そしてまた日常に復帰。こういうことの繰り返しだ。だからそれがいい。都こんぶと同じで、噛めば噛むほど味が出る日常。変わりばえしない毎日。朝七時に起き、八時に家を出て、一日仕事。五時に出て、ミーティングに行き、帰ってくる。あーもう22:30。きのうミーティングをさぼった関係で、昨夜は洗濯ができたのである。洗濯は週に一度で十分だ。
改札は一箇所、と自信まんまんで答えていたのに、いざ行ってみると南口というのもあった。二箇所。大嘘つきだった。でも無事に、待ち合わせしていた仲間とは会えた。
なんかじわじわと続いている。バファリンを飲む。そっち方面の病気はないので、市販薬などは飲んで構わないのだが、ちょっとやな感じ。
夕方、労組上部団体の執行委員会であった。昨年末より、執行委員となったのである。わたしはそんなにやり手なタマではないので、名前に負けている気もするが、それなりに順番が回ってきたということで、地道にやっていこうと思う。
少々へこんでいたことも事実だったのだが、大きく振りかぶって、また元気を出していこう。同じ間違いを繰り返さないこと、物事に正面から向き合い取り組むこと、そして棚卸しと埋め合わせを徹底してやること。それで必ず解決していく。これまでもそうだったし、これからもそうであろう。そして、過去にも何度か書いているが、祈りは通じるのだ。祈り続けていることは、すべて実現してきた。すごいことだよ。
昨深夜(早朝)、フジテレビでまたまたキヨシローの追悼番組が放映された。5/9の青山Rock'n'Roll showの風景から始まったが、あとは少し前の生前のレコーディング風景であった。アルバム「夢助」である。このアルバムを聞くとすぐわかるのだが、キヨシローの声質が大きく変わっている。病気の進行のせいなのだろう。今回の番組でもこのレコーディング風景が映し出されていたが、声が変わってしまっているキヨシローはなんだかかわいそうにも思えた。
しかし、再度復活して登場した昨年は、元の声に戻っていたのだ。不思議な感じがする。一年だけ神さまが戻してくれたのだろうか。
16日はグループで施設に行ったが、今日は個人でのボランティア。一人なので気楽にバイクを飛ばす。板橋からはだいたい一時間半かかる。
立川市役所の地下食堂で昼食。狭い食堂なのに満席になったのを見たことがない。職員の人たちはローテーションを組んでいるのかもしれない。そこそこの値段、そこそこの味。公営食堂だからといって、都庁もオリンピックセンターも決して安くはない。安さを維持しているのは大学生協くらいだろうか。
司会が終わってバイクで中野へ出る。途中多摩蘭坂を通った。キヨシローのスポットには今日もファンが花を持って巡礼していた。書置きがまた増えている。バイクで通過するとき、メーターがちょうど12,000kmを回った。中古で買ったときの指示数は8,200kmくらいだったと思う。
行きは五日市街道、帰りは東八道路。五日市街道は柳窪から国分寺までずっと並木道である。東八道路も試験場から野川公園一体は涼しくて森林浴をしている気分になる。車では味わえないドライブ感だ。
きょうは初の失業認定日だった。申請書にこれまでの求職活動の実績、仕事をしたかどうか、就職する用意があるかどうか、自営をしていないかどうかなどの答えを書き、提出。そして呼ばれて認定される。初回は日数が少ないが、来週いくらかのお金が口座に振り込まれる。セーフティーネットの金銭を受け取るのは、健康保険など以外では初めてかもしれない。保険料を20年以上かけ続けてきたので、満期になったと考えると(ほんとうはそういう考え方はよくないらしいが)、必然的な感じがする。ずっと20年来税金を払い続けて、セーフティーネットの中にいる人たちを食わせていたという感覚も自分の中で根強い。身の回りにけっこう生活保護受給者がいる環境だからだ。しかし年金などに関しては、まだ実感がわかない。20年近くのちのことなので当然かもしれない。
教育訓練の説明も受ける。公共訓練や基金訓練、教育訓練給付など、いろんな種類があるらしい。英語の勉強はできませんかと聞いたら、職業の準備をするのと教養を高めるのとは少し質が違いますという返答だった。基礎教育は最大の職業訓練だと思うのだが、ハローワークは議論の場ではないからぼくは黙っている。ときどき行政機関の場でけんか腰になっている人を見かけるが、あなた自分の立場をわきまえなさいよと言いたくなる。助けてもらいに来ているのに、クレーム出せる立場なのかよ…ということかな。
自分は研究生でもあり、失業者でもあり、これからしばらく微妙な立場かも。責任を与えられていることが複数あるのはいいことかもしれない。やりたいことがあふれている。アテネフランセのイングリッシュレッスンも申し込んだ。どんどん人生が本格化していく。
昨夜楽しいメールや画像で喜びまくっていたのもツカの間、朝になって仲間にメールを打とうとしたら流れない。あれ?と思うが受信もダメ。もしやと思い電話を試したらこれもだめ。あ、機種変更で新機種に移行されちゃったんだと気づく。実は先日ウィルコムの新機種ハニービーに申し込みをして、昨日自宅に来ていたようなのだが、不在票が入っていたのだ。やばいなあと思ったが、本郷のコンビニで受け取れるよう転送依頼をしてしまった後である。あーあ、後の祭り。転送依頼するともう一日かかるのだ。したがって今日一日メールも電話も受けられない。PCや家電は大丈夫なんだけどね。こういう日に限ってほとんど外出である。とりあえずラブリーハニーとごく近いスポンシーだけは朝連絡しておく。そして自宅を出発。先に書いたとおり失業認定、大学研究室、そして企業フォーラム、職場の労使交渉、そして労働相談など、一日回ってこなしてくる。今日はミーティングも休み、自分の仕事と他人への奉仕。いままで20年続けてきたことがちょっとは役に立っているかも。
そう、携帯の話だった。写真を美しく撮りたい。メールをなめらかに処理したい。容量がもう少し欲しい…など、欲が出ている。明日受け取るのが楽しみである。
去年は三年だったので四年生を手伝う程度だったが、今度は四年なので主催する側だった。展示物の作成から編集作業、模型作成、展示会場制作にかかわった。当日も行ける時間はずっと教室にいてお客様に対応。子供や中高生も多いし、他大学の学生さんや先生も来られる。自分の担当したブースは、地理学の実習の野外調査体験コーナー(オートレベルや標尺の使い方)、地形実体視、偏光顕微鏡で珪藻化石を見せるコーナーだった。だいたい説明のできることばかりである。担当していないところでは、鉱物や地質、古生物のコーナーも。化石も実物を展示していた。
昔の現役学生のときの五月祭はほとんどサークル活動でしたかかかわらなかったが、学科でこうして展示発表できるのは、学会のポスター展示にも通じる。もともとこういう真面目なものが学園祭の趣旨なのではないかと感じる。