古い仲間にチャンスを与えてもらい、二日続けて話をする機会に恵まれた。水曜は、自分の生きてきたベースを中心に、木曜は、今のトピックス問題を中心に、どちらも15分程度。そのままの自分の背の高さでいられるこの場所というのは、ぼくの生きる場所という感じがする。職場では夕方、団体交渉があったのだが、ぼくの発言時間はほぼゼロ。朝9:00からの一時間半のMicrosoft Wordの講習(授業)では、実習の合間にぼくの説明時間は、ほぼ一時間。ぐっと地下にもぐっているか、目いっぱい広げているかのどちらかだ。やっぱり仲間のフェローシップは、ぼくの再生のプログラムの核心だったと思うし、これからもどのように道具として使ってもらえるかにかかっていると思う。たとえどんなに落ちぶれていた話をするにしても、いま苦しんだり高みに上ったりした話をしても、みんながぼくの話を聞きたがっている感じをもったときに、安全な場所にいるという気持ちになれるのであった。
もっとほんとは裏の話やナマの感覚の話もあるのだが、それはそれでTPOが揃ったら白状しまくる予定なので、お楽しみに。でもたぶんここには書けないようなことなので、会場でね。