あれだけ凝固し腐敗しかかっていた自分の精神状態が、あの一時間半で奇跡のように変化した。自分一人ではなしえなかったこと、である。そして振り返ってみると「他人のそれ」ではなく、自分が今日一日、どのように生き、どのように誠実にやれたかを振り返ることができる。
非常に弱気でしかも苛立っていた一日の前半だったが、仕事が終わり、団交が夕方で終わり、その後の自分は、別の人ではないかと思うほどだった。トンネルはやはりあの一時間半。出てみると雪国…ではないけれど、別の世界があったといってよい。
自分を大切にする。できないことはできないと言う。できることはもったいぶらずにやる。そして不機嫌は何の役にも立たないということのようである。
妄想が走るときには、空に浮かんでみる。これでたいていうまくいくみたい。
土日を使って、新潟県六日町にあるユースホステルに泊まってきた。仲間との合宿なのだが、地域(関東甲信越)の主催ではなく、地区単位(県)の催しなので小規模のものを想像して行ってみたのだが、100数十人の大セミナーであった。
二段ベッド、歯ブラシ・タオル持参、食事はセルフで一品、朝7:00から館内放送など、質素で無駄のない運営が感じられる。新しいものばかりに囲まれている生活よりも、実はこういう暮らしのほうが、いろいろと本質が見つかるのかもしれない。各部屋のドアのノブが、例外なくもげそうだったり、セキュリティは疑問だが、まわりに人家も何もないわけだし問題はない。
シンプルは不便なこともあるが、ほんとうに必要なものが何かということがわかるチャンスだと思う。
あーなんかとっても後ろ向きな人生だけど、ぼくの戻りたい場所は、昭和56年とか昭和60年とか、そこらあたりのようである。TSUTAYAで
なんていうのを曲名見てみて、しびれてしまった。そして思わず借りてくる。まざまざとその頃のことを思い出すね。高校1年〜大学受験の頃までだ。
ぼくはその頃にどうも戻りたいみたい。戻ったからといって人生がやり直せるわけではないのだが、その想い出と妄想に浸っていたい……ということのようだ。
まあなんかそういうことよりも、今を生きればいいのだけど、なかなかそうもいかないのが、この後ろ向きの人生のようである。
あと、この中には収録されていないが、アルフィーの「シンデレラは眠れない」とか、松田聖子の「Rock'n Rouge」とか、そしてキョンキョンでは「私の16才」も、たまらんねぇ。
話題の流れから言って、なんかゾクの集まりみたいだけど、そんなことはない。きょうは井荻で生コントラックの運転手の人たちの労働組合の集会があったのである。まじめで必死に働いている人たちである。労働基準法の守られていない職場は多い。そしてこれらはなかなか改善されない。だから労働者は団結して闘う必要があるのだ。当然の権利を主張するだけなのに、それに対して不当な処遇を受ける。こうしたことは是正されてしかるべきだ。
外貨定期を始めてから、意識が為替相場にたびたび向かっている。たしかに利率もいいし楽しいのだが、銀行の手数料は高すぎることに気づく。四千ドル預けたら4000円の手数料を「わたし」から取り、それを円に戻すと、また「わたし」から4000円取るんだよ。この「わたし」から取るというところがいかんね。もうけている人たちから公平に、とか、国と業者とわたしと三等分とかならまだ納得行くのだが、「わたし」からだけ取るのである。
証券会社やネット銀行だと、この取り分がやたら安いことを後から知る。あー悔しい。でも経験してみてはじめてわかることなのであった。
実習の課題が次々にたまって山積みになっている。月曜の基礎演習、火曜の生命進化学、水曜の地形地質学、そして城ヶ島の結果のプレゼン。七月第一週に締め切りが設定されているが、果たしてこなせるのだろうか。東大の授業の厳しさを、ちょっとばかしナメていたのかもしれない。気合で乗り切る。