なぜに人を変えたくなるのか? これが消え去れば麗しい人間関係が構築されるであろう。でも消え去らないっすね。変えることができるのは自分だけです。同じ条件でも、人の感じ方は違う、…かも。とか。同じ事実があっても受け取り方はさまざまなのでした。だから自分の頭の上のハエ。ハエってあまり見ないなぁ。田舎にはたくさんいたぞ。
たしか5.15事件か何かで、暗殺される直前に首相が言った言葉だっけ。話さなくてもわかるんじゃないか・わかってくれるんじゃないか…っていうのは、家族でもない限り難しいのだった。話した方が断然いい。でもコミュニケーションのとびきり下手というか、そこが壊れているんだよ。助けてハムちゃん。
仲間は言った、第一のことはミーティングだってね。自分が間違ってたとしたら、他の部分だろう。
こうしてだらだらWeb日記書き殴っている間にも、もう一台のWindow$マシンは着々と労組の仕事をしているよ。招待状160枚印刷。きのうやっときたかったんだけど、あの精神状態では喜んで仕事なんてできなかった。しかも睡眠時間を削ってなんて。仕事はおもしろがってやんないとね。まじめにやるときも必要だけど。
やっぱりミーティングが足りなかっただけだった。きょう確信した。いままで通りでよかったのだった。そしてもう一歩踏み込まなくてはならないときが、きっとくる。それは二年先なのか、明日のことなのかはわからないけど。
わ、自分のことです。息切れしてもバドミントンなら打つ!! それでも市ヶ谷左内町の急坂は登る。そしてまた息切れ。毎日仲間に会いに行く。毎週サービス委員会に行く。千葉だろうが新潟だろうがモノともしない。そしてまた息切れ。あー、しらふはよいね。
みんなの使ったコーヒー茶椀を洗った。きっとそれがよかったのかも。それだけの話か。あまりに開き直りすぎていたここ何日かであった。
あー、やっと160枚のハガキの裏表、印刷が終わった。労組のことを他の人に話してもやっぱりピンと来ないみたいです。って自分も役員になって動き回る前には、全然わかりませんでしたけど。こればっかしは理屈じゃないですね。行動して、歩かないと、自分の中に入ってこないみたい。共同体ってみんなそうなのかね。
以前、このページでも話題にした、南野陽子の全裸ショットありの写真集、「Flowers」をAmazon.co.jpのマーケットプレイスに出していたのだが、今朝、買い手がついた。\2,500。即日発送。あああ、嫁に行ってしまったナンノ……って感じ。定価が三千いくらだったので、ほとんどレンタルのような差額でぼくの中をとほり過ぎていった……。
たしか今月はナンノの誕生月だったような気がする。38歳でしょうか。二学年下でしたね。今となっては熟女というか団地妻というか、まあ、そんな年齢になってしまったことは否めないが、それはお互いさまでありんす。いつまでもぼくのアイドルでいてください。
日々、いろんなことを進行しているわけだが、自分のなすべきことがたっぷりある。あっという間に時間が流れ、あっという間に夜になる。なすべきことは全部は終わっていないが、それでもぼくは十分働いたと思う。こういうのをいわゆる「幸福」と呼ぶのかもしれない。
夜は仲間とともに十数年前を振り返る時間も確保できている。なんかきょうはその道31年のメンバーからチョコレートもらっちゃったりするし、東中野の日本閣横の地獄の傾斜で、エンストせずに坂道発進に成功もした。少し難を言えば、最近外食が松屋ばかりだ。たまには五百円以上のものが食いたいね。
小さなことに満足できると、水準が下がるようで、穏やかで緩やかな一日がとてもうれしい。ちょっとしたことで笑いたくなるし、そうなってくるともうこれは神様の計画か??みたいに思えてくる。やるべきことの数々が「与えられている」と感じられるし、もう人を裁く必要もなくなってくる。自分が幸せだからだ。そうするとどんどん幸せの循環が始まっていくようだ。
生まれて初めての青森訪問。正確に言うと20年くらい前にJRで津軽海峡線を通過して青森県は通っているのだが、車窓の風景すら記憶にないくらい当事泥酔していた(笑)。したがって実質初めての青森県訪問となる。日本航空JALで青森空港を利用。目的地は弘前大学内にある放送大学青森学習センターである。面接授業の科目は「炎の津軽学」である。Tsugaru culture of fire.といったところか。さまざまに記述される津軽文化を、炎の燃えるごとく激しく魅せるといった授業である。
知らない土地のことといったらとことん知らないものだ。ねぶた、津軽塗り、弘前藩、三味線…といったトピックス。豪華なことに8時限の授業すべての講師が別のゲスト講師リレー講座であった。非常にステレオタイプな青森の知識しかない自分は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」や松村和子の「帰ってこいよ」くらいのイメージしかない。歌詞の中に出てくる御岩木山、龍飛岬くらいしか知らないのである。
街中のマンホールのふたに「卍(まんじ)」のマークがある。寺町だからかなあくらいに思っていたが、どこまで行っても卍の連発。授業の中のねぶた絵の披露の際に、背景に卍の連発。講師の方が、これは津軽為信公です、と言ったときに、卍は津軽藩の家紋に違いないと推理した。弘前駅前の市章の説明文の中にも卍。どうやら推理は当たっていたようである。
弘前の街は古い情緒がある。水戸や前橋に似ているかもしれない。弘南鉄道という路線が走っている。川に沿って走る単線である。
弘前大学の中に放送大学の学習センターがあり、土日ではあるが周囲には弘前大学の学生が溢れていた。自転車に乗っていたりジャージでうろついていたり、都心の学生とは違って健康的である。
授業ののっけから津軽三味線の披露。プロの演奏家による演奏であった。あいや節、じょんから節。じょんから節も新節、旧節があり、ぜんぜん違う。リズムと強弱、目の前でのバチ捌きにはとても臨場感があった。
● ヒロシ [津軽藩の旗紋蔓字「卍」は津軽藩祖為信公の読書疲れの霊夢に出た神人二人との問答に由来す。 「 為信公或日閑窓の下に読書..]