餃子定食440円。馬場の王将のタイムセールだ。食い切れなかったよ。デニーズのめしが少ないと散々ここで騒いどいてから、今度は王将は多いと騒ぐ。中間はないのか。そう、ふつうの量のご飯が食べたいです。
三月に手付けをしていた中古マンション購入の決済を行なった。現金で残金をすべて支払うのである。三菱東京UFJ銀行で、通帳で引き出しを行ない、封筒に詰めてもらった。ATMでは限度額があって一日で下ろせないのである。締め帯で巻いてある百万円の札束をいくつか受け取る。これはみんな自分のお金なのだ。
不動産屋立会いのもと、マンションの売主に支払った。まさかここで何百枚を手で数えるのかと興味津々で見ていたのだが、不動産屋には「札束自動読み取り機」があって、すぱぱぱぱっ……と機械で何枚あるか数えられるのであった。いやー、貧乏人のわたしは世間知らずだった。売主氏は領収書をぼくに渡して、現金を受け取り、街中に消えていった。マフィアはあとをつけていかないのだろうか。三菱銀行から不動産屋までのほんの百メートルでさえ、ぼくはかなりの緊張で歩いてきたというのに。
株や為替ですったときでさえ、一日の金の動きは多い日でも50〜60万だったからなあ。一気にこんなに高い買い物をしたのは生まれてはじめてである。仲間の共同体でのラウンドアップ決済を委員として行なったときでも、動かした現金は200万円程度だったから、きょうの現金取り扱いは記憶に残るであろう。
今年の春はなんだかあまり休みらしい休みもなく、四月に入ってしまった。昨年夏も事務局当番とかでだらだら仕事に行っていたし、ここのところまとまった休みもない。
といっても平日かなり自由に動けるので、そのぶんはよいのだが。
すこしサービスやメッセージにも力を注いでいこう。
実家から連絡が入り、母が倒れたとのことで、小倉に3/30-4/3までのあいだ帰っていた。冠動脈症候群だそうで、いわゆる心筋梗塞と狭心症である。心臓の冠動脈形成術を施し一命をとりとめたとのことだった。しかし腎機能の低下やそれによる肺炎の併発もあり、予断を許さない状況が続いている。肺に水がたまり、それが抜けきらないと呼吸困難になるので、酸素マスクをつけている状況であり、いまだCCU(心臓集中治療室)で治療を受けている。しばらく入院生活に違いない。以前から糖尿病、高血圧などで臥していたこともあり、体力の低下はやむを得なかった。74歳なので一般的にはまだまだ若いのかもしれないが、今回は覚悟を決めて駆けつけることになった。
しかし救急期の処置とその後の治療がうまくいったのであろう。水曜日に駆けつけたときには意識も戻っており、金曜あたりには言葉も出ていた。若干後ろ髪引かれる思いだったが、自分も東京に戻り入学手続きや労使交渉など続けなくてはならない。日曜深夜帰宅して、月曜から通常生活である。
いつ何があってもおかしくないと思う。悔いなく全力で一日を生きていこう。
年度が変わって、理学部地球惑星環境学科の四年生となった。三年から編入だとあっという間に折り返し地点である。専門学校や短期大学に入学して二年目を迎える場合もこのような感覚なのかもしれない。ぼくは長いこと専門学校の教員をやってきたが、学生の皆さんの顔をやっと覚えてコミュニケーションが取れるようになってきたと感じ始めた矢先に、卒業してお別れという繰り返しだった。
昨年の新年度スタートは、研究生から学部生に身分が変わっただけでなく、工学部から理学部への大転換もあったし、指導教授や研究室ももちろん変わったし、受ける授業も一変する大きな変化であった。それに比べると今回は学年の数字だけ変わるに過ぎず、変化することのほうが少ない。住むところは変わったが、それは自分の個人的な事情である。変化順応に労力をかけないで、学問の続きに専念できるということだろう。困難を乗り越える力も倍増していると思う。
三年次冬学期の成績がほぼ出揃った。今回はなかなか渋く、優良可不可(ABCD)の「可」を二つ取得してしまった。工学部時代には可がごろごろある暴走学生であったが、今回はすべてにおいてまじめにきちんと努力している毎日なので、この可はちょっと不承諾したい気分ではある。しかし二つの科目の可には理由があるのもわかっている。
ひとつは英語実践の講義である。英語力そのものを評価される授業だったが、そのクラスの学生はTOEICで800点以上のレベルの水準だったのだ。そこに500点台の自分が混じっていればどんなにがんばったところで相対評価はビリッケツである。単語レベルチェックテストも正直に書いて出しちゃったし、やむを得ないところだ。
もうひとつはシステム進化学の試験で「プレート境界の三種類の状態を答えよ」という問いに対し、正断層・逆断層・横ずれ断層という「種類」を答えるべきところ、日本付近のフィリピン海プレートなどのプレートを三つ具体的に上げてしまったのである。試験の採点において、問題の趣旨を取り違えたらたいていアウトである。地学の常識を答えられなかったのだからほんとうなら不可でも甘んじて受け入れなくてはならないところだったが、15回中14回の出席を果たしていたし、高齢学生への温情ということもあって「可」をいただけたのであろう。大変恥ずかしいミスであった。
しかしながら他の科目については、自分の所属する環境学科の科目は駒場・本郷を通じてほとんどが優であったし、専門外の他学部・他学科科目もほぼ良がいただけた。自信のなかった生命科学や大気海洋の分野が優だったのはとてもうれしい。この満足感をバネにして、また今度の4年生科目もしっかり履修していきたいという向学心に燃えているところである。
_ 東京大学の短時間有期雇用職員の任期が3/31で終了した。また自由の身である。なんの縛りもない55歳。人生とは何か考える絶好の機会。しかしやることはいっぱいあるんだけど。そのうちのどれかが職業になってくれたりするとちょうどいいかも。
● 尾崎です(つくし野) [ご母堂の回復を心より祈ります。 私も母を68歳で亡くし、そのころはまだ酒を飲んでは周りの人に嫌な思いをさせていました..]