ウクライナで起きたあの事故から今日でちょうど25年。ぼくは東京暮らしを始めてちょうど1年経ったころで、留年して一年生をもう一度始めたばかりの頃だった。日本でも反原発のブームが起こる。広瀬隆、田中三彦、そして敬愛する忌野清志郎、などなど皆さん活動されていた。東芝、日立、三菱と原発プラントに機器納入している重工業メーカーと電力会社、半官半民の原子力関連企業がそれを抑えにかかるが、社会現象になる勢いの反原発運動は止まらなかった。チェルノブイリ事故は放射性物質を死ぬほど撒き散らしたし、実際死者が出て、動物の奇形も発生した。環境中に溢れ出た放射性物質は、今回の福島原発の比ではない。炉心溶融が起こり圧力容器そのものが爆発しているのだから、建屋の水素爆発(化学燃焼)とは根本的に違うのだ。
ぼくはそんな中で事故の翌年である昭和62年秋、進学振り分け制度の中、工学部原子力工学科に進学することが内定したのだ。なんという逆風。その後2年半は徹底的に原子力発電とその構成要素の燃料棒の材料研究、そして卒業論文を指導してもらい書き上げる。さらに九州電力玄海原子力発電所に就職。反原発ブームが巻き起こる中、推進一直線である。
そして今もまた似たような状況かもしれない。東日本震災の起こる四日前に工学部研究生に内定し、原子力研究に戻ることを決意。そして福島原発事故の連日の報道。事態は収束しつつあるが、統一地方選などでも原発政策は選挙の争点となっている。左派活動を続けてきた自分が原子力に携わり、原発推進派の政治家に次々と投票している。世の中の逆を行く。まあだからこそ自分の存在意義があるのかもと思う。
本郷の毎日に少し飽き、今日は駒場で一日を過ごそうと計画。副都心線で渋谷に出てから、東急デパート本店方面に出る。芸能人や有名人がたくさん住んでいる高級住宅街松濤(しょうとう)を抜け、山手通りを横切り、井の頭線のガードをくぐって駒場商店街にくだり、再度階段を上って教養学部旧矢内原門から駒場キャンパスに入構する。
駒場で学内コンピュータシステムのアカウントを受け取って、情報管理棟で自習。初めて使うiMac。これまたすごく速くてびっくり。いまどきの東大生どもはこんな快適な環境を使っていたのか。初めてだけどiMacって表向きはGUIでもベースはUNIXシステムだなあ。RedHatLinuxやKondaraでX11R6を設定していろんなGUIスキンをコンピュータにかぶせてMacもどきをやって遊びまくっていた1998〜2004くらいを思い出す。ちゃんとバーチャルWindowsも乗っかっている。でもGUIシステムが整備されていれば、ぜんぜんWindowsなんて必要ないかも。メーラもブラウザも聞いたこともないようなアプリだが、これはこれで未知の気分で楽しい。ブラウザのフォントが微妙にジャギーが見えてる明朝体だったりして、ホントにTrueTypeかよ?みたいなのがいかにもUNIXな風情である。最小化、最大化、killのボタンがWindowsみたいに「必ず右上」でなくて、左にあったりして惑わせる。ツールボックスって置きたいところに置けばいいのかって、新たな発見。
コンピュータを使い尽くして一休みしてから、あの20数年来の喫茶店に行く。ここのところ月一回ペースで来訪。きょうはすごく混んでいた。昼食時をずらして行ったほうがよいかもしれない。
駒場の一般教養科目に興味があるのだが、専門課程からは履修できないらしい。単位が取れなくてもいいから駒場の科目を少しだけ聴講だけさせてもらおうかな、なんて考えるこのごろ。