通学定期の経路変更は大変楽しい。しかし通勤定期と違って通学定期の場合は、自宅と学校を結ぶ最安経路か最短経路でなければならない。したがってふつう二種類しかない。しかし大学は校舎がたくさんある。メインの校舎を自分で選んだあとは、他の校舎に通う場合は週二回二コマ以上履修しているという証明があれば通学定期が買える。最寄り駅がいくつかの中から選べるとさらに選択肢が広がる。
墨田区に引っ越してから本郷キャンパスに通うだけでも何回か経路を変えた。本郷キャンパスは大学から最も近い駅だけでもバリエーションがたくさんある。昔から伝統的な最寄り駅は本郷三丁目、根津、上野といったところだ。最近では都営本郷三丁目や東大前もある。さらに御徒町や湯島、春日や御茶ノ水も指定可能である。都営バスも利用できる。東武で押上まで買っておいて残りはバリエーションである。最初に選んだのが都営浅草線で押上→蔵前、そして都営大江戸線で蔵前→本郷三丁目。安くて路線距離が短いが、蔵前の乗り換えがけっこう歩かされるのでやめた。次に選んだのが半蔵門線押上→大手町、そして丸の内線大手町→本郷三丁目だった。朝のラッシュ時でも結構すいている上に、錦糸町駅で座れる可能性70%くらい。押上で始発を一本待つと確実に座れる。これで学部のときはずっと使った。
今年の前期は東武で亀戸に出て、総武線で秋葉原を経由して御徒町までという経路を選んだ。御茶ノ水から丸の内線一駅を買うと料金が跳ね上がるので御徒町でストップ。御徒町から東大病院横の鉄門まで歩き、理学部一号館まで通った。本郷でも根津でも結局歩くことには変わりがないので、健康のため!と言い聞かせながら三ヶ月間は週二で歩いた。
本郷へはそんな感じだったが、大学院に進学してから柏への通学が始まった。学部の4年のときは毎回切符を買って指導教員に会いに行ったが、一回往復して1500円払うのは、毎回涙目になる感じだった。セミナーが遅くなったり昼間行かなくてはならないときは学校の無料バスが使えないので、さらにバス代がかかって、なんと往復合計2000円に。厳しい交通費だった。
しかし修士課程に入ってからは柏キャンパスまで定期券を買えることになった。ところがつくばエクスプレスの定期が高いのである。北千住→柏の葉キャンパスを一ヶ月買うと13550円である。学割とは思えない。東武も足すと16350円。ちなみに通勤定期だと一ヶ月27130円ですよ。どうしてこんなに高いのか理解できない。それで当面はTXは経路として考えないことにした。
四月から八月までの四ヶ月間は、最安経路にした。小村井→北千住→春日部→江戸川台と東武鉄道のみを使うコース。全長50kmを越えるし、自宅から研究室までなんと2時間。小旅行である。しかし安い。なんと一ヶ月5410円だ。四ヶ月乗り通した。昨日で期間が切れた。時間をカネで売ったという感じである。長い長い車内の時間をノートPCを持参して、日々課題などを遂行していた。東武野田線と伊勢崎線内で何本のレポートと発表資料を書いたことか。ただ、駅に停車中以外はほとんど無線LANが使えないので、調べ物はあまりできなかった。ネットがなくてもできることは?といつも考えていた気がする。
そして今日、経路を変更した。大変当たり前の経路だが、小村井→北千住、常磐快速で北千住→柏、野田線で柏→江戸川台である。値段は倍以上になった(一ヶ月13370円)。でもTXより安い。時間は一気に短縮した。東武だけに比べて40分くらい時間の節約となる。常磐線の北千住→松戸→柏がまるで新幹線のよう。たった20分である。まずいコーヒーを飲み続けていたときに、突然ゴールドブレンドを飲んだときのような目の覚めるような爽快感に似ている。定期はまともに買いましょう。
将来もうちょっと奮発してTXの定期を買う日が来る(かもしれない)。
日本のインターネットの一般的な普及は、平成になってからであるとわたしは認識している。一般ユーザーが広くインターネットを利用し始めたのはWindows95が発売された平成7年くらいからだが、それ以前にもWindows3.1ではWinsock.dllを用いたTCP/IP通信が利用できたし、MacPPPというものもあった。NCSAのMosaicやNetscapeを用いたwwwが登場する前はGUIインターフェイスのアプリケーションはほとんどなかったため、インターネットとはいってもhttpではないTelnet, FTP, Mailなどのテキストが中心のものだった。インターネット以外にも、すでにオンラインシステムとして気軽に使えるものパソコン通信というものがあった。NIFTY serveやNECのPC-VANなどが商業サービスを開始していた。パソコン通信のゲートウェイとしてインターネットサービスが行われていたこともあった。平成になったばかりの頃は、このパソコン通信の通信速度が少しずつ速くなって1200bpsから2400bpsになったあたりであり、どのくらいのスピードかというと全角20字1行分が1秒で表示されるくらいであり、さっと1行が流れると「速い」と感じられる時代だった。
これからの10年で例えばMicrosoftのWindowsが95,98,Millenium(Me),2000,XP…と進化して、ハードウェアも廉価になっていった。その背景には次のような事情がある。MS-DOSの頃にはNEC-PC9800シリーズのDOS、富士通FMシリーズのDOS、海外のIBM PC/AT互換機用のDOS(DOS/V)と、ハードウェア仕様ごとにOSが用意されていた。バイナリデータがNEC用、富士通用、DOS/V用といったようにハードウェアごとに異なっていたので、ハードウェアメーカー間の価格競争、開発競争があまり先鋭化しなかったという印象がある。しかしPC/AT互換機のマザーボードなどを生産する、台湾のパーツメーカー(例えばASUSTek, GIGABYTE, DFIなど)が多く参入してきて、Windows95が売れ始めると事情は大きく変化した。Windowsさえ動いてしまえば同じソフトウェアが使えるため、ハードウェアがNECや富士通のものではなくてもよいということになったのである。したがってPC市場をNECや富士通が独占できなくなり、IBM PC/AT互換機がWindows市場を制覇したといってもよい。その結果、価格競争が熾烈となり、一般ユーザーが10万円くらいでデスクトップコンピュータを買えるようになったのである。
このようにコンピュータが低価格化していった一方で、通信インフラも平成に入ってから大きく進歩を遂げていく。わたしの知る限り、一般ユーザーのコンピュータ通信のスタートは、音声カプラを用いた電話回線による音響通信だった。モデムが出す特定の周波数の音響でデータをやり取りするものである。生の音声周波数と発音時間はアナログなので、データの誤差を訂正する必要があり、雑音を拾うというような問題も多く抱えてのスタートだったと思う。
その後ダイヤルアップという技術が一世を風靡した。通信を始めるときのプロトコルの確立はモデムによるという点では同じであるが、通信が始まってからは、回線上はアナログのデータが行き交うが、送信側受信側のコンピュータではデータをデジタルのまま処理できるという点で長足の進歩だった。
次に出てくるのがデータ送受信のスピードの問題である。テキストのみのやり取りであれば、先述のように2400bpsで1行のテキストを大体1秒以内で送れるので、人間が文字を読んでいくスピードより速い。そういう意味ではテキスト通信は2400bpsでも十分である。しかしパソコン通信でバイナリデータを添付してやり取りするようになると、スピードはもっと速くする必要があった。10kByte, 20kByteの画像のJPEGデータを送りたいとなると9600bpsや14400bpsが必要になり、OMRONなどのモデムメーカーが開発を進め、技術的に追いつくことができた。さらにMosaicやNetscapeでGUIインターフェイスのwwwを快適にブラウズしたいとなるともっと速い通信速度が求められ、28800bpsという当時の「高速モデム」による通信が実現した。Windows98が発売された頃には28800bpsや33600bps (V.34)が全盛で、これらの通信速度の高速モデムが飛ぶように売れた。アナログ回線にモデムをつなぎ、ダイヤルアップで電話回線を独占するナローバンドタイプの通信では、このスピードあたりが安定して通信のできる限界であったといえる。少しあとになって56000bps (K56Flex/X2) も出現したことを付け加えておく。
このようにダイヤルアップで音声通話用のナローバンドを使うインターネット接続では、家庭に一本しかない電話回線をコンピュータ通信やインターネットで長時間独占してしまうと、固定電話がその間ずっと話し中になってしまうという問題が生じた。当時は携帯電話がこれから普及していく途上の時代だったので、家庭の電話利用というとまずは固定電話だった。したがってこの問題は深刻だった。
またアナログ通信のスピードは雑音によるエラー訂正の問題で頭打ちになってしまっていた。そんなときに、これら二つの問題を一挙に解決するというインフラ商品がNTTから発表された。それがISDN回線である。デジタルであるため通信速度が向上し、一気に64000bps(64kbps)となった。ISDN契約は二回線を束ねているため、コンピュータで一回線を使用中でも、残りのもう一回線で音声電話ができる。あるいは二回線両方をコンピュータ通信で使えば128000bps(なんと128kbps!) という高速度で通信ができるというものだった。当初はアナログからデジタルに切り替えると固定電話の番号が変更されるという問題もあったが、技術的に解決されて番号を変えずにインフラだけ変更することができるようになった(INSネット64の同番移行)。
このように社会的な通信インフラが整うにつれて、インターネット接続を分配して商業サービスを行う通信業者、いわゆるISP(Internet Service Providerたんに「プロバイダ」と呼ぶ場合もある)の業界内競争が熾烈になっていった。当初はアスキー(AIX)やベッコウアメ、RIMnetなどごく少数の従量制プロバイダしかなかったが、次々に低価格のプロバイダが現われ定額制となっていった。中でも年間10000円で使い放題というscan-netは衝撃的だった。
ダイヤルアップが主流だった頃には、通信を行うには電話料金(従量制)とプロバイダ料金の両方が課金された。電話料金は同一市内のプロバイダにダイヤルアップすれば最安の3分10円でかけられたが、それでも従量課金であるため長時間利用すると利用料金はどんどん加算されていった。さらにこのプロバイダの料金が別に課金されるため、ユーザーには経済的負担が大きかった。そのためプロバイダの過当競争はユーザーにとっては好都合だったといえる。
電話料金を安く抑えるためのサービスも存在していた。NTTでは深夜時間帯23:00~翌朝8:00のダイヤルアップを定額とするサービス「テレホーダイ」がヘビーユーザーの需要に応えていた。ただ、このサービスを契約してしまうと睡眠不足で仕事に差し支えるという事例も多かった。ISDN回線が出始めてからは、ついに常時接続サービスである定額のフレッツISDN(当初は「IP接続サービス・仮称」という名前)がサービスを開始した。
ISDNではモデムに代わってターミナルアダプタ(TA)が必要だった。モデムではダイヤルアップの際、アナログとデジタルの変調復調をリレーするための通信プロトコル確立のために発信から数10秒を要するが、TAによるダイヤルアップだとデジタルでの接続のためTCP/IPの確立が非常に速く快適であるという点もすぐれていた。
デジタル回線のISDNがよいことづくめで圧倒的シェアを握ると思われたが、2000年くらいからADSL技術が開発され実用化したため、アナログ回線がその地位を巻き返すこととなった。ADSLは従来のメタル回線を使って常時接続でデータ通信を行う技術である。メタル回線が利用する周波数のうち、最も低い領域のナローバンドを従来どおり音声通話に用いる。そして中間のブロードバンド周波数をUpstreamに、高周波のブロードバンド領域をDownstreamに用いる。通常は受信が送信に比べてよりデータフラックスが多いため、Down領域を広めに取って高速度にして、Up領域を少なめに取って中間速度とする。このような設計のために周波数帯の広さが上りと下りで非対称となるため、Asymmetric(非対称)なDSLということでADSLという名称となっている。
ADSLの強みは、ISDNやダイヤルアップに比べて圧倒的に高速度であり、ダイヤルアップのように回線を独占しないばかりか常時接続でしかも定額であるという点である。一般的なプロバイダではADSLのDownstream回線速度は10Mbpsのオーダーである。しかしながらADSLもよいことづくしではなく欠点もある。ADSLの通信速度は基地局からの経路距離に依存するため、汎地域的な標準的品質を保証できないという点が最大の難点である。このためADSLの品質はベストエフォート方式と呼ばれる。しかし基地局から2~3kmというような悪条件でも512kbps~1Mbps程度でありISDN二回線分の128kbpsの4~8倍の高速度である。一般的には3Mbps~12Mbpsが主流で、24Mbpsや40Mbpsを謳って契約者を集めているプロバイダも多い。最も古いタイプのアナログ電話回線で利用できるという点も普及に拍車をかけた。費用対効果という点でISDNよりもこのADSLに軍配が上がったと言える。NTTの固定電話でADSLを利用するには、電話回線にスプリッタという分岐部品をつけて音声電話とPCデータを分岐し、プロバイダから実質無料で提供されるADSLモデムをつけっぱなしにするだけでよい。ダイヤルアップのように従量制の通話料がかからず、プロバイダに月々2000円程度を支払うだけでインターネット接続が使い放題となる。
そのほかの固定回線による通信インフラとしては、若干高価格ではあるがADSLのあとに光通信FTTHが普及することとなった。ケーブルTVの回線を利用した有線接続も、山間部などでは根強い支持がある。
FTTHは光回線であるため従来のメタル回線とは別に新しく光ケーブルを引き、家庭などの敷地の端末まで伝送回路を引き込まなくてはならない。このような点で新規に開設するには手間のかかるインフラである。しかしADSLと異なりデータの減衰が少なく、基地局から比較的遠いところであってもデータ通信が可能という点が強みである。さらにユーザーから好まれる決定的な長所は、通信速度が圧倒的に速く、現在の技術では最も速い100Mbps~1Gbpsを実現しているという点である。
最近の通信インフラはこれらの固定電話などの回線を利用した技術とはまた別の次元で開発が進んでいる。それは携帯電話の回線とともに技術革新の進む、Wi-Fiをはじめとした無線接続である。ダイヤルアップから光ファイバまでの固定回線は、有線LANをいかに公衆回線上で利用するかといった技術だった。しかし、携帯電話があまねく普及した状況の中での無線インターネット接続は、固定電話回線の物質的、空間的制約を受ける必要がない通信インフラ、通信環境であるといえる。
ダイヤルアップが全盛だった過去にも、PHSや携帯電話をモデム代わりにしてノートパソコンなどで外出先からダイヤルアップ接続するケースがあった。特にPHSはもともと固定電話のデジタルコードレス子機として開発されたハードウェアであり、その設計仕様上ダイヤルアップに利用しやすい長所をたくさん備えている。DDIポケット(ウィルコムの前身)が売りにしていたのは、移動しながら外出先から通信が可能なAir EDGE(エアーエッジ)という商品であった。当時携帯電話の電波が地下階で届くところが少なかったこともあり、PHSは営団・都営地下鉄構内でも電波が届くということがセールスポイントだった。あれから18年くらいたった今でも、東京メトロの駅構内には「PHS/この付近で使えます」という四角い青色のロゴマークが貼られているところがある。
しかしPHSの通信速度(64kbps/PIAFS2.1対応)に限界があるし、コストの高さはなかなか解決できないでいた。そのうちシェアの多い携帯電話キャリアの他社からスマートフォンが発売され普及するようになり、通信にWi-Fiを使ってパケット定額で利用できるようになると、従来ノートパソコンとダイヤルアップ機器がなければできなかったことがスマートフォン一つでできるようになった。そしてWi-Fiが定額になるような料金体系を提示することにより、携帯電話のキャリア各社はユーザーのニーズを見事につかんだといえる。PHSは技術的にはアドバンテージをたくさん持っていながら、開発や料金体系の提示の機敏さが不足していたことで、他社キャリアに敗北したといえるだろう。
このような経過を経て、現在の日本のインターネット環境がある。固定電話と携帯電話の普及率(契約台数ベース)は、2000年ごろを境に、携帯電話のほうが多くなった。固定電話のほうが普及していた時代では価格の面から言ってもISDNやADSLに分があったと思われるが、近頃では携帯電話だけしか所持しておらず、固定電話は契約していないという人がとくに若い人たちの中にはたくさんいる。NTTの固定電話について、2005年に施設設置負担金(いわゆる電話加入権)が72,000円から37,800円に改定され、加入権売買の行われていた中で資産価値が暴落し、いまでは買取業者が買取1500円、販売5000円程度で行っているが、固定電話のメリットはいまやほとんどない。
このような現在の環境でインターネットを利用しようとしたら、もっとも手軽で新規コストがかからない選択は、間違いなくスマートフォンによるブラウズやメールであろう。コンピュータも固定電話も所持していない人たちに言わせれば「ほかに何があるの?」とでも真顔で言われかねない雰囲気である。
固定電話の基本料 (NTT)+プロバイダ利用料(ADSL)で4000~5000円程度、その一方で携帯電話基本料+Wi-Fiパケット通信定額料でやはり4000~5000円程度となり金額的に大差がないとなったときに、固定電話にこだわる理由はすでに希薄になっている。高いお金を払って電話加入権を手に入れ維持してきた経過があると、これを利用しないともったいないような気分にも駆られるものである。しかしはじめからそれがないとしたら、どうしても必要な携帯電話、それにプラスしてどこでもいつでもメールやブラウズが簡単にできる便利な端末、そのための通信インフラを安く契約しよう、となるのは必然的である。
概観してみたようにわずか30年程度のこの日本国内の状況だけでも、猫の目のようにくるくると通信インフラの主流が変化している。したがって未来を類推すると、現在がこうだからといって次の主流がこうだと断言できるものではない。むしろ人々の選択は非常にフレキシブルで複雑多様であって、安ければ・便利なら飛びつくといったような一次元の短絡的なものではないことだけは確かなようである。比較的豊かな時代とされている日本の1990年代以降であっても、このような変化の連続であったのだから、海外で人口が多くしかも発展途上にあるインドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマーといった国々では、今後通信インフラに関して多くの金額とモノが動き、いろいろな意味での激動が予測される。
通信インフラがあらゆる面で整いつつある日本にしても、依然としてデジタルディバイド(格差)は存在する。まったくインターネットとは無縁でメールを利用できない人たちがまだまだ多く存在する。大学院のある授業クラスの中で、スマートフォンを所持していない学生は20数名中わたし一人であった。いわゆるガラケー所持者は身の回りにもたくさんいるし、わたしは1998年からPHSを利用しているが、まだスマートフォンを持つつもりはない。携帯電話に関しては平均的に言って、ほぼ国民全員一人一台という水準になったのではないだろうか。情報格差は経済的発展とともに縮まっていくのか広がっていくのか、携帯電話だけを見ていると縮まるようにも思えるが、インターネットではまだまだ議論や開発の余地があるように思う。
(これはわたしが書いた大学院でのレポートを一部改変したものです、著作権は放棄していません)