東急東横線が特急電車を走らせてくれるようになってから、非常にアクセスがよくなった。しかも先述の副都心線が渋谷まで走っている。JRを一切使わずに横浜まで行ける。すごいことだ。安いし速い。渋谷・横浜間なんて260円だもんね。しばらくしたら副都心線と東横線が直通運転するようになるというから、鬼に金棒だ。
2001年のイベント実行委員会の日々。東横線ホームもみなとみらい線も、当時は延々と工事をしていた印象があったが、今ではすっかり見違えるようになった。
仲間と一日過ごし、帰途に着く。いろいろと複雑なものも心に飛来する。仲間の提案を忠実に聞き、積み重ねてきたこれまでの日々は、ひょっとしたら間違っていたのだろうか?とか。
新しい場面であることは確かなようである。
介護についての講演会があった。残念ながら先日、奥様の南田洋子さんは亡くなった。ぼくが講演会の申し込みの振込みをした日に、偶然にも洋子さんが亡くなったのだ。でも講演会は予定通り行われた。介護の話が、亡くなったお別れの話になってしまった。
選択肢がいろいろとあるのだと思う。自分がそうならないとも限らない。両親や姉妹も。明日はわが身である。知り合いの中にも当事者になった人がいる。認知症は遠からず、発症しないような方法が見つかるかもしれないという情報もある。考えさせられる講演会だった。
_ 本日中曽根康弘元首相が亡くなられたとのことである。お悔やみ申し上げます。大正生まれの自民党の政治家で、とてもパフォーマンスのうまい人だったと思う。非常に影響力の大きい政治家だったので、左右、敵も味方も多かったのではなかったか。
2008年の東京大学ホームカミングデーでゲスト講演され、自分はライブで見、聴くことができた。当時で90歳だっただろうか。お元気だった。政治や経済の分野の話で弁舌を奮う姿を見て、自分もあのように歳を取りたい…と思った。ぼくは労働運動を続けてきたので、内容については是是非非あるが、リーダーとしての資質と姿を見せてくれていたと思う。そしてぼくにとっては、このホームカミングデーに行ったことがその後の自分の学問復帰に結び付いた。中曽根氏の講演を聴いたことは自分の中に大きなインスピレーションを作り出した。
存命のうちに何かまたイベントがあれば参加したいと常々考えていたのだか、それもかなわぬこととなり残念である。また一つ昭和が終わっていく…という感慨である。