午前、授業でした。今年は決まった課題でルーチン的に進めるのではなく、会話とキャッチボールで進んでいる。すこし名前も覚えてきた。笑いも出るようになってきた。来ない学生や、遅刻の多い人は、自身のリスクなのだから、こちらももうなるべくとらわれないよう、それより知ろうと学ぼうとする姿勢の人の期待に応えるべく進行。12年目にしてようやくすこし開眼(遅すぎ?)。
職務専念義務免除な昼の休憩時間中に、労組の印刷業務など。準備がやっと整った。切手も買ってきて、立て替え分が二万円を越えちゃった。そして終業後に分会メンバーみんなで作業。一人で抱えるのでなく、みんなで分担すると、何もかもうまくいく。仲間の中でのサービスで教わったことです。ああ感謝。
できあがった郵便物を千代田学園労組の占拠闘争中の校舎に届けに行く。鴬谷。わたしの入院して手術した病院のそば。帰り、日比谷線入谷駅を見失ってしまい、やむなく銀座線稲荷町駅まで歩く。稲荷町は初利用だった。神楽坂へ直行。
自分の最近のオアシス。高円寺の次点。いや、逆転してるかな、ひょっとしたら。でもほんとに助かっています。泣かなかったけど、今ジンジンきています。
よい状態のときに決断とか伝達はしたいものです。ここぞタイミング!と思ったときは、一日置いてみるとか。病気などで仕事を休むときも、自分の判断+一日とはよく言ったものだ。ただの怠けではなく、そういうバランス感覚が欲しい。ください、ハムちゃん。違った(笑)。ください、神様。
ここは全世界にIPのばらまかれているインターネットなので、あまり書けないこともある。別に何百人も見ているサイトではないけど、不特定の人の目に触れるしね。自分の壊れ加減を晒しているという意味では自虐的なんだな。それで自分自身をおもしろがったり、妙に深刻に演出したり、もちろん魂が叫んでいるときもある。でも「書ける」自分というのは、タイトル通り奇跡的な実在。意識不明と昏倒の毎日を忘れてなるものか…です。
かならず日々資産があり、必ず日々負債があります。すべて神様が配ってくれるカードなので、自分の力はほとんど無力に等しい。最近何度も言っておりますが、やれることはやる。やれないことはやれない。驚くほどシンプルですね、現実は。
気がついてみたら、Amazonにはかなりお世話になっている。読み終わった本はほとんどマーケットプレイスに出品しているし、たいてい確実に売れる。ブックオフよりはるかに高値でさばけるし、1円出品しかできない安物はやはりブックオフに持っていって20円とかで売る。
Amazonのアソシエイトに参加したら、読者の皆さんもAmazonにはまるかもね。ただ、1500円以上新品で買わないと、つねに送料がついて回るのが厄介だ。でも足を棒にして古本屋回りをするよりは、少ない労力で、確実にほしい本が見つかるかもね。左下のリンクからサーチしてみてください。
西武新宿線は、行き先別最終の場合、西武新宿駅の電光掲示板に「終電車」と出るのを昨日知った。ワールドカップが終わった直後でしたか……。数年前の韓国戦のときも、なぜか歌舞伎町付近にいたんだっけか。日付が変わったあと、ゆうべは自宅に着いたのだった。
きょうはちょっと気持ちに余裕があったが、なお時間的スケジュールはびっしりなままである。CBX125が気持ちいい。今度また画像でもアップします。ナンバーはキリ版になった(xx00)。00で終わるなんて百人に一人だよ。黄色からピンクになって昇格したというかんじ。
やっと仕事が中休みになると思いきや、明日は朝から晩まで労組の活動でびっしりである。サービス活動がちょっとお休み状態。でもまあ流れはきっとらせん状に上昇するだろう。いつだってそうだったし。
きょうはツカえていたことを少し抜かせてもらい、テーマそっちのけで話をさせてもらった。そしたら後のみんな、なぜか話が長いんだ。自分に責任あるような気がしてくる。でもあんまりほんとは関係ないんだよね。
西早稲田の焼肉店で友人と再会。小一時間過去の話や今の話をお互いにする。顔や形はほとんど変わっていない気がする。学生の頃というと1985〜1990だから、もう20年近い年月が流れている。どう考えても自分も相手も老けているはずなのだが、まったくそれを感じない。不思議なものだ。
ぼく自身の話はともかくとして、相手の話に集中してみる。チェロ、iPod、大学院、職場の人間関係、頑固な人々、家族。お互いに世界は広がっているのだ。成功して大立者になったわけではないが、地の底まで沈んだわけでもない。そこそこに生きて、そこそこに楽しんでいるのである。
遠慮なくいろんな話題に飛び移れるのがいい。偏見がない関係というのはよいと思う。肩書きとか出身はどうでもよいのだ。そういう話題も出た。一個の人間だから、それなりに生きているというそれだけである。
こういった関係をいままでおざなりにしてきたかもしれない。ちょっと反省。同窓会とか大切かも。それなりに歳を取ってきたということだろうか。
二日目も津軽の話が続く。文学は当然のことながら太宰治の話であった。津島姓の由来についてなど、聞いて納得である。寺山修司も弘前大学(旧制弘前高校)の出身であったらしい。
そして藩の歴史、ねぶたの歴史など。東北新幹線の新青森開業も今回の訪問で知った。弘前・青森間くらいしか移動できなかったが、次のときは電車で行き、五能線に乗りたい。あとやっぱり竜飛岬や岩木山であろう。フェリーでつけてバイクで県内を回るのもいいかもしれない。
弘前大学内の昼のランチに100%りんごジュースがついてきた。青森空港の自動販売機にもオリジナルりんごジュースがセットされている。どこへ行ってもりんごである。りんごの悲しみカゴの中…。
_ 最近演歌が楽しい。熱川温泉にみんなで遊びに行ったときに、渋いおじさんが「奥飛騨慕情」を歌い上げていて、しびれてしまった。なんというか、典型的な演歌のメロディで名曲だよ、あれは。昭和歌唱には数々の名曲があるが、最近聞いてやはりすごいと思うのは「さざんかの宿」「無法松の一生」などである。「無法松…」は地元小倉の歌なのですらすら歌える、と思いきや、度胸千両入りに入ってしまうと結構難しいし、変拍子かね、これは、みたいな進行が演歌には時々ある。唐獅子牡丹のラストも変拍子だし。演歌はなんだか若い間は区別もつかなかったしまどろっこしいだけの予定調和音楽群だったのが、最近では感性が変化してきたのか、ゆったりとその味を噛みしめる感じである。数年前にカラオケで何度も練習して、坂本冬美の「能登はいらんかいね」が完璧に歌えるようになったのは進歩だった。冬の温泉の雪積もる露天風呂でぜひ一曲「奥飛騨慕情」を歌いたいものだ。
_ わたしが初めて神宮球場に行ったときのことをなかなか思い出さないでいたのだが、古い手帳をめくっていたらその日付がわかった。過去の野球記録はネットに出回っていて、日付とチームがわかるとそのときのゲームの結果も調べられる。
初回は東京六大学野球の東大・早稲田戦、2001年5月5日のものである。2対10で東京大学は大敗しているのだが、一回裏、二回裏で先制していて、2対0で先攻していたのだった。その後残念ながら逆転負けをしている。惜しい試合である。まだ学生席が応援席として一般開放されていなかった頃なので、おそらく内野席で見たのではないかと思われる。その後2010年の9月11日、応援席一般開放のシーズンに二回目の六大学観戦を果たした。東大・慶応戦だが0対15でまたしても大敗である。このかんインターバルがなんと9年4か月である。2010年からは火がついて、ほとんど毎回神宮に足を運んでいる。
2001年の5月15日に、神宮球場でプロ野球を観た記録がある。同僚からチケットがあるので行かないかと誘われた広島・ヤクルト戦だ。彼が広島ファンで応援ということだったのだが、この試合も広島は2対11で大敗している。このプロ野球は小学生の時に小倉球場で観た南海・太平洋戦と巨人・広島戦以来だったかもしれない。こちらもやく25年もインターバルがある。プロの公式戦(一軍)は2001年のこのゲームから今まで見ていない。二軍はファイターズの鎌ケ谷で最近ちょくちょく行ってるんだけど、今年はコロナが過ぎ去ったらプロ観戦再デビューになるかもしれない。
● junk [IPばらまいてるの?じゃPING打っちゃお。PINGPINGPINGPINGPINGPINGPINGPINGPING..]
● kiyochan [省略表示にならないぎりぎりの文字数? やるね。]
● shoko [学ぼうとする学生は、本気で聞いてるよ。だからこそ、やる気の無い先生には怒りを覚える。がんば!]