キャパの標準がおそらく20人くらいの会議室に、40人くらい入っていたと思うよ。みんな時間の配慮をしすぎて、結局10分くらい余ってんの。よくある話ですね。おかげで20:30にはすでにJR大塚駅のプラットホームに立っていた。九時過ぎにはもう自宅。早。
きょうは評議員関連の郵便物を作ったり、そのためにコピーに出かけたり、新潟の仲間に事務的な手紙を書いたりして過ごした。洗濯も並行してしつつ。久々の城西地区委員会にも六ヵ月ぶりにオブザーバー出席。だから共産党じゃないっちゅーの。自分に落度も少しあったが。「よろこび」とか「しあわせ」とかって、自分の受け取り方の問題。ちいさなことに腹が立つときというのも、ただ睡眠不足だったり、腹が減ってるだけだったりする。掴めるようになってくるのに、時間がかかるんだね。先行く仲間には耳にタコができるくらい聞かされた。「時間がかかるんだよ」ってね。答がすぐ欲しかったときには、本当に我慢ならない言葉だった。でもインスタントコーヒーのようにはいかない。こころを空にして、バカみたいにミーティングに出続けるしかないね。みんなバカよ。自分もバカ。自虐的ではなく、だって半人前なんですもの。思い上がるなよ、自分。バカのほうがどうやら幸せみたい。まともに取っ組み合いはするまい。きょうはとてもうまく行きました。
回収率がめでたく100%達成。うれしい。20日目。これだけでうれしいなんて水準がぐっと下がっていい状態なのかも。先日母親と子どもが歩道を歩いていて、子どもが「よだれー!」って叫んでゲラゲラ笑っていた。それだけでうれしいのか、君は。そうなんだよね。しあわせなのだ。子どもになりたいのかなあ。
でも定期券の、乗車回収率を日々メモ取っている自分もけっこうかわいい。家に金魚とかハムスター飼っている仲間の話も今日聞けた。帰ってきて、金魚やハムちゃんと顔会わせると、それだけでうれしいんだって。たくさんヒントがあるね。
どれ一つ欠けてもダメみたい。とてもわかったよ、きょう。でもわかったような気がした…だけなんだろう、たぶん。仲間が見せてくれるとほんとうによくわかる。幸せに見える人は、必ず三つとも持っている。
つらつら書いてみて、下品な自分のかけらもないみたい。ここに書ける限度としては「ナンノの写真集、欲しい!」くらいだね。水着スペシャルなやつ、学生の頃持ってたんだけどなぁ。こんど神保町で探してみるか。淡路町まで定期で行けるしね。
きょうは朝から目一杯であった。バランスは悪いが効率はよい。全部終わって帰ってきて、22:00。やっぱし、あとはもう寝るだけ。忍、忍。こうして毎日耐えぬいていけば、きっと光が射してくる。ていうか、必ずよくなるプログラム。
古い仲間にチャンスを与えてもらい、二日続けて話をする機会に恵まれた。水曜は、自分の生きてきたベースを中心に、木曜は、今のトピックス問題を中心に、どちらも15分程度。そのままの自分の背の高さでいられるこの場所というのは、ぼくの生きる場所という感じがする。職場では夕方、団体交渉があったのだが、ぼくの発言時間はほぼゼロ。朝9:00からの一時間半のMicrosoft Wordの講習(授業)では、実習の合間にぼくの説明時間は、ほぼ一時間。ぐっと地下にもぐっているか、目いっぱい広げているかのどちらかだ。やっぱり仲間のフェローシップは、ぼくの再生のプログラムの核心だったと思うし、これからもどのように道具として使ってもらえるかにかかっていると思う。たとえどんなに落ちぶれていた話をするにしても、いま苦しんだり高みに上ったりした話をしても、みんながぼくの話を聞きたがっている感じをもったときに、安全な場所にいるという気持ちになれるのであった。
もっとほんとは裏の話やナマの感覚の話もあるのだが、それはそれでTPOが揃ったら白状しまくる予定なので、お楽しみに。でもたぶんここには書けないようなことなので、会場でね。
2004年より業務日が大幅に減って週3日の出勤になったのだが、他の曜日に日当のない労働組合活動があるので、ぼくの一週間は実質3.5〜4.5日くらいの仕事があることになる。それでもフルタイム労働者に比べたら自由のきく部分はあるのだが、いろいろと有事の際には土日も使うし「副業」(これも賃金はない)で仲間と遠征したりするし、けっこう忙しくなるのである。今週はほぼフルタイムに近い一週間であった。しかしいろんなことに整理がついてきた。収まるところに収まるのだろうし、それは自分の計画というよりも、天にいる方の計画に沿って進んでいるのだと思う。そういった考え方があるというのにはほんとうに救われる。コントロールの及ばないことについてはお任せするしかない。ただし、自分のできることを放棄してよいという意味ではないので、そこが難しいところである。
心も体も目一杯であったが、この土日で少しエンジンを暖気して、また来週に備えよう。
仲間たちがプログラムにしている小手指へ行くには、職場からとなると西武新宿線を使って高田馬場から所沢まで行く。そして池袋線に乗り換えて二駅だ。以前の住まいは西武新宿線沿線だったが、急行にはあまり乗らなかった。大変混んでいるのである。さらに夕方のラッシュ時間だ。でもまあ埼京線や田園都市線に比べたらいい方かもしれない。しかしラッシュに弱いぼくとしては、ほんの少しの区間でも骨が折れる。
高田馬場から鷺ノ宮までがおそらく最も混んでいる区間だろう。周りの人たちの靴と靴の間に立っている感じがする。体が斜めになっていると、その靴によって倒れていくのである。他人の体によって支えられている。その人たちが流れて離れていくとまさに倒れてしまう。汗に覆われながら10分近く耐える。
鷺ノ宮、上石神井で、少し人が降りるので、つり革につかまることができる。すこしほっとするがあまり身動きができない。田無でようやく空間があいてくる。人間らしく立っていられる。花小金井、小平、久米川、と普通の電車にもどる。東村山のマンションが空室になっていたとしたら、このあたりをいつも通わなくてはならなかった。板橋があいたことに感謝する。
小手指に着いたらすごい雨である。ここのところ梅雨というより夕立のようだ。しばらくこんな感じであろう。
結婚をした。その届けを板橋区役所に提出。また、結婚して両親の戸籍から自分の戸籍を抜き、東京都板橋区で自分の本籍地を確定する。妻の名前も自分と同じ「森田」姓となる。日本の戸籍制度にのっとり、すべてこれで手続きが終わる。
自分がこの45歳で結婚をするとは予想もつかなかった。しかしすべて大きな力の働いている上でのことだと感じる。これからまた新しい生活が始まる。
板橋区に婚姻届を出してからちょうど一周年。きょうはいつも通り大学に行き、午前中は大気海洋循環学と人間環境システム学の授業、午後もいつも通り岩石鉱物光学実習であった。難解な顕微鏡実習に音を上げたり食いついたりしながら、どうにかこうにか課題を終了。
そして自宅近くのカーシェアリングで車を借りに行っていったん大学に戻り、ジュニアTA(キャンパスツアー)の研修。すべて終わったのが20:15。借りていた車で、ミーティングの終わった妻を迎えに環七の羽沢へ。
二人で夜のドライブ。記念日を祝い夕食。そしてスイーツ。一晩泊って、翌朝自宅に帰ってきたのであった。
最近やたらに「友達に」の誘いが続いていたので軽い気持ちで登録してみたら、出てくるわ、出てくるわ、この二十年余りの間に知り合った人たち。また新しい展開がいろいろと始まりそうな予感。
● ami16 [ナンノさん、NHKの金曜時代劇に出ておられました。色っぽい役もやられるようになったんですね。]
● kiyochan [どうも最近料理屋のおかみとか、ムンムン未亡人とか、演じる年齢が上がってきたみたいです。殺人犯もやってましたね。]
● shoko [幸せって何?ささやかなもの?私はガーンってくらい幸せになりたい。]