_ 小倉から帰京しました。うーーーん、やはり自分にとってふるさとはもう存在しなくなってしまったという気がします。残っているのは重苦しい現実ばかり。88の義祖母の失語と痴呆の姿とか、歩くスピードが三分の一になった父・五分の一になった母。コミュニケーションのタイミングがおかしい家族。うすうす気づいていたけれど、あの中にあってわたしが病気になったのは必然だったのだと感じました。ま、結果はオーライということで。底をつかなければ、きっと気づきもしないままわたしは死んで行ったに違いありません。 さて、気づいた以上は「これからどうするか」ということしかありませんね。わたしとしては古い生き方に戻らぬ努力を、日夜続けていくことしかありません。気力が緩み環境が変わると、ほんの数時間で過去の生き方に戻るということを実感しました。まあ、かいくぐって帰京したわけですが、プールの中から水の上に上がってきたようなものです。同じことをどこかでも体験しましたね。そう、新しい絆の中でしかもう生きられないのですよ。新しい生き方を維持するにはどうしたらよいのか。仲間がたくさん材料を与えてくれます。大それた目標はいりません。ほんのちょっとしたコツがあるだけです。 自分が本心から変わりたい、と思えないことにはどうにもなりませんし、変わろうと思えたって変われないことだってあるなら、神様に任せるしかないですね。必要な努力については「めんどくさい」なんて言っている余裕はないですし。8,9が6,7のあとにあるのはこういうことなのかと思い知らされた気がします。そしてそれが実践できるかどうかは、もう一つ戻らねばなりません。今の自分のことを考える絶好のヒントは「自分がやりたい放題やるとどういう結果となったか」ですものね。 さて、そして現実も生きなくてはならないわけです。今のこの時間も。わけわからんなぁ(笑)。となると「自力でやってやる」なんていう美しかったはずの思想がいかに危険な代物だったのか、はっきりしてきますね。自分に好意的な仲間の助けなしには何一つできなかったんですもの。いや、ほんと。以前はここで、自分をごまかせていたような気がします。仲間にもらった力が照らしているから、ここでごまかせないですよ。苦しくなってもいいならごまかすけど(笑)。結果的にどちらが楽か、なんだかわかるようになっているし。 仕事最優先でやれとか、いいかげん結婚したらとか、今の自分にとって優先順位の低いことばかり説得された四日間だったと思います。二年以上前の自分だったら、猛反発したでしょう(笑)。でも今回はしなかった。親父が目の前でオールドをバキバキキャップ開けて飲んでいました。これもこの七年間で初めてのことです。一応タンスの中に隠していたらしいけど(笑)。ひょっとしたら、それだけ自分に対し、大丈夫という目で見ていられるのかもしれません。今の自分の優先順位は、今期の春秋の合宿運営委員長・地区の議長という立場で、それを精いっぱいやり抜くこと・そして夜のミーティングも両立するということで、それでもう余るものなどないし、来年につなげていかなくてはいけない。でも、それがいかに大切かということは、両親には言葉では伝わりません。「仕事は二の次」なんて口がさけても言えませんなぁ。いらぬ心配をさせるだけですから。でも二年以上前の自分なら絶対言った^^。自分のことを理解して欲しいという気持ちしかなかったから。 いろいろ考えてしまいますけど、親は親です。毎年これから顔をみせにいくことにします。かなり居心地悪いし、数時間でマジックかけられるけど(笑)。しかもなんか息のできない水の中って感じだし。もう四・五年この生活を続けられたら、ひょっとしたらそういうマジックにもかからない自分がいたりして。奇跡の起こるプログラムですからねー。気楽にやっていきます。