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奇跡の今日一日

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2009-05-01(Fri)

_ 自転車購入

西友成増店でシティサイクル購入。7980円。また安物だが今度は日本製だ。26インチなので10インチアップである。車輪が大きい。よく進む。ペダルを踏めば踏むほど前に進む(当たり前かw)。小径車はあんまり進まなかったので。

防犯登録の所轄警察が高島平警察である。都内も端の端。どうせなら埼玉まで渡って買えば戸田とか和光になっていたかもしれない。

機能面でいうと、ダイナモライトが明るくて衝撃的。いままで100円ショップの電池ライトを使っていたが、もう電力は車輪が作ってくれる。単純にうれしい。前にかごもある。ずっと忘れていたような気がするが、これが自転車なんだなあ、と実感。


2009-05-02(Sat)

_ ロックの神様、死去

深夜ある仲間からのメールで忌野清志郎が亡くなったと一報あり。58歳は早すぎる。合掌。ぼくの青春のページがひとつ終わった。

高校生のときにアルバム「Blue」を聞いてから人生が変化した。トランジスタラジオや雨上がりの夜空にを聞いて、熱狂した。大学生のときのバンド活動もキヨシローのコピーが中心だったのである。ぼくが就職したのは1990年だが、このときに出た「I like you」や翌年以後の「メンフィス」「Go Go 2,3's」と快調だった。ぼくが渋谷でフォークゲリラを展開した四年間も、キヨシローの曲がほとんどだった。

昨日自転車を買って成増から自宅に戻るときも、鼻歌で「サイクリングブルース」をハミングしながら帰っていたというのに、なんということだろう。この自転車はキヨシローの生まれ変わりかもしれない。

どこにいってもこの話題で持ちきりである。キヨシローの音楽はわれわれの記憶に残り続けるだろう。


2009-05-03(Sun)

_ 駒場野公園

城南地区の仲間の集まりによるバーベキュー大会に参加。キヨシローへの悲しみがまだ覚めぬ中、バイクで出かける。キヨシローの住んでいた自宅マンション前を通過。喪服の報道陣が詰め掛けていた。

東北沢から駒場にかけて、20代の頃によく原付でうろついたところだ。下北沢の裏町。駒場にもいろんな思い出が詰まっている。ここで仲間のフェローシップが行なわれるのはなんとも不思議な感じ。

入れ替わり立ち代わりで100数十人という発表のようだった。焼きそばもたっぷり食べてミーティングして終了。

_ 井荻バースデー

バースデーミーティングを井荻に移して初の日。自分が司会をさせてもらった。みんなに話してもらいたいのだが、やはり半分くらい残ってしまう。しかし、感謝と喜びに満ちた、よいミーティングだった。意欲と正直さと開かれた心があれば回復できるのである。

終了後数人でお茶。話は尽きないが、きょうはここまで。この連休中ノンストップな感じ。予定はすべて与えられている。


2009-05-04(Mon)

_ カラオケ part1

仲間10数名と大泉学園駅前のカラオケの鉄人でカラオケ。年二回の定例フェローシップである。メンツが同じなので、だいたい個々人の選曲傾向がわかってきて楽しい。それにしても長丁場だ。11:00〜18:00の七時間! でもメンバーが多いのでたいして順番が回ってこないのである。

こんなタイミングなので、30代、40代はみんなキヨシロー一色か?と思いきや、全然そんなことはなく、いつも通りである。キヨシローの曲を歌ったのは、ぼくとあと30代のメンバー一人だけであった。


2009-05-05(Tue)

_ W-ZEROについて

今使っている携帯電話の端末がAdvanced W-ZERO(es)という、ミニPDAみたいなものなので、けっこういろんなことができる。コンパクトなWindowsが入っているから、ワードやエクセルのファイルも読めるし、メディアプレーヤも起動する。MP3プレイヤーにもなるのである。外部メディアとしてminiSDカード2GBを装着しているのでかなりたくさんの曲が入る。1MBで一分くらいの長さが録音できるから、ざっと2000分、約32時間の音楽だ。でもそんなにバッテリーが持たないか。

CPUが500MHzくらいということだから、職場で使っているパソコンより速いかも。なんたること。メディアなしでもユーザーメモリが256MBくらいあるとのことだ。すごい時代になったものだ。

ビックカメラに行ってヘッドホンの変換アダプタを480円で購入した。ポイントで買えちゃったのでおまけみたいなものだ。キヨシローの最近の「Sweet Lovin'」とか「旅行」とかを入れて聴いてみる。ちょっとボリュームが足りない気もするが、けっこういい感じだ。

実はワンセグオプションをつけてTVも見られるのである。TV生活をしていないのであまり恩恵にあずかっていないが、安い端末であらゆることが可能なのはすごい。パケットが安いと言うことないんだけどね。


2009-05-06(Wed)

_ 多摩蘭坂へ

ぼくが高校生の頃、はじめてキヨシローの曲を聞いたアルバム「Blue」の中にこの多摩蘭坂(たまらんざか)という曲が入っている。ゆったりした弾き語りの曲だ。この坂は国立と国分寺の市境のあたりに実在する。京王バスのバス停もある。キヨシローが本当に住んでいたのかどうかはわからないが、多分そうなのだろう。

学生の頃や卒業してからも、何回か行った。そして最近も立川にバイクで行くときなんかにときどきここを通る。今日は仲間との約束が二つともキャンセルとなり、チャンスかもしれないと思い、キヨシローが没した記念に行ってみた。

折からのひどい雨。北九州で雨にあったときを思い出すなあ。傘を差してとぼとぼと約15分で到着した。坂の途中の多摩蘭坂の地名碑のところに、たくさんの花やお供えがしてあった。みんな考えることは同じだね。ぼくがそこにいた間も入れ替わり立ち代りファンとおぼしき人たちが、傘を差してわざわざやってきていた。雨が悲しさを盛り上げてくれる

実はこの坂のすぐそばにある東京都立府中病院は、ぼくがアルコールで苦しんでいた頃に救急車で運ばれた病院なのだ。縁が深いね。

_ カラオケPart2

多摩蘭坂に行ってきて、荻窪に戻る。ミーティングまで少し時間があるのできょうは一人カラオケである。

「Sweet Lovin'」「多摩蘭坂」「エンジェル」「ひどい雨」「わかってもらえるさ」などを歌う。一人ならマイナーどころだって大丈夫だもんね。多摩蘭坂歌っていたら不覚にも涙が…。あうあう言いながら完唱(笑)。もうちょっと時間のあるときにまた行こう。


2009-05-08(Fri)

_ カラオケPart3

たっぷり時間があったので、再度の一人カラオケ。きょうは二時間ということでやってみたが、あっという間に時間がたったので一時間延長し、結局三時間。最近のカラオケボックスは飲み物無料、食事はデリバリー、部屋の大きさもちょうどよいし、おひとりさま仕様にもなっているようだ。池袋の歌広場である。

往年のキヨシローソングを歌いまくる。きょうはそんなに感傷的にもならず、ただただ楽しむのみ。DやEのキーが多いのだろうか、素人にはちょっと高い。

どの曲もあるかと思いきや、意外と用意がない曲もあった。著作権の関係なのだろう。タイマーズも数曲しかない。逸見アナウンサーのがん闘病の医療体制を皮肉った歌は是非歌いたかったがこれもなし。残念。

三時間歌ってさすがに気が済んだという感じがする。これで数百円は安い。カラオケも時間の過ごし方のレパートリーの一つに入りそうだ。


2009-05-09(Sat)

_ キヨシロー告別式

一般ファン向けの告別式が青山葬儀所で行なわれた。ネットなどマスコミにも発表されているようだが、参加者43,000人、入場待ち行列は8kmにも及んだ。ぼくは友人と15:20に列に並んだのだが、乃木坂駅から葬儀所の入口までくねくねと列が折り返しており、進んだり止まったりで、葬儀所に入場できたのは20:00過ぎ。葬儀所内でもくねくねと列が続き、祭壇にたどり着いたのは20:30であった。五時間待ちの行列だった。

音楽葬で「青山ロックンロールショー」とアナウンスされていた。祭壇には骨壷と位牌、キヨシロー生前愛用の有名な自転車、ギターなどが多数展示されていた。香典を納め献花をし、歌いながら会場をあとにした。祭壇はロックショーさながらで赤や黄色の原色の色使いで、葬式特有の湿っぽさはほとんどなし。でももちろん喪服で訪れる人は多かった。ぼくらは普段着だったけれど。

キヨシローがよく描いていたウサギのキャラクターマスコットも巨大なタイプで登場、でもこれはライブで使われたものらしい。しかし会場を圧倒していた。古いポスターも並べられており、20年以上前の時代を偲ばせる。やはり永遠のロックスターである。


2009-05-12(Tue)

_ 安い電気代

昨年11月に32kWで900円台を記録したが、今月も1000円を切っている。38kWで991円。最安値には及ばなかったが、たしかに今月一ヶ月くらいはエアコンを一度も入れなかったと思う。主な電気使用は湯沸し、炊飯、パソコンくらいだろうか。放送大学番組の録画DVDデッキ以外は、スイッチタップで待機電流も切ってるからなあ。また安値更新したら発表します。

_ 特別番組

二日続けて深夜のNHKで忌野清志郎の特別番組が流された。録画しながら見る。箱根の頃は若いんだよね。30代ではないだろうか。去年のステージはさすがに疲れているようだった。MCも落ち着いている。でも去年の活動が最後になるとは思わなかったね。

キヨシローの死後、毎日そのことばかり考えている。なかなか自分の中から旅立って行ってくれないのだ。他の人のがんの闘病記を読んだり、人生を考えるきっかけを与えてくれているのかもしれない。


2009-05-14(Thu)

_ 吉祥寺へ

自宅から吉祥寺へと向かう。時間がたっぷりあったので成増に出て、あの有名な長時間西武バス、成増町→吉祥寺駅北口を使う。何年ぶりだろうか。三鷹に住んでいたときに、赤塚グループへ出るときや病院メッセージでよく使っていた路線である。

成増駅からちょっと離れた川越街道沿いの始発を発車後、旭町の坂を降りながら和光市市内を突っ切っていく。そして笹目通り。環八の埼玉への分岐だ。ここは結構速くバスが走る。そして路線バスしか右折できない交差点を曲がり、石神井公園駅方面へ。ここは富士街道だろうか。ロータリーを経て踏み切りをわたり、合同庁舎の前を通る。むかし日曜午前のミーティングが開かれていたところだ。

しばらくして左折し、上石神井駅方面へ。混雑した駅前の人ごみの中を巨大なバスが縫うように走る。歩行者とすれすれなのだが、ぎゅんぎゅん曲がり、不思議なことに一人も轢かれない。事故が起きそうなくらい接近するのだが、運転手の見事なハンドル捌きである。危ないのは特に自転車。まったくバスなど眼中にないと思うくらい、突拍子もなくバスの前を横切る。そのたびにバスは急ブレーキ。あんたたち、そのうち死ぬよ。見てるだけで冷や汗ものである。

上石神井駅前のアジア的雑踏をかいくぐったあとは、平和な道路に戻る。青梅街道を少し走ってから、立野町あたりから吉祥寺通りに入る。あとは終点にまっしぐらである。

所要時間ぴったり一時間。夕方の帰宅者ラッシュの中を楽しめた。そして何年ぶりかの会場へ向かう。古い仲間が何人かいて単純にうれしい。ゆったり分かち合いをして、アフターはスポンシーたちとお茶。

都内でも小旅行が楽しめるものだ。


2009-05-17(Sun)

_ 立川

中間施設へメッセージ。新グループで開拓したところである。当初は平日昼の司会ボランティアだったが、そのつながりで、グループで責任をもって数人で行っている。

日々プログラムでどっぷりの仲間たちに、さらにわれわれが何を言えるのか?という問題もあるのだが、われわれにはたくさんの経験がある。それを伝え、また逆にたくさんのことを伝えられもする。

みんなで連れ立って行き、連れ立って帰ってくるということ自体も効果があると思う。

_ 大塚での委員会

地区の委員会と地区イベントの打ち合わせ。最近毎回時間が押せ押せの委員会が続いていたせいか、みなが抑制を効かせつつ、効率的に進んでいる感じがした。新規の議題は出しづらい雰囲気。出すとさらに時間がかかるからだ。これはグループが増えすぎた弊害でもある。これは何とか改善しなくては我慢比べ会議になってしまう。

イベント(報告会)の打ち合わせも、必要なことのみ、会場や備品、人員配置などにしぼられる。中身のことは担当役割のひとたちにお任せである。その割り切り方がよかったのかもしれない。20:00ちょっとすぎに終了。あまり引っ張らずにみんなでさっと帰る。これでいいのかもしれない。


2009-05-18(Mon)

_ 埼玉シリーズ

少し続いていた埼玉来訪シリーズ、今回は小手指である。小手指の教会へは何度か足を運んでいるが、それでも年に2,3回程度。前回は結構寒かったときだった。こじんまりとした人数で、ここでも古い仲間の話をじっくり聞けて癒される。仲間は正直だなあ。自分はなんだかいつもメンツばかり気にしている気がしてくる。大切な気づきだ。

まっすぐ帰ってくれば自宅最寄り駅には21:30には着く。恐ろしく遠い、ということはない。でも餃子の満洲がすでにしまっている。閉店早いよ満洲。


2009-05-19(Tue)

_ キヨシローの声質

昨深夜(早朝)、フジテレビでまたまたキヨシローの追悼番組が放映された。5/9の青山Rock'n'Roll showの風景から始まったが、あとは少し前の生前のレコーディング風景であった。アルバム「夢助」である。このアルバムを聞くとすぐわかるのだが、キヨシローの声質が大きく変わっている。病気の進行のせいなのだろう。今回の番組でもこのレコーディング風景が映し出されていたが、声が変わってしまっているキヨシローはなんだかかわいそうにも思えた。

しかし、再度復活して登場した昨年は、元の声に戻っていたのだ。不思議な感じがする。一年だけ神さまが戻してくれたのだろうか。

_ 立川ふたたび

16日はグループで施設に行ったが、今日は個人でのボランティア。一人なので気楽にバイクを飛ばす。板橋からはだいたい一時間半かかる。

立川市役所の地下食堂で昼食。狭い食堂なのに満席になったのを見たことがない。職員の人たちはローテーションを組んでいるのかもしれない。そこそこの値段、そこそこの味。公営食堂だからといって、都庁もオリンピックセンターも決して安くはない。安さを維持しているのは大学生協くらいだろうか。

司会が終わってバイクで中野へ出る。途中多摩蘭坂を通った。キヨシローのスポットには今日もファンが花を持って巡礼していた。書置きがまた増えている。バイクで通過するとき、メーターがちょうど12,000kmを回った。中古で買ったときの指示数は8,200kmくらいだったと思う。

行きは五日市街道、帰りは東八道路。五日市街道は柳窪から国分寺までずっと並木道である。東八道路も試験場から野川公園一体は涼しくて森林浴をしている気分になる。車では味わえないドライブ感だ。


2009-05-21(Thu)

_ 定額給付金

板橋区を通じて、定額給付金が振り込まれた。12,000円。七月に宮崎に行くときの片道代金にちょうど相当する。財はそのまま日本航空へ横滑り。そういえばパソコンとかしばらく買っていない。

_ 親鸞上人降誕会

要するにバースデーである。死後800年以上を経ているというのに毎年浄土真宗のお寺に、たくさんの門徒が集まり念仏するというのはすごいことだ。誕生日でこれだけのイベントとなるのだから、命日はもっとすごいことになる。キヨシローの43,000人は一見大変な人数に見えたが、親鸞上人が800年間に動員した門徒数を考えたら足元にも及ばない。

仕事が休みの曜日にたまたま当たったので、築地本願寺に行った。本堂にたくさんの人たちが集まっていた。みんなすらすらと正信偈をそらんじている。ひょっとしてプロか? ぼくも負けじと暗誦しようとするが、もう20年以上唱えていないし最初の十行くらいで降参だった。

正信偈とは浄土真宗の日々の勤行で唱えるお経なのだが、違うイントネーションでみんなが唱えていることに気づいた。本願寺派と大谷派で違うのだ。微妙な違いではなく、はっきり違う。「中夏日域(ちゅうかじちいき)…」と発声するところなんて、足並みが揃わなくてずっこけそうだった。ちなみに我が家の勤行は大谷派のイントネーションだった。でも父は「本願寺派」だと言い張っているし、じっさい納骨は西大谷なのである。小一時間過ごし、本願寺をあとにする。体中が抹香くさくなったが、これも祈りのシャワーである。毎度言うが、つながりは大切にしたい。


2009-05-25(Mon)

_ 祈りについての誤解

ここにもよく書いてきたことだが「祈りは通じる」と信じてきた。しかし。しかしである。最近気がついたのは、基本テキストに「自分自身のために祈ってはいけない」と明確に書いてあるのである。他の人のためになるのであればよいが、自分の欲望のために祈ってはならない。理由は明らからしい。ぼくはどうも誤解してきたようだ。

一見、ぼくの願いがかなったように見えたのは、他の人の役に立つために時間や金銭などが与えられた、というだけのことのようだった。勘違いもはなはだしかったようだ。深く反省している。神よゆるしたまえ。

_ 友人との再会

出勤途中に、20年くらい前にバンドを一緒にやっていた友人と偶然会う。こんなに生活圏が近かったとしたら、今まで会わなかったのが不思議なくらいかもしれない。

過去の人間関係は修復していないものもある。考えるきっかけが与えられているのかもしれない。


2009-05-26(Tue)

_ トップデザイン刷新

このブログに至る前の、トップページをついに刷新する気になる。人生は前進している。保留するべきものは何もない。夜は明けたし、憐憫からも脱している。ぼくにはぼくのできることをやるのみだ。

workのところには、三年前の小説も再公開した。悔いなく生きていきたい。

_ バースデー

中野で仲間のバースデーだった。会場に着くまで知らず、びっくりであった。サプライズプレゼントだったのかもしれない。本人の意向で地区委員会などに一切報告していなかったのだそうだ。数年前からチェックを怠っていた自分も反省。感謝に溢れたとてもよいミーティングだった。


2009-05-27(Wed)

_ バイクのスピード

夏が近くなり、休日にはバイクで出かけることも増えてきた。小型、中型で走るとバイクも車と同じ制限速度となる。小さな路地の20,30km/hのところでは、ほぼ制限速度を守っている。自転車や子供が飛び出してくることが多いからだ。30km/hくらいまでなら、まだとっさに止まれる。

ちょっとした大きな道路に出て40km/hとなるとそうもいかない。4速だといきなり止まるのは厳しい。一昨年、二輪の教習所では急制動の実習もあった。エンストしていいからフットブレーキとハンドブレーキを一気にかけるのである。力いっぱいかけると、横滑りして転倒する。だからかけるコツとタイミングがある。

幹線道路の50km/hだともうけっこう流れている感じである。他の自動車やバイクも50km/hなんて守ってはいない。深夜は80km/hを越えている車もある。オービス注意。つかまって免許取消になった知人もある。幹線道路でも立体交差の前後などで40km/hのところもある。制限速度を守って走っていたら、後ろから警笛を鳴らされることもあるのだ。遵守者が非難されるのは納得のいかないものだが、むしろ制限速度を変えて欲しいと思う。

うしろにパトカーがついてしまったときは、大変緊張感がある。さっさと路肩に止めて、やり過ごすのが得策だろう。そしてパトカーの後ろをついていく。きょう高円寺のあたりでちょうどそんな状況になった。制限速度を守っているパトカーに警笛を鳴らすバカはいない。なかなかいい方法である。


2009-05-28(Thu)

_ 勉強

ドイツ語はなかなか厳しい。もうすぐ中級に至るのだが、息切れしている。検定三級はまだ挑戦できないと思う。会話になかなかついていけない。ドイツ語どころか英語もである。英会話やるか。

生物学はなかなか楽しい。最近細胞や遺伝の勉強だ。高校では生物Iまでだった。生物IIがやりたかった。それだけなのだが。

幸福論やコミュニケーション論は、文化人類学の延長という感じがする。人類学って奥が深いね。いろいろなドグマを取り払わなければならないと感じている。偏見や思い込みがクリアされてこそ、真実の発見がある。

コンピュータの回路の勉強もやっているが、専門分野のはずなのにけっこう難航している。今朝、通勤電車の中で回路図片手にさっさっと赤字入れているかっこいい人がいた。シークエンスやレジスタのあたりで行き詰まってしまう。

この土日は茨城の大学で、浄土真宗の勉強だ。東本願寺の講師がきて、じきじきに歎異抄を教えてくださる! すごいぞ放送大学。放送だけではないのだ。むしろスクーリングの多様性こそ放送大学の醍醐味かも。

(後日談・講師のかたは東本願寺の出版社から書籍を出している、元茨城大、筑波大の教授でした)


2009-05-31(Sun)

_ 茨城大学での面接授業

5/30,31の土日に放送大学の面接授業(スクーリング)が、茨城大学内の放送大学茨城学習センターで行われた。今回選択したのは「親鸞と歎異抄」である。浄土真宗大谷派(東本願寺)から出版されているテキストが用いられた。

歴史的な問題ももちろん触れられたが、今回の内容は主に歎異抄の思想についてである。受講生の年齢層は大変高かった。30名近くいた学生のうち、ぼくはたぶん最年少か、あるいは2,3番目の若さだったかもしれない。先生が「お若い方もいらっしゃるので…」というたびにぼくの顔を見ていた。

絶対的信頼というテーマに差し掛かったとき、歎異抄の中の有名な文言「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」というのが示された。法然上人は親鸞の師匠で浄土宗の開祖である。すかされるとは、騙されるの意。師匠に騙されて地獄に落ちても後悔しないと思う、と言っているのである。法然上人のいる草庵「六角堂」に、親鸞が100日続けて通い続けたという話とか、親鸞の弟子唯円が、こころから浄土に行きたいと思えないという疑問を親鸞にぶつけた話など、人間同士の機微の問題がたくさん出てきた。自分の考えを使おうとすることを戒めたり、教団の分裂にどう対処してきたかについても触れられた。

今回は知識を集める感じの授業ではなかったのがよかったと思う。最後にレポートを提出したが、実家が檀家から外れて納骨を京都に移したことや、東と西についての自分の混乱の体験も書いた。自分の宗派について、再考すべきときかもしれない。帰りに歎異抄の著者とされる唯円の寺「報仏寺」に寄ろうとしたが、折からの大雨と赤塚駅からのバスがお寺に向かわなかったことを受けて、今回は断念した。前後の予定はもう少し計画的にやればよかったなと思う。

仏教はやはり葬式や法事のためだけにあるのではない。むしろ、生きるための智慧なのだと思う。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」という恩徳讃にはすこし鳥肌も立った。ぼくはこれまで身を粉にするほどの感謝のこころを持っただろうか。人生には点検が必要である。

_ 東海村

金曜の夜に水戸入りし二泊して計8コマの講義であったため、土曜の夜も少し時間があった。そこで東海村に向かってみた。学生のときに実習で宿泊した記憶が甦ってきたからである。

水戸から常磐線を日立方向に三駅ほどで「東海」駅に着く。ずいぶんと変わった感じがした。昔は二面三線の小さな駅で、跨線橋を渡って東口に出たような気がした。いまは立派な橋上駅である。九州の日豊本線の各駅もここ20年ほどで似たような変化があったのだが、関東のこちらも状況は同じようである。

授業が終わって夕方水戸を出たため、東海についたのはすでに日が暮れたあとであった。休日でもあるし、夜になって東海の原子力施設に向かう人は皆無である。寂しいバス停があるが、バスの本数もほぼなくなっており、タクシーで行くほどの強い動機があるわけでもない。

東海村には日本原子力研究所、動力炉核燃料開発事業団、そして昔お世話になった東京大学工学部付属原子力研究施設などが並んでいる。日本で最初に原子力の灯がともったのはたしかこの東海村の実験炉だと思う。この東海村にはそのような各種原子力施設がたくさん並んでいるのだ。JCOの被爆事故が起こったことでも有名になったが、電力会社の子会社や孫請けの施設も含めると膨大な数になるのではないかと思う。

駅から各施設まではかなりの距離があるので、行くのはあきらめて駅前のジャスコで食事をして帰ることにした。やはり地方都市で暮らすには自動車が必須かもしれない。平日の昼間ならば少しは動きようがあったのだが、これも思いつきで動こうとしたための不備である。

ちょっとした運命のサイコロの変化で、ぼくはこういった原子力関連の仕事をしながら、ずっと暮らしていたかもしれないのであった。自分で選んできた要素もあるが、いろんな状況が与えてくれた部分も大きい。これからだってわからないわけだが、自分の選びうる選択は幅があるのだと思う。


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