しらふで新しく、いろんなことを経験してみて、そして自分を知る。こうしたほうがよいということがだんだんわかってくるのだ。すごいプログラムだねー。そしてここからが重要なのだが「こうしたほうがよい」ということと「こうしたい」ということが違うのである。頭ではわかるんだが……という、例の悩ましい葛藤だね。「止めなくてはならない」のが「やめたい」に変わらなくては扉が開かないのだ。これはあらゆる問題に当てはまるのである。仲間の手助けにより、自分のことを正直に書いて、そして話し、自分を変えていこうという努力をした。それでも自分を変えたくない、あるいは古い考えを使いたいという頑固な自我が立ちはだかったとき、さて、わたしはどうすればいいのか??
ここへきて、また底付きを体験する場所にやってきたと思う。理論ではなく、体験である。とてもそういう流れを感じている。とろ火になって鎮火したに見えても、まためらめらと行く手に炎が上がり、電車から見える景色もポストも真っ赤な色に映えている。まさに漱石の「それから」だ。1と7のステップがつながっていると仲間が言っていたのを遠く思い出す。かごぬけするうさぎを追って、わが身を濁流の中に落とし瀕死の重傷を負ってみて、やっと目を覚ますのか。自分の背丈がどれくらいあるのかを知らないと何もうまくはいかないし、配られたカードで満足はしないだろう。飲み込むのに困難な謙遜を、取り込まなくては前に進めないのだった。