実家から連絡が入り、母が倒れたとのことで、小倉に3/30-4/3までのあいだ帰っていた。冠動脈症候群だそうで、いわゆる心筋梗塞と狭心症である。心臓の冠動脈形成術を施し一命をとりとめたとのことだった。しかし腎機能の低下やそれによる肺炎の併発もあり、予断を許さない状況が続いている。肺に水がたまり、それが抜けきらないと呼吸困難になるので、酸素マスクをつけている状況であり、いまだCCU(心臓集中治療室)で治療を受けている。しばらく入院生活に違いない。以前から糖尿病、高血圧などで臥していたこともあり、体力の低下はやむを得なかった。74歳なので一般的にはまだまだ若いのかもしれないが、今回は覚悟を決めて駆けつけることになった。
しかし救急期の処置とその後の治療がうまくいったのであろう。水曜日に駆けつけたときには意識も戻っており、金曜あたりには言葉も出ていた。若干後ろ髪引かれる思いだったが、自分も東京に戻り入学手続きや労使交渉など続けなくてはならない。日曜深夜帰宅して、月曜から通常生活である。
いつ何があってもおかしくないと思う。悔いなく全力で一日を生きていこう。
いまこのページは東大工学部の研究室のパソコンを使って書いている。会社にいるときは職務専念義務があったので、時間中に私用でPCをなんてことは口が裂けても言えなかった。でもいまは学生生活である。学業中であってもぼくは学費を払っているし会社勤めとは根本的に違うのである。学生は自由の身である。
「正式に」というのは、今日工学部の事務局で、正式な入学手続きをしたのだ。四月一日から晴れて東大の研究生である。図書館で本を借りられるようになったし、生協の加入者証にも「工学部」と入っている。何より学生証(研究生証)が手に入った。
そして指導教授の手厚いはからいにより、研究室も、自分の席も、自由に使えるパソコンもある。ネットにももちろん接続している。Core7の2.93GHzCPU、初めて使うWindows7、そしてうちのモニタの解像度の横三倍×縦二倍は広いと思われるモニタ、さらにハードディスクの容量を見たら900GBくらい空きがある。9GBでも90GBでもない、ほんとうに900GBも空きがあるのだ。目を疑うよ。ネットのスピードも未体験の速さ。Adobe ReaderのアップデートやFirefoxのダウンロードが瞬時に終わっていたのは驚いた。いままでなんて貧相な環境でコンピュータを使っていたのかと思う。すごいぞ国費。ベースは確かに国費だが、授業料月換算でおよそ\30,000は自己負担で払っているので、しっかりモトが取れていると考えたい。ちなみに自宅のPCのCPUはSocket370のCeleron900MHzである。会社で使ってきたパソコンはSLOT2のXEON450MHzであった。聞いたこともないような仕様かもしれない。
しばらくは東大のさまざまなハードウェア仕様を楽しんで過ごすことになろう。20代のときは何も感じなかったんだが、いまはありがたみが痛いほどよくわかる。人生を投げ打ってここにやって来て、正解だったと思う。
ここのところいろんなことが次々と起こり、目まぐるしい。しかししらふで長年やってきて、本当に良かったと思う。母の体調も良くなったようで、父からの電話によると食事も始められたらしい。集中治療室から出られるのも時間の問題かもしれない。学校のことも仲間との助け合いも私生活も、すべて順調に向かっている。こういうときって本当にあるんだなと思う。祈りは通じるのだった。
都内では多くのスポットで桜が咲き始めている。相変わらず震災の自粛ムードは今も引っ張っているが、節電対策などはやむを得ないとしても、みんなで落ち込んでいる必要はない。やはりここは前向きに生産活動を高め、できることをやり、明るく生きるしかないのではないか。東大病院の前のベルツ像のある公園とか、高戸橋のあたりの神田川沿いとか、ささやかな花見の席が開かれていた。都内の満開は今日から日曜あたりにかけてであろう。しかし強風にあおられたり花冷えの雨で散ってしまうかもしれない。桜の花ははかないのである。三島由紀夫の小説の中に出てきそうな日本庭園的風景が、あちこちで見られるこの一週間は貴重である。今度の土曜は東京六大学野球の春季リーグの開幕戦でもある。初戦は早稲田と東大戦。雨天の予報が外れることを祈る。
東京六大学野球の春の公式戦が始まった。神宮球場で開幕式と始球式が9:15からあり、初戦のカードは東京大学vs.早稲田大学である。昨年秋は東大が斎藤を攻略し、奇跡的に4vs2で勝った試合があった。今日は応援席に入ろうとすると「開幕日は学生無料」との掲示あり。東大学生に限らないようだったが、学生証提示して無料で入れた。事前に大学の運動会窓口でチケットを買ってあったのだが、それは不要になった。
応援が楽しいのである。歌に次ぐ歌。応援歌が何種類もあり、1回はこの曲、2回はこの曲と決まっている。昨年観戦に行きまくったおかげで、どの曲も全部歌えるのである。もはや野球なんてあまり見てない感じなのだが、応援部のパフォーマンスや呼びかけが楽しい。途中雨が降り出し、持参したカッパを着ての応援。ずぶ濡れになりながらも九回裏まで応援貫徹であった。結果は0vs4だが、二桁得点を持っていかれることの多い東大としては善戦だったと思われる。とくに九回裏2死満塁になったときの応援はエキサイトしていた。一打同点もありうる局面だったし。しかもカウントが2S3Bまで行き、ボール球が来たら一点入る場面だったのだ。しかし残念ながらラストは空振り三振。でも健闘してくれたナインに拍手。
午前中の自分たちの労使交渉を終えてから、川崎の施設へ。ミーティングの司会ボランティア。過去のことに焦点を絞って話をする。およそ30分くらい自分の話をしてから通所者10人くらいに話してもらう。分かち合って終了。これがわれわれの原点だと思う。いまはいくらか浮き上がって、そこそこ幸せな生活をしているが、過去はみんなこうだったのである。
三時過ぎに終えて、本拠地である荻窪へ向かう。地道な人生。今日は大学へ行かなかった。たまにこういう日もある。本来ずっとこうして生きてきたんだなと思う。
東大構内への車両入構には許可が必要である。自転車もバイクもすべて有料登録制である。しかも年間契約。バイクでちょっと寄りたいときも、これまでは入構できず、外のお客様用駐輪場にとめてかなりの距離を歩かなくてはならなかった。こっそり入構してとめておくと、あっという間に警告書が貼られ「車両番号を記録しました」とやられてしまう。この三月まではバイクで行くとジプシーのように彷徨わなくてはならなかった。
しかし晴れて東大研究生となった今、堂々と年間登録申請をし、審査が通った。明日からバイクで入構できる。駐輪許可のシールがもらえた。たいへんうれしい。ただし、正門や赤門をくぐるときにはエンジンを切って押して入らねばならない。でももうぼくは内部の人だ。ジプシーから内部の人へ。高々バイク一つについて、身分があるなしでこんなにも違うのだ。
ぼくと特に知り合いでもない人たちがこのページにたどり着いて、閲覧をするというケースがある。インターネットのWorld Wide Webなので当然なのだが、不思議な気分。検索キーワードに何を使っているのか、管理者のぼくは調べられるようになっている。最近多いのがダントツ「関村直人先生」。メジャーな大学教授なので当然だろうか。最近原子力は風当たり強いからなあ。あと「高尾霊園」とか「忌野清志郎」「墓」「区」とか。お墓の位置を探しているようだ。あと「定期」とか「営団」とか鉄道ネタ。意外にも「今日一日」とかで結構たどり着いている。ぼくの今日一日に興味ありますかね。
ぼくが学んできたのはまずは母国語の日本語。これはさすがにすらすら話せるし、聞こえるし、書ける。豊前小倉のなまりと東京標準語は分けて話せる。
つぎはやはり英語。中学一年から学んでいるのでかなりできてもよさそうだが、リスニングやスピーキングは惨憺たるものだ。読み書きは時間をかければ受験英語レベルなら頑張ったのでそこそこやれるが、音声となると厳しい。先日のTOEFL-iBTは120点満点中わずか30数点だった。完敗である。TOEICも初回400点を切ってやる気nullになっていたので、この夏は再チャレンジしてみたい。ルーテル教会で半年英会話もやったし、大学院入試でも必須だし、ガッツで行こう。
そして第二外国語のドイツ語。このブログにもえんえん書いてきたが、独検三級まで到達した。三級合格は奇跡にも近いと思ったものだ。でもそれに甘んじてはいない。合格後も一日も欠かさずラジオ講座「まいにちドイツ語」を聞き続けている。いや、毎日というのはちょっとうそ。土日はないし、外泊時はラジオを持って行ってない日もある。
あとちょこっとかじった言語は中国語。東大駒場で一年のとき登録したが、二回しか出席しなかった。それからフランス語。放送大学の面接授業で八コマやったのでまあまあか。
メジャーなのに未踏の言語はスペイン語、ロシア語、アラビア語、朝鮮語など。
語学はぱっとわかってみるみる上達するというようなものではない。地道な努力が必要だ。環境も大きいかなあ。毎日英語でしか会話できないと、否応なしにぺらぺらになるかも。ルーテル教会の英会話教室がそうだった。
語学は目標をもって生涯やっていくべきことのようにも思う。そして、始めるのに、遅すぎることはない。
きょう持ち歩いていたら、突然の電源切れ。電源インジケータが低、中、高とあり、高の状態だったのにかかわらず、いきなり切れる。バッテリー寿命はいまどきは三年くらいなのだろうか。朝切れて夕方ショップで緊急復帰してもらって、そのあいだに新着メール五件。仕事依頼先や、大切な人のメールや、スポンシーからのメールなど、こういうときに限って大事なものばかり。バッテリー買うより機種変更もしたいところだけど、去年11月に旧機種に戻しているので、五月になったら割引で新機種が買えるのだ。なんとかもう一ヶ月、だましだまし今のを使いたいところ。
電源が入らなくなったときの対策は何もしていなかった。1).AC充電器を持ち歩く、2).電池式充電器を持ち歩く、3).ディーゼル発電機を持ち歩く、4).電話をしない。とかいろいろ。3).は冗談だけど、最近は手回し充電とかあるみたいだよね。津波が襲ってきても電源確保しろ、とか、最近のマスコミの東電&原発叩きは激し過ぎる。
きょうはイライラしながらウィルコムショップで待っていた。番号札持たされて40分待ち。ちょっと怒り気味の自分。仲間の4,5聞いたばかりの自分は怒り大爆発なんてできないのだ。そして充電にさらに30分。なすすべもなくミーティング遅刻。携帯に振り回される一日であった。
きょうは神宮で法政大学との対戦であった。一回表いきなり先制得点、犠飛もあり一挙に2vs0。応援席は狂喜乱舞。見知らぬ人どうし肩を組み東京大学の歌「ただ一つ」を歌いまくる。しかし、ウラに一点入れられ、2回には満塁ホームランまで打たれてしまい、3回、4回、5回と毎回得点を入れられ、結局4vs11で敗退。(http://www.big6.gr.jp/)
でも東大としては四点も入ったのはすごいことだ。前回も5点という猛攻があったし、今年はひょっとしたら勝ち点が発生するかもしれない。
得点が入るたびに「ただ一つ」を歌う。東大には校歌がないので、もともと応援歌であった「ただ一つ」と「大空と」が東京大学の歌として制定されている。「大空と」のほうは歌詞が難解なことで有名。陶冶とか巍巍たりとか蘊奥の窮理とか、歌詞にフリ仮名振ってくれと言いたくなるものばかり。
きょうは少し肌寒かった。風邪大流行の兆し。応援部の主将もきのう40度の熱が出たとブロックで言っていた。でも心が熱ければ跳ね返せるよ、そう絶対に。
おしのびで北海道へ。ブログに書いたらもうおしのびも何もないんだけど。新千歳空港に降り立つのは、夕張、帯広の各宿泊研修会と、広報のフォーラム以来。道内に到着すると感じるのは、土地の区画の広さである。そして雪の残る広大な枯木の林。どこまでも続く並木という感じなんだよね。
そしてやはり防寒対策が徹底している。電車も地下街も公共の場所にはドア、ドア、ドアである。歌舞伎町の地下街のサブナードみたく、冷気の侵入を防いでいる。歌舞伎町は浮浪者対策だと思うが。
地下鉄の一日乗車券で東西線の端から端へ。アミューズメントスポットをいくつか回る。道端には雪の残り。桜はまだまだ開花していない。春はこれからである。
大学づいている自分にとっては、関心はやはり北海道大学であった。初めて入った北の端の帝大。札幌市の中心地にありながら、なんと広い土地だろう。東大の比ではないこの広さ。学内を縦横に走る広い道の各所にここは何学部、ここは何学部とはっきりとした形で表示されている。親切な案内である。図書館は残念ながら入口が改装中。
仲間が一人で守っている会場へ夜訪れる。もう何ヶ月も新しい仲間は来ていないそうである。いろいろ考えさせられる。毎週何十人も来てみんながしゃべれない都内の自分のところの会場の悩みとは対極をなす。良いとか悪いとかではなく、それぞれの現実だと思う。この会場を守っている仲間は先を行くメンバーだが、2002年の深川で同じときにコンファレンスに出た仲間だ。翌年の後期のときにはこれまた一緒に全体会議の議長にあたった。くじ引きで決まる議長を一緒にやれて、その後のつながりもよりしっかりしたものになった。
ミーティングをあとにし、札幌市内で一泊してまた東京へ。ほかにもいろいろあったがまあこんなところで。
古くから全体サービスの専従をしていただいてきた仲間の最終就業日。その知らせを聞き、新千歳から羽田に戻ってきたその足で駆けつける。最近よくちょっとした花束を買うことが多い。花はやはりメッセージである。感謝、愛情、友情、いろいろ……。
時間的にあまり滞在できなかったが、最後に行けてよかった。自分と個人的に回復の手助けを手伝っていただいている大切な仲間でもある。
偶然だが自分のグループが滅多にない休みの日だったこともあり、前々から行きたかった埼玉西のグループへその仲間と同行。大変盛りだくさんな二日間であった。
ハローワークで離職手続き。いろいろとややこしいこともあったのだが、最終的には失業給付の資格がきょう決定した。雇用保険に20年間加入してきたのだ。これがもらえないと痛い。でも無事に決定した。これからは求職活動である。
年齢は大きく違うがスポンサーも退職、自分も退職、各所で退職の和音が響く。離職は新しい人生の始まりである。未来がある。何事も遅すぎることはない。始めようと決めた日がスタートである。
夜空・五木ひろし/Drive my Car・RCサクセション/カナダからの手紙・平尾昌晃/畑中葉子/Yes-No・オフコース/愛と平和・忌野清志郎/夜空の誓い・HIS/夢の途中・来生たかお/ブルー・ライト・ヨコハマ・いしだあゆみ/チェリーブラッサム・松田聖子/17才・南沙織/仕草・忌野清志郎/倖せさがして・五木ひろし/ごめんよ涙・田原俊彦/恋一夜・工藤静香/君が僕を知っている・RCサクセション/哀歌(エレジー)・平井堅/襟裳岬・森進一/星降る街角・敏いとうとハッピー&ブルー/中の島ブルース・内山田洋とクールファイブ/Romanticが止まらない・C-C-B/LET IT BE・THE BEATLES/不思議なピーチパイ・竹内まりや/冬のリヴィエラ・森進一/岬めぐり・山本コータローとウィークエンド/星空のディスタンス・THE ALFEE/カナダからの手紙・平尾昌晃/畑中葉子
2時間一人で目一杯歌ってこんな感じ。全部記憶していたわけではないよ。うたスキのシステムにWebからログインすると、今日歌った自分の履歴がわかるのだ。すごいシステムだね。前回のも前々回のもずっとわかる。ぼくの昭和ぶりがはっきり出ている。平井堅なんていうのは新しすぎる例外。逆にいしだあゆみは古すぎるかもねー。
まるでカラオケメインの一日のように見えたかもしれないが、朝は選挙(板橋区長・区議会選)とバイク修理。昼は仲間と小一時間昼食、夜はミーティングと、おだやかなしかしちょっと忙しい一日を過ごしたのである。その隙間にちょうど2時間ばかり空白ができたのでカラオケを歌ったまでである。カナダからの手紙を2回も歌っておる。
先月あたりまでは休日も大学の図書館で勉強したりしていたが、ガリ勉過ぎるので最近は休むようにしている。でもまた入学試験が迫ってきたらやるかも。
それにしても暖かくなってきた。また連休が近い。楽しみである。
ウクライナで起きたあの事故から今日でちょうど25年。ぼくは東京暮らしを始めてちょうど1年経ったころで、留年して一年生をもう一度始めたばかりの頃だった。日本でも反原発のブームが起こる。広瀬隆、田中三彦、そして敬愛する忌野清志郎、などなど皆さん活動されていた。東芝、日立、三菱と原発プラントに機器納入している重工業メーカーと電力会社、半官半民の原子力関連企業がそれを抑えにかかるが、社会現象になる勢いの反原発運動は止まらなかった。チェルノブイリ事故は放射性物質を死ぬほど撒き散らしたし、実際死者が出て、動物の奇形も発生した。環境中に溢れ出た放射性物質は、今回の福島原発の比ではない。炉心溶融が起こり圧力容器そのものが爆発しているのだから、建屋の水素爆発(化学燃焼)とは根本的に違うのだ。
ぼくはそんな中で事故の翌年である昭和62年秋、進学振り分け制度の中、工学部原子力工学科に進学することが内定したのだ。なんという逆風。その後2年半は徹底的に原子力発電とその構成要素の燃料棒の材料研究、そして卒業論文を指導してもらい書き上げる。さらに九州電力玄海原子力発電所に就職。反原発ブームが巻き起こる中、推進一直線である。
そして今もまた似たような状況かもしれない。東日本震災の起こる四日前に工学部研究生に内定し、原子力研究に戻ることを決意。そして福島原発事故の連日の報道。事態は収束しつつあるが、統一地方選などでも原発政策は選挙の争点となっている。左派活動を続けてきた自分が原子力に携わり、原発推進派の政治家に次々と投票している。世の中の逆を行く。まあだからこそ自分の存在意義があるのかもと思う。
本郷の毎日に少し飽き、今日は駒場で一日を過ごそうと計画。副都心線で渋谷に出てから、東急デパート本店方面に出る。芸能人や有名人がたくさん住んでいる高級住宅街松濤(しょうとう)を抜け、山手通りを横切り、井の頭線のガードをくぐって駒場商店街にくだり、再度階段を上って教養学部旧矢内原門から駒場キャンパスに入構する。
駒場で学内コンピュータシステムのアカウントを受け取って、情報管理棟で自習。初めて使うiMac。これまたすごく速くてびっくり。いまどきの東大生どもはこんな快適な環境を使っていたのか。初めてだけどiMacって表向きはGUIでもベースはUNIXシステムだなあ。RedHatLinuxやKondaraでX11R6を設定していろんなGUIスキンをコンピュータにかぶせてMacもどきをやって遊びまくっていた1998〜2004くらいを思い出す。ちゃんとバーチャルWindowsも乗っかっている。でもGUIシステムが整備されていれば、ぜんぜんWindowsなんて必要ないかも。メーラもブラウザも聞いたこともないようなアプリだが、これはこれで未知の気分で楽しい。ブラウザのフォントが微妙にジャギーが見えてる明朝体だったりして、ホントにTrueTypeかよ?みたいなのがいかにもUNIXな風情である。最小化、最大化、killのボタンがWindowsみたいに「必ず右上」でなくて、左にあったりして惑わせる。ツールボックスって置きたいところに置けばいいのかって、新たな発見。
コンピュータを使い尽くして一休みしてから、あの20数年来の喫茶店に行く。ここのところ月一回ペースで来訪。きょうはすごく混んでいた。昼食時をずらして行ったほうがよいかもしれない。
駒場の一般教養科目に興味があるのだが、専門課程からは履修できないらしい。単位が取れなくてもいいから駒場の科目を少しだけ聴講だけさせてもらおうかな、なんて考えるこのごろ。
大学の研究生になってすこし頭を悩ませているのが英語学習である。大学院入試にも必須。そして何年か経ったら世界を飛び回らないといけない(かもしれない)自分としては、いまのレベルでは不足なのである。
工学部のスペシャルイングリッシュレッスンというのがある。しかしこれは中級以上である。東京大学の現役学生に混じって学ぶにはちょっとつらそうだ。でも今度レベル測定の説明会がある。ちょっと背伸びして参加予定。無理そうならやめる。
上述のレッスンは実は外部の英会話学校が東大に出前講師を派遣して、昼休みに英会話をやらせるというものである。ベルリッツ、日米会話学院、アテネフランセ、トフルゼミナールなどが入っている。となればその制度に乗らなくても、直接その学校に行って初級から受けるというのもいいかもしれない。今朝御茶ノ水のアテネフランセへ行って資料をもらい、説明会の日時なども聞いた。これも選択肢。
あと東大へ来ている留学生と毎週決まった曜日にランチを食べながら会話するというプログラムもある。これも工学部の公式プログラムである。もちろん単位はつかないが貴重な経験になるかもしれない。
2010年秋〜2011年冬まで本郷のルーテル教会で参加した中級前英会話。中級前とはプレ中級のこと。中級と呼ぶにはおこがましいが、初級でもないという感じ。その時間内は日本語禁止というルールだった。これもよかった。でもあまりカリキュラムにはなっていない。クリスチャンならなおよかったが、キリスト教の話はやはりよくわからない。
そう、いろいろ選択肢があるのだ。さらに今は離職したためハローワークの離職者訓練も受けられる。英会話主体というより「貿易事務」の訓練の名目でときどき募集されるようである。しかしこれは週五日で平日毎日となるので、学業に支障が出る。うーん、悩ましい。あと授業料の20%が国から支給される教育訓練給付制度も有名だが、全体的に授業料高めの講座が多い。週二回くらいがちょうどいいんだけどね。
最近は英会話学校も多角経営が進んでいて、英会話カフェとかもあるようだ。
五月中に一通り試してみようかなと思う。さらにTOEICやTOEFLも再チャレンジしよう。そのまま八月の大学院入試シーズンに突入である。
連休に入った。朝顔の種を植木鉢に植えた。芽が出るかなあ。この春は自分の身辺も含め、いろんなことが実っている。ちょっと心配なのは母の体調や手助けしている仲間たちのことだが、それも概ね順調な方向に向かおうとしているのでよしとしよう。学業や仕事はこれからである。工学部の授業開始が連休明けからなので、このゴールデンウィークはぼくにとっては年末年始のようなものだ。
暖かくなってきたので、いままで部屋干ししていた洗濯物を、ベランダ干しとする。冬は屋内で暖房に当てていたほうが早く乾いたのだ。でももう外のほうが良く乾く季節になった。花粉が大量に飛んでいるのを感じるが、アレルギー反応もないし問題なかろう。
休日休暇が続いていても、仲間との予定がたくさんあって、たいてい平日より忙しい生活である。この春の退職に至るまでの数年間、出勤日数のようなものが徐々に減っていったのは良かったかもしれない。一気に常勤から毎日が日曜日になったら危険な行動に結びつきがちだ。「お父さんは日中は全神経を張り詰めている、夜は夜で忙しい」とかそんな文章があったように思う。やることがあるのはいいことだが、張り詰めるほどでもない、そういう感じが理想である。
今朝植えた朝顔の種は、二年前に中野のホームセンターで買った種からの第三世代である。いわばグランドスポンシー。芽が出たら報告します。
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