ある会社の解雇争議の裁判傍聴のため、東京地裁へ。荷物検査とか、いろいろ年々厳しくなっていくのを感じる。隣にある国の建物の喫茶室を利用しようとしたが、身分証明書の提示を求められ、バカらしくなって入らずに他へ行く。結局みんなでゆっくり気にせずお茶を飲めたのは、日比谷公園内のカフェだった。
まあいろいろと事件が起きるから厳しい対応になっていくのだろうが、関係者は何のチェックもなくすいすい入れているのをみると、格差とか差別とか、そういったことを感じる。日本にも階級は確実にある!
裁判所の帰り、夜のミーティングまで時間があったので歌舞伎町に出たところ、新世紀エヴァンゲリオンの新劇場版の上映時間にぴったりだったので、映画館に入った。平日の昼間だというのに、なんという人の数。きみら、仕事はしてないのか? でもなんとか座れたのでよしとしよう。
過去完結したエヴァの、最初の1/3の部分のリテイクのようだが、シンジが第三新東京市に出てくるところや、最初の使徒に迎撃する部分は、ほぼテレビ版と同じだった。だがヤシマ作戦やそのときの使徒の形状(変化)などは大きく変わり、作りこまれている感じがした。
シンジが綾波を助けてプラグから救出し、渚カヲルが登場したところで、この「序」は終わる。こうなるとやはり次を見に行かなくてはいられないね。
26年の仲間の祝いに、立川へ。いろんなところへグループを作ったり、やってきたことの話を聞く。自分に正直になるプログラムの威力と、完全なハイヤーパワーへの信頼を改めて感じた。
今年も秋の長雨である。そして台風。赤羽で買った雨靴が活躍。しかし、一日中、慣れないゴム靴で歩き回ると、足の裏が疲労する。でもやはり雨が楽しい。きのうは立川の駅前で傘を拾ったし。思ったより立派な傘。
雨の中、一週間ぶりの杉並へ。いきなり指名される。自分に正直に話しているだろうか。仲間を信頼しているだろうか。人の問題と自分の問題を切り分けているだろうか。できることをきちんとやっているだろうか。最近ちょっと疲れております。
スポンシーをたずねて何千里。新しい仲間とのふれあいが自分のソブラエティーを確実に育てていく。こんなことでもなければ、わざわざ出かけていくことはないに違いない。
プログラムを組む相談に乗り、一緒に歩く場所も指定してみる。こうなるともう自分が休んだり、適当にやることはできないんだな。ひとに「こうしたほうがいい」と示す以上、自分もそれをやることになる。助けるように見えて、自分が助かっているというマジック。
グループのセミナー、今年はしゃべらせてもらった。ステップ10と11。日々の棚卸しと祈りである。なんだか過去の話ではなく、現在どうやって生きているかばかりを集中して話した。けっこうみんな真剣に聞いてくれていたように思う。
終わってから目白のマックでお茶、そして明大前へ移動。
もうこれ以上きょうはもう何もないという感じである。充実した日曜でした。
=自分より偉大な力。higher powerということである。
今日は運がよかった。雨から逃れられた。昼下がりのひと時を豪雨が襲ったが、ぼくが(傘も持たずに)自転車に乗って、図書館から帰ってきて、マンションの建物に入ってきた瞬間、ザーーッと。東京にいた人はみんなびっくりしたと思う。ぼくもびっくりした。
夜もそう。杉並の和田でミーティングに出てから、新宿に出て夕食。西武線で帰ってきて、下落合でパラパラ始まって、やはりマンションに着いた途端、ザーーッ。今もすごいよ。妙正寺川が溢れかえっている。
歌舞伎町でちょいと遊んでいこうかなという気持ちもよぎったのだが、帰ってきて正解だった。
運がいいとハイヤーパワー、運が悪いと日々の棚卸し。これでよいように思う。バイクでミーティング来ていた仲間、濡れなかっただろうか。
九月最終週より業務再開。後期の授業はDTPとインターネットである。みなさんにできるだけのことを伝えたい。技術で経費は削減できるのである。
日本にアルコール依存症の自助グループの方法を伝え、初期のメンバーと共に歩いたアメリカの神父さんの追悼ミサが四谷で行なわれた。享年77歳だそうである。直接、間接、この人が命を救った人の数は幾千、幾万人にも及ぶことだろう。ぼくのいのちもその一つである。
静かに小雨の降りそぼつ夕方、ミサは終えられた。カトリック信者でないメンバーもたくさん来ていた。一般会葬者も最後には全員焼香をし、会場をあとにした。この想いと祈りがあとに伝えられるよう、われわれは活動を続けていかなければならない。