連絡協議会なのだけど、役員会が月一回ある。きょうは年末ということもあり、講師を招いて学習会も。こうして活動を続けていて、ほんとに自分のためになってるのか…と思うことがよくある。何もやらない人と平等に賃金などが支払われているのも何だかなぁ。いろいろわかってくるのは確かに進捗感はあるけどね。
中小企業で小数組合立ち上げて、外部と横断的に連帯してやっていくには、苦労も多いし、そもそも大企業の御用組合とは根本的に生き残りの理屈が違う。「民主的に」なんていうのも、幻想と裏表の甘い汁だな、と思う。
いろいろ忙しくて溜りに溜っていたことが、ほぼこの三日くらいで次々にカタがついた。不思議と「完了」が続いている。12月になったせいもあるのかなぁ。最後まで先延ばしになっているのは、部屋の掃除と不要品の処分だったりする。なんとかしたいなぁ。
仲間に土曜日本をもらって、一篇だけ、読んだ。そういやほんっとに読書をしなくなった。過去、あれだけ本に囲まれ、図書館に通い、神保町に往復していた自分なんだけどねぇ。最近読んだのと言えば、10年ぶりくらいで二度読みしたサリンジャーの「フラニーとゾーイー」。その前は、うーん…。12の概念とか(笑)。
忍耐力を養っていきたい。毎日が忍耐だと最近思う。無意味に金を使わない忍耐とか、間食をしない忍耐とか。就業時間も忍耐だし、会議も忍耐、人の話をただ黙って聞くのも。
いやなことも嫌なりに受け入れ、効果がないようなことも続けてみるという途方もない退屈。退屈でもそれに耐える力。やる気になれないときの、やる気とか。思い通りにならないのは、必ず感謝に通じる。
非常に社会的で活動的な一日ではあったが、霊的な貯金はやはり一日24時間で枯渇するね。耐える力はついてきたように思うが、軌道修正は独りでは決してできない。その証拠に文章が次から次に書ける。妄想と説明が亢進する。そろそろ疲れてきたなぁ。こういうときは早く寝るに限る。いろんなもの(形状のない物も含む)が欲しくなるし、これで十分だという感覚から程遠くなる。そして注入されるのが、酔えるさまざまな魔法のパワーだったのだ。いまは注入も投入もできないけど。