_ 97年の春は自宅で430TXマザーボード・AMDペンティアム互換プロセッサ・WindowsNT4.0の導入などが続き、貧困生活に陥りました。4,5,6月はずっと一日\1,000-で暮らしていたような気がします^^;。金がなくなればソフトも買えない・ハードも買えない……ということで大変つらかったのです。そんな中、わたしに夢を与えてくれたのがFreeのPC-UNIXでした。OS・標準機能・拡張機能・種々のアプリケーション・開発環境・ソースコード・ついでにX window systemというGUI・詳細なオンラインマニュアル……すべてCD-ROMに入っていて\2,000-程度です。価格にまず惹かれたのと、古い98が蘇るかも、という希望の光も見え、導入することになりました。しかし、UNIXだからなぁ、DOSみたいにちょいちょいっとお手軽にはいかんだろうなぁという恐れがあったのも事実です。パーテーションやファイル管理のシステムも違うし、マニュアルみんな英語っていう話だし……。しか~し、考えてみれば結局DOSは「慣れ」だった、Windows3.1も「慣れ」次第、Win95も「慣れ」ればお手軽だった、というあたりを鑑みれば、きっとUNIXも「慣れ」ればきっと……という確信を持って始めたのです。実際のところ今となっては、たしかに慣れればDOSもUNIXも大差ないように思えます。根本的な部分が少し違うので、二つの言葉を使い分けているような感じもします。言うなれば標準語と九州方言を使い分けるときのような感じかなぁ。英語はしゃべれませんのでバイリンガルの気持ちはよく分かりませんけど。
というわけでまず導入したのは、往年の名器といわれるパソコン、NEC 9801DA/U2にFreeBSD 2.1.5 RELEASEをインストールしました。といってもインストールにこぎつけるまで大変な紆余曲折がありました。98に限らず、PC-UNIXのインストールの手順は基本的には次の順序で行います。
インストール用のブート(起動)フロッピーを作る
これでインストール元のメディア(CD-ROMなど)を認識させインストール先のメディア(ふつう、HDD)も認識させる
FreeBSD インストール先のハードディスクのパーテーションを切る
さらにその中に通常のファイルシステムとスワップ領域をメモリの量の倍程度取る
Linux REDHAT・SLACKWARE共通 インストール先のハードディスクのパーテーションを切る
いきなりですが、LINUXのnativeをとります
それとは別のところにLINUXのスワップ専用も取ります
ここまでは下準備です。いやー、これだけでも大変でした。しかも特殊事情の多い国民機9800でやろうとしたものだから、なおさらでした(笑)。CD-ROMなしでやろうとしたもので、HDDにCD-ROMのソースファイルを流し込んで、そこでもういきなり、DOSとUNIXパーテーションが混乱してむちゃくちゃになってしまいました。ハードディスクの容量も130MBしかなかったし。今思うと、ですが、最初はノーマルなCD-ROMドライブ付きAT互換機でやるのが正解だと思います。HDDもせめて250MBはあったほうがいいでしょう。
すでに使っているWindowsの領域があって、それと共存させたい……というのはよくある話ですし、現在はわたしもそういう使い方ができるようになりましたが、パーテーションやスライスを切るという行為はデータすべてチャラになってしまう可能性を常に持っているので、共存なんてことは最初っから考えないほうが安全でしょう。ジャンクでもいいから別のハードディスクをパソコンにつないで、現在使用中のHDDはケーブルと電源引っこ抜いておくくらいの心の余裕が必要です^^;。スライスのことがある程度把握できて、パーテーションマジックやfips.exeが使えるようになったら、Windowsとかとの共存を考えるのもいいのではないでしょうか。
インストール元と、インストール先の準備ができたら、次は配布セットの選択です。「開発者向け」みたいのが項目に出てくるのでびびってしまいます。いや~わたしには開発なんてとてもとても……ちよこっと使ってみるだけでいいんですよ、なにもそんなソースを解読して新しいソフトウェアを作って社会に貢献しようなどとは少しも思ってないしぃ~、あ、でもちょっとだけですか?なら別に……でもHDD狭いしなぁ。……悩んでいてもきりがないので
「X-user」
を選ぶとよいです。これで、基本セットとX-windowを使うための最小限のファイルはすべて入ります。
その後もモデムやイーサネットの設定がたくさん出てきますが、全部すっ飛ばしていいのではないでしょうか。一つ一つの設定はあとから個別にできますし、その方が自分のスキルアップにはいいように思えます。把握してないうちからでたらめに設定してしまうと、後が大変なので。最後に展開(commit)を行うと、インストールが始まります。くだんのPC 9801DAでは一時間くらいかかります。Pentium120MHz程度であればものの10分です。8倍速とか10倍速とかのCD-ROMがあればきっともっと速いんじゃないでしょうか。
PC-UNIXは32BitのマルチタスクOSなので、Alt+F1, Alt+F2, Alt+F3...でタスクが切り替わります。Windowsで同時にたくさんの窓を行き来できるのと同じですね。この長いインストール時もAlt+F2で切り替えると、展開ファイルがディレクトリ(WindowsやMacではフォルダと呼ばれるようになった)を作って次々にファイルを配置していく様子が分かります。DOSのようなテキストモードでのマルチタスクというのは初めて経験したので、なんとも不思議な感じがしましたが、要するにたくさんのDOS窓をフル画面で切り替えるようなものですね(かなり乱暴なたとえ^^;)。使っている最中にソフトが動かなくなって、つまりハングアップしても、リセットボタンや電源ボタンを使う必要はあまりありません。別タスクに切り替えると、たいてい何もなかったように動いてくれます。よほど深刻なエラーでもない限り、どのタスクも動かなくなるということは、いままであまりなかったと思います。Windows95はマルチタスクOSを売り物にしていながら、よくWindows全体が凍り付きますよね。あれではいかんのです。NTはまだマシですが。インターネット巡回中にネスケが落ちるのも許せません。Webのファイルを読みこむだけ読みこんどいて、後で電話を切ってゆっくり見ようなどと考えているときに限って、ネスケが忽然と消えてしまう……ってよくあります。そういう時はだいたいブックマークにも入れてなかった、とかいうオチもついてきて、ああ、もうプリティサミー見て寝よう……とかやってるのは私だけでしょうか?
話が飛びました。FreeBSD導入記でした(笑)。インストールがすべて終わると再起動がかかります。そしてめでたくLogin:とでたらrootとやり、パスワードを打ち込みます。「なんとかかんとか #」とプロンプトが出たら、あとはもうlsでもcdでもpwdでもmanでも、好きなようにしてください。マニュアル全部えいごー!ということでかなりショックを受けますが、入門書の一冊や二冊買っとけば、英語を全部無視していても何とかなるでしょう。
不幸にもインストール後にLogin:までたどり着かなかったら、どうするのか。WindowsやDOSと同じです。こたえは「やり直す」ということですね。それがハードウェア的な問題なら、パーツを取り替える・余計な周辺機器をとりあえず外してみる。IRQやドライバの問題なら、DOSのデバドラと同じです。バッティングしないように心配りをするしかありません。IRQとかの設定を変えるためには、「Boot:」と出ている数秒の猶予のときに、すばやく「-c」と入れてあげて、configモードで「ls」です。ヘルプも確か「?」で出たと思います。わたしの場合、まともにLogin:と出たのは、初めて起動用のブートフロッピーを作ってから二週間くらいかかったかと思います。rootのパスワードを設定し損ねてハードディスクを泣く泣く初期化したこともありましたし、とにかく、気を長く持ってやってくしかありませんね。どうやってもうまく行かないときは、プリティサミーのビデオ見て寝る……と(笑)。翌日になると違った視点からスタートできることもありますし、トラブルシューティングにしても要するにWindowsと大差ないのかもしれません。Windowsと違う決定的な点は
周りの人に聞いても、誰もわからない ……かもしれない
というあたりでしょうか。これは困るのですが、インターネット上には、FAQみたいなのもありますし、英文のマニュアルでも必死でにらみつけていると、気合次第で意味が分かってくるのもあります(ほんとかね)。次回はXの設定について触れようかなぁ。
あまり精神状態のよい日ではなかった。会場へ行く前の新中野の喫茶店で一服してるとき、胃がすこし締め上がっている感覚。ま、しかし、忍耐、忍耐。
会場へ行き、仲間と会う。まだダメダメ状態だったけど、いろいろ話して、終わって帰ってくるときには、やはり奇跡の訪れ。ちゃんと元に戻ってるんす。この経験の積み重ねしかほかに方法はないなと今日も実感。細かいところではいろいろあったものの、これでよし。
東大浅野地区での一般公開シンポジウムに参加。自分の専門だった原子力分野である。武田先端知ビルという新しい建物が建っている。国家予算が使われているのだと実感。
内容は福井県の原子力施設誘致に関する話と、網走などへの廃棄物最終処分場のこれも誘致の話題。現場の声がよくわかる。これまでいろいろ参加した他学部のシンポジウムと違って、一度は自分が歩こうとしていた分野なので、マターがわかる。講演とパネルディスカッションで締めくくり。日中約四時間の討論であった。
休憩時間に受付のところで主催事務局の職員を見かけたら、学生の頃に世話になった事務のかたがおられた。「卒業生の森田です」と声をかけたら、憶えておられたようでちょっとうれしい。卒業から20年以上経っているのに、あまりお歳も感じられない。何かの折にまた世話になるかもしれない。一礼して会場を後に。
文京学習センターで放送大学の面接授業。すごくきれいになっていて感動的。しかも筑波大学の図書館が共通で使える。ロールズの正義論もらくらく借りられてうれしい。
先日も法務関係の授業を受講したのだが、今回は教育社会学の面接授業を受講。教育学はあらゆる分野の知見の集大成かも知れない。自分の働きどころもあるかもしれないということを感じる。
子ども時代をもう一回生きることはできなくても、勉学は何回でもやり直せる。放送大学は永遠だ。この制度の存在は、ぼくをインスパイアしてくれたきっかけであった。
経済学部と公共政策大学院の授業「環境政策」を履修している。中央官庁やエネルギー政策の関係者が次々にゲスト講師に来てくれる、すごく贅沢な授業。社会で20年働いてきたので、こんなに要人ばかりきてくれて本当にいいのか…とすら思ってしまう。政策決定の中枢の人たちなのかもしれない。
_ _ 大学院を満期で中退してから仏教ジャンキーを続けていたら、あっという間に半年が経ってしまった。いつまでも無職のままでいるわけにもいかず、かといってこの年齢で飛び込みで正社員に採用してもらえるほど世間は甘くはない。じっくりと中途採用のある教育機関を探しながら、とりあえずは時給の生活でもいいから働きたい!ということでいくつかの口を応募し続けてみた。バイトと言っても大学や専門学校とかを重点的に探していたのだけれど、そうすると経理や秘書の仕事が多くて、大学側はたいてい若い女性を求めているのである。しかし男女雇用機会均等法とかがあるため募集要項に「女性に限る」とか「30歳前後を採用」とか気軽に書けないらしい。あるいは逆に「TOEIC800点以上」とかすごいハードルを設定しているのに時給980円とかで、そんなうまい話ないでしょ、採用担当さん!って感じのものが多い。いろいろえり好みしながら折角なので四年間理学部で勉強した地球科学関係の仕事がないかと探していたところ、あるとき海洋深層水を用いた環境保全の講座で技術補佐員を募集しているのが目に留まり、応募したら採用してもらえた。キャンパスは東大の弥生だし、博士号が必要とか英検一級とか研究職レベルのスキルは要求されないようで、さらには、入ってみたらいい人ばかりで、自分は良運に恵まれているなあと感じ入っている。任される仕事がホームページ作りだったり研究室の整備だったり掃除だったりと、自分の得意なことをよく頼まれるので、これも心地よい。あわてて地質ボーリングの肉体労働会社や、夜何時まで働かされるかわからない競争的学習塾に飛びついて就職しないでよかったと思っている。
非常勤で有期雇用のアルバイトだけど、フルタイムパートでまあまあお金ももらえるし、予算がついて仕事の成果を認められれば数年は更新がされる可能性もあるし、良いアルバイトにたどり着けたと思っています。