池袋にて。とても暑い日だった。きょうは目的がはっきりしていたので、よく進んだのかもしれない。すなおに帰りは世田谷に行った。神様の配慮か、20:29に指名される。笑。贅肉のないスピーチ。
仲間と夕ご飯をともにし、いろいろ聞いてもらって、今日一日が終わる。明日からまた忙しいなぁ。もうあと三週間でヤマは越えそうだが。仕事の話ね。
今年も早いもので半分終了。Web日記を再開したいような気持ちもあるのだが、いろんな縛りがあって、ほとんど自分の日常を書くのは不可能に近い。たとえばある団体で常任○○をやっていることは経営者に知られてはならないし、わたしがある団体のメンバーであることを公言すると伝統上、本名すら書けなくなる。しかも、わたしはその団体では昨今本名を名乗っているのであった。また、労働組合での活動状況は機密事項である。ある団体の活動と、組合活動で、わたしのほぼすべてが語られるのだが、それが書けないとなると、「きょうは何を食べた」くらいのことしか書けなさそうである。あるいは仕事のことでも書けばよさそうだが、仕事については(こういうと顧客には申し訳ないが)、生活のための手段として、やむなく時間を切り売りしているだけであり、仕事がどう進捗して、どう展開したかなど、わたしにとってまったく興味がない。家に帰ってまで仕事のことを考えるなど、愚の骨頂である。何十、何百といる顧客がこのページにたどり着いて、それを知ったらどうする??
もうすこし何か方法を考えるなりしたいと思います。ミーティングで会いましょう。
しらふで新しく、いろんなことを経験してみて、そして自分を知る。こうしたほうがよいということがだんだんわかってくるのだ。すごいプログラムだねー。そしてここからが重要なのだが「こうしたほうがよい」ということと「こうしたい」ということが違うのである。頭ではわかるんだが……という、例の悩ましい葛藤だね。「止めなくてはならない」のが「やめたい」に変わらなくては扉が開かないのだ。これはあらゆる問題に当てはまるのである。仲間の手助けにより、自分のことを正直に書いて、そして話し、自分を変えていこうという努力をした。それでも自分を変えたくない、あるいは古い考えを使いたいという頑固な自我が立ちはだかったとき、さて、わたしはどうすればいいのか??
ここへきて、また底付きを体験する場所にやってきたと思う。理論ではなく、体験である。とてもそういう流れを感じている。とろ火になって鎮火したに見えても、まためらめらと行く手に炎が上がり、電車から見える景色もポストも真っ赤な色に映えている。まさに漱石の「それから」だ。1と7のステップがつながっていると仲間が言っていたのを遠く思い出す。かごぬけするうさぎを追って、わが身を濁流の中に落とし瀕死の重傷を負ってみて、やっと目を覚ますのか。自分の背丈がどれくらいあるのかを知らないと何もうまくはいかないし、配られたカードで満足はしないだろう。飲み込むのに困難な謙遜を、取り込まなくては前に進めないのだった。
明日から一週間、アメリカへ行く。昨年の台湾に続き二回目の海外旅行である。7/6(火)まで電話もメールも通じませんのでお許しを。生きて帰ってくれば、また新しい人生が始まるものと思います。