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奇跡の今日一日

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2003-05-06(Tue)

_ 仲間のバースデー

お祝いだった。ちょっと頑張って「自分以外の」話もした。

喫茶店で遅くまでお茶。日付がもう変わる。


2007-05-06(Sun)

_ スピーカー

仲間が集まっている前で話をするのを「スピーカー」と呼ぶ。ありがたいことに今回も声がかかった。前回は去年か一昨年かと思っていたが、話によるともう三年前ということである。時間がたつのは早いものである。

今回は当初の頃の、遠征メッセージ活動の話を中心にした。あっという間の20数分であった。京急久里浜駅から京急バスにみんなで乗って、トンネルを超えたり(岡便)、船着場を経由(海便)したりして、病院敷地に向かったことを思い出す。日曜の夕暮れがせつなかった。三鷹に場所を移しても同じようなものだった。それがしかし力をくれたのである。

午後四時前にプログラムは終わり、仲間と明大前まで徒歩で移動。夜のミーティングを終え、連休もこれで終わったのだった。


2009-05-06(Wed)

_ 多摩蘭坂へ

ぼくが高校生の頃、はじめてキヨシローの曲を聞いたアルバム「Blue」の中にこの多摩蘭坂(たまらんざか)という曲が入っている。ゆったりした弾き語りの曲だ。この坂は国立と国分寺の市境のあたりに実在する。京王バスのバス停もある。キヨシローが本当に住んでいたのかどうかはわからないが、多分そうなのだろう。

学生の頃や卒業してからも、何回か行った。そして最近も立川にバイクで行くときなんかにときどきここを通る。今日は仲間との約束が二つともキャンセルとなり、チャンスかもしれないと思い、キヨシローが没した記念に行ってみた。

折からのひどい雨。北九州で雨にあったときを思い出すなあ。傘を差してとぼとぼと約15分で到着した。坂の途中の多摩蘭坂の地名碑のところに、たくさんの花やお供えがしてあった。みんな考えることは同じだね。ぼくがそこにいた間も入れ替わり立ち代りファンとおぼしき人たちが、傘を差してわざわざやってきていた。雨が悲しさを盛り上げてくれる

実はこの坂のすぐそばにある東京都立府中病院は、ぼくがアルコールで苦しんでいた頃に救急車で運ばれた病院なのだ。縁が深いね。

_ カラオケPart2

多摩蘭坂に行ってきて、荻窪に戻る。ミーティングまで少し時間があるのできょうは一人カラオケである。

「Sweet Lovin'」「多摩蘭坂」「エンジェル」「ひどい雨」「わかってもらえるさ」などを歌う。一人ならマイナーどころだって大丈夫だもんね。多摩蘭坂歌っていたら不覚にも涙が…。あうあう言いながら完唱(笑)。もうちょっと時間のあるときにまた行こう。


2011-05-06(Fri)

_ 上野不忍之池(しのばずのいけ)

本郷の東京大学の裏手を東大病院から降りていき、根津と湯島のあいだを坂を下ると上野公園の外苑に至る。広大な不忍之池が眼下に広がる。広い池にはボートのりば。ボートをこぐのは修学旅行と思われる女子高生たち、定年退職後に時間を持て余していると思われる初老の男性、30代くらいのカップル。連休の合間とはいえ、平日の昼間にいる人たちはちょっと事情がある人たちである。

都心の一等地にこれだけの空間が拡がっているのは不思議な感じだ。上野は恩賜公園なので国有地なのだろう。もとより東大のキャンパスもそうなのだが、そのおかげで緑や水がふんだんに触れられるのは良いことなのかもしれない。

_ 学科ガイダンス

入学した学科のガイダンスに参加する。20年以上前に授業を受けた先生たちが次々と現れる。開始前に席を立って挨拶に行くが、研究室が違うとあまり憶えておられないようだった。自分も長いこと教員をやってきたので、何年も前の教室の一生徒を記憶していないのは仕方がないとも言える。

やはり学部学生の皆さんは若いねー。21〜24くらいなのだから当然か。2まわりくらい違うのだから当然だろう。彼らの中に混じってこれから授業を受けたり研究をしていくのは、なかなか骨が折れることかもしれないと思うこのごろ。

_ 佐野へ

栃木県の佐野へ。2003年の後期地域代表だったときに、宇都宮で広報フォーラムを開いた。その当時の旧知の仲間が佐野で会場を開いている。厄除け大師のある町。JR関東のバスで王子から直行した。職場の前(明治通り)をいつもこのバスが行き来するのを就業時間や昼休みに見ていた。いつか乗って旅に出たいと思っていたものだ。

佐野バスターミナルから駅までかなり離れていることに到着してから気づく。時間設定がギリギリだったため、会場には遅れて到着。しかしながらベーシックでグループの一体性が感じられる良い雰囲気であった。

終了後ファミレスで会食。来し方行く末を思う話題。小一時間話して仲間から暗い国道を栃木駅まで送ってもらう。東北本線を赤羽まで南下し帰宅。たぶん上りで直通する最終電車ではなかったか。次が大宮行き最終だったし。自宅には深夜一時ごろ到着。長い長い一日だった。


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