なんか死ぬほど忙しかった。仕事→労働委員会→仕事→オフィス→メッセージ→お茶→帰宅。月曜からあんまり飛ばすなよー、って感じ。夕方空いてる日が今日しかなかったの。明日から歯医者・学会・役員会・団交…と毎日アフターファイブに入っている。果たしてミーティングに何回出られるのか。いろいろ不安である。
われわれの共同体の扉をたたき、新しい人生を始めてから、わたしは「キヨシ」と名乗っていた。約10年それを続けた。
そして2004年2月から2年4か月の間「森田」と苗字を使って名乗ることにした。理事会に◎◎清(きよし)さんといういう人がいて、混同されるのもなんか嫌だったし、第9回全国評議会で日本のゼネラルマネージャーが「【ニックネーム】はあるが【アノニマスネーム】というものはない」と明言したのもきっかけになったのである。グループでも一・二年で新しい仲間がたくさん来たし、わたしがかつて「キヨシ」と名乗っていたことを知らない仲間も多くなってきた。
しかしながら、ここで名前をまた「キヨシ」に戻してみた。どっちやねん、と思われる方もいるだろう。どっちでもいいのだが、どっちでもいいということをあえて知らせたく、戻してみることにしたのだ。
ネット社会などではハンドルネームを使うのは伝統的な手法だが、われわれの新しい生き方の中でもこれを使っていく。単に匿名ということだけではなく、謙虚になることや、自分の願いさえ、名前の中に含まれていることがあるのだ。
asahi-netのインフラを解約してメールアドレスだけ維持し、今日からは接続はWillcomのADSLである。モデムが届き、開通した。定額プランと同時契約なので、とても安い。PHSの基本料とメールも定額やり放題+3MbpsのADSLで4785円というのは、格安なのではなかろうか(料金表・最下段)。携帯電話だと、基本料だけでこのくらいの値段になってしまうのでは??
一人カラオケを初めてやってみた。新鮮な感動もあったが、やっぱし変だよね。自己憐憫モードが続いている。そしてまた週末。
生まれて初めて沖縄に行った。あらかじめ刷り込まれていたあらゆるイメージ、たとえば熱帯の蒸し暑さ、激しく繰り広げられる左翼運動、草むらから飛び出してくる獰猛なハブやマムシ、傍若無人な米兵たち、など。これらはすべて想像上の産物であった。沖縄といっても、ただ単にちょっと暑い日本の土地であった。
しかしながら、町並みはやはり少し違っていた。一戸一戸にシーサーがいたり同じく魔除けの「石敢當」があった。田舎の山の中腹には巨大な墓地がある。観光地ではあるがしっかりと歴史の刻まれた首里の城跡。平和記念公園に残った戦没者碑は圧巻だった。ここは地上戦の行なわれたところだったのだ。
仲間との分かち合いはいつもの通り。九州のメンバーもそうだが、むしろ関東のメンバーが多かった印象である。観光と保養に専念できた気がする。帰りの航空機が大幅に遅れて航空会社にクレームをつける場面もあったが、総じて楽しい四日間だった。
入学後もTOEFL ITPである。来年はおそらく理学系などの修士課程受験があるに違いない。英語を鈍らせるわけにはいかない。模擬試験といえども手は抜けない。
日帰りで九州第二弾となってしまった。鹿児島の仲間が末期がんとのことで急行した。とにかく驚くばかり。わたしにできることはなんだろうか。最近このような話題が多い。全力を尽くして生きていきたい。
_ 先のことだと思っていたが、あっという間に日が迫ってきた。明日より80周年コンベンションである。日本の二倍の歴史とはすばらしい。いろいろな縁があってそのときの同行者が決まる。五年前のときと同じ同行者はなぜかたった一人しかいない。こういう場で、この五年間で自分が何をしてきて、どんな仲間とともに支えあってきたかがはっきりわかるという気がする。 ちょうど今年の前半半分が終わり、2015年も残り半分となった。やっぱりぼくは、仲間の役に立ちたい。何かできるサービスをして、それが喜びになるような歯車の中にいたい。時間もお金も体力も有限ではあるが、それをあまり口に出さないような大人になりたいものだ。それに、差し出したものはもっともっと大きくなって返ってくる。たぶんそのようなことがわかる行程になりそうだ。この80周年も、今年の後半以降のぼくの生活も。とりあえず、自分が何を得られるかよりも、何の貢献ができるか、ということにシフトしていきたい。