ふくろ」のあたりとかの方が、はるかに危険度も高そうだし、欲望の露出度は上なのだが、それなりに警戒しながら歩けるし、いつも散歩コースになっている東武デパートとかが安心できるのでよいのかもしれない。西武はトイレが狭いのでどうも嫌。
100 円ショップでこないだ買ったインスタントコーヒーとはまた別のコーヒーが売られていた。今度はどんな味なのか楽しみ。Kreisを下回ることはまずないので、そのくらいは期待してもよかろう。今回のは製造者のところに「ダイソー」ブランドであることがはっきり印刷されていた。ちなみに輸入者名は、前回のは野田の朝日商事、こんどは広島の大創産業。
貧乏性とか前回書いときながら、食道楽は一気にエスカレートする。きょうは木曽路でしゃぶしゃぶ。いやー、すげー高かったよ。一人でウン千円。恐ろしくて正直に書けません。肉の追加だけで2,625円だもんね。ま、きょうの株の儲けの20%と言っておこうか。一時、官僚の不祥事で「◎◎としゃぶしゃぶ」って流行語にもなったね。
でもはっきり言ってぼくにはグラム150円の肉もグラム1500円の肉も、どっちもうまくて、違いはよくわからん。ならば、やっぱり松屋の牛定で喜んでいるほうが、自分の身の丈ということなんだろうね。
きょうは社会勉強にもなりました。店員に帰りのタクシー呼ばせてる客もいたし、金は余るところには、たくさんうなるようにあるのだと気がつきました。
九月最終週より業務再開。後期の授業はDTPとインターネットである。みなさんにできるだけのことを伝えたい。技術で経費は削減できるのである。
日本にアルコール依存症の自助グループの方法を伝え、初期のメンバーと共に歩いたアメリカの神父さんの追悼ミサが四谷で行なわれた。享年77歳だそうである。直接、間接、この人が命を救った人の数は幾千、幾万人にも及ぶことだろう。ぼくのいのちもその一つである。
静かに小雨の降りそぼつ夕方、ミサは終えられた。カトリック信者でないメンバーもたくさん来ていた。一般会葬者も最後には全員焼香をし、会場をあとにした。この想いと祈りがあとに伝えられるよう、われわれは活動を続けていかなければならない。
先週よりようやく開始。渡米以来すでに三ヶ月近くが経過し、すこしモチベーションも下がってきたが、やることに意味がある。二時間近く小人数クラスで、英語で会話。ネイティブが一人入っていて指導を受ける。これも新しい人生の一環だと思う。あまり余計なことを考えないで、とにかく続けていこう。
入試生活の中で自分のレベルは客観的にどのくらいなのかを測る基準として、大学入試センターの実施する「センター試験」の得点力がある。ぼくが高校生のときは共通一次試験と呼ばれていた。国公立大学および福岡県の産業医科大学を受けるには、この共通一次試験を受けなければならず、この試験の成績を元にどこか一つの国公立大学を受けられるというものだった。その後国公立も前期・後期と分けられて二ヶ所の受験機会ができたり、他の私立大学もこのセンター試験を利用するようになったらしい。共通一次試験が実施されるさらに前(昭和40年代から50年代の前半)は、国公立は「一期校」「二期校」と分かれていて、明確な大学の序列があったと聞く。大学の序列を解消するために導入した共通一次試験が受験機会を狭め、その結果大学の一元的偏差値序列化を促進してしまったのは皮肉なことである。
当時の共通一次試験は誰しもが5教科7科目を受けなければならなかった。英数国はそれぞれ200点満点で、理科と社会は1科目100点満点のものをそれぞれ2科目受けて400点満点。合計で1000点満点だった。東大や京大の二段階選抜(足切り)は700点台後半から800点台だった。そこに達していないと門前払いになるのだ。今もその制度は残っていると思う。ぼくは現役、浪人と二回この共通一次試験を受けたが、現役の高校三年のときには860点、浪人した予備校生のときは850点を取れた。配点が二次試験に大きく偏っていたので、センター試験の成否はあまり関係がなかったといえるが、そこそこのレベルに達していれば自然とセンター試験も得点が取れるものだ。
有名予備校である駿台予備学校の発行するセンター試験模擬テストを購入し、全科目解いてみた。本番と同じ時間で区切り、きちんと鉛筆でマークシートにも記入した。一通り終わって自己採点もしてみたが、レベルはかなり落ちている。比較的得点できたのは数学、物理、国語。しかし六割程度の得点。化学や社会、英語などは五割を切っている。英語はリスニングもあるので足を引っ張られるのである。記憶がものをいう科目はやはり壊滅的である。比較的得点できた数学や物理でも、余弦定理・方べきの定理など幾何の部門や回折・振動波動の部門はほとんど無力であった。
試験はそれなりの訓練と短期的な記憶力の勝負かもしれない。全体的な論文作成などは社会経験と論述訓練ができているのである程度可能だが、受験勉強の分野は再開拓が必要かもしれない。
どんな試験内容であったとしてもこのブログでも再三書いているように、おそらく英語の力というのはどこに行っても応用が効くし役に立つだろうと感じている。