といっても家に帰って休んだりしていないのである。池袋で記念集会。最近、言われた通りの時間に行っても、それを指示した本人が来てないというのが頻繁にある。わたしはひょっとしたらバカなのだろうか。それとも奴らがおかしいのか。結論としては、みんな狂っているのらしい。そう思うことにしたい。
魂が錆びている。ここ一ヵ月くらいそうだ。五月の連休明けくらいからとみにそうみたい。たばこでもまた吸い始めるか…。いやいや、問題の本質とは全然違うぞ。
現在読んでいる本の中に出てきた言葉。厳しいね。でもそうかもしれん。そしてそれは、よいことであっても、だ。必要なものは与えられる。そして乗り越えられない試練は来ない。
変えていく勇気ということも頭に浮かぶ。果たして、自分はどうしたいのか。
この6月半ばの時期は、毎年のことながら、仕事の面では、年間でもっとも油の乗っている時期である。祝日もないし、特別な行事もない。ただひたすらに、つぎつぎに授業カリキュラムを進めていかなくてはならない。学生の皆さんの顔もだんだん見えてくる。授業を終えても授業を終えても、すぐ次が来る。でもだんだんそれに慣れてくる。仕事が詰まっていて当たり前だという感じ。仕事とミーティングの間のわずか数十分を新宿や池袋で過ごすのがやたら楽しい。
なぜかこの期間は、忙しいにもかかわらず、やりたいことがたくさん出てくるのである。忙しいから、かもしれない。そして、あまり無駄な体力も使えないので、無駄なことはしたくないという気持ちもある。したがって、必要なことだけを選別して、実行する。土日はあっという間に過ぎ、そしてまたすぐに月曜だ。あらゆることに可能性を感じる。制限がたくさんあってこそである。
午後四時からタワーレコード渋谷で「楽しい夕べに」と題されたイベントがあり、参加した。夜九時くらいまで五時間ぶっ続けのイベントである。青山ロックンロールショー並みである。
何かというと、キヨシローの追悼DVD上映会だった。84年の「The Tears of a clown」、94年の「Glad all Over」、そして2008年の「完全復活祭at武道館」の三ライブの上映だった。タワーレコード地下のイベントホールだったので、大画面大音量で、まるでライブハウスのノリである。
84年はたしか見に行った。94年はぼくは日比谷公園でギターを弾いていた。昨年は残念ながら見送ってしまった。
ビデオを見ているにもかかわらず、会場では拍手や声援がだんだん大きくなっていった。アンコールさえ出る始末。アンコールタイムには新譜「Oh!Radio」のプロモーションビデオが流された。
新宿店でも追悼会をちょくちょくやっているようである。違う音源のときにまた参加したい。