_ たいていのことは他の誰かが代わりにやってくれても何の支障もないし、むしろ自分がやらないと達成できないと考えることの方が高慢極まりないことである。幾たびもの経験でだんだんとそれがわかってきたのだけれど、自分の出番か他の人の出番か、判断がつかないこともある。他の人がやろうとしないとつい手を挙げてしまう。手を挙げるのをどのくらい待つのか。30秒か、3日だろうか、3年待つのだろうか。よくわからなくなる。待っていると他の人が手を挙げることがある。誰も手を挙げないまま、制度自体を改善する方向に進む時もある。ますますよくわからなくなる。
しかし、誰かを助けなければならないとき、チャンスがきたらそれを逃すわけにはいかない。自分の目の前でそれが起きたらためらう暇はない。拾うしかない。腰をかがめる、床に手をつく、泥がはねてくる。そこで思ったことを言うしかない。すべてをうまくまとめるなんて到底できることではない。苦しんでいる人に手を差し伸べる。助けを求められたときになりふり構わずそれにこたえる。たとえば20年近くやってきた人を助けられるのは、25年とか30年やってきた自分たちだけかもしれない。それはむしろ光栄な役割である。声がかかったらやるしかない。
あとは汚れ役。みみっちい話をしに行かなければならない役目。叱られることが仕事の役割。クレーム引き受け株式会社というのが昔あった。ずうずうしい話を強硬にねじ込まなければならない役割。話しにくい話を誰かがしなくては状況は改善しない。とくに日本人、都会人は見て見ぬふりをする。見ないふりばかり毎日していると本当に見えなくなる。見えたものをそのまま口に出すと、子供みたいに思われたり「しっ」なんて言われる。あれは裸の王様だったか。逆に抑える側の役割もある。全体のガバナンスのため、内部統制のために、冷酷に見せしめをしなくてはならないこともある。社会とはなんと厳しいことか。
自分にしかかぶれない泥があるなら、それを進んで引き受けよう。いろんなことを経験してきて、それができるようになったからそれがそこにあるのだと思う。
_ 高校卒業以来、ほとんど歯医者には行っていなかったのだが、1994年に歯を食いしばって力が入りすぎて歯が割れて、およそ10年ぶりに歯医者に行って銀を入れた。そしてまた放置していたら歯周病が進み歯茎が腫れて、噛むたびに肉を噛む状態になり、2002年に総点検をしたのだった。親知らずを抜き、プラークを根こそぎ掃除し、痛い思いをしながらメンテナンスし続けてようやく健康な歯と歯茎になった。新中野の歯医者に行き続けていたのだが、住まいは中野から板橋、墨田と遠くなり、プラーク掃除が痛すぎる衛生士さんになったところで新中野からは決別した。そして湯島の歯医者に少し行ったがまたプラーク掃除が痛い。そしていま向丘の歯医者に行き始めた。本郷にもいくつか歯医者があるのだけれど、対応が悪かったり怪しいところもある。とにかく実践するのみ、行ってみないとわからない。というわけで歯医者難民になりそうだった自分である。