10年前のこの連休のわたしの状態はといえば、ひどいものであった。きょうちょっと思い出したけど、あれは息をしてるだけの酒飲みであったと思う。
きょうで営団地下鉄の定期券の期限切れ。神保町や新宿など果敢に動き回った。映画も見た。夜は休む手もあったが、やはり行った。そして仲間とわかちあい。帰宅。
仲間に話したいことがたくさんあったのだけど、なんかタイミングが掴めず、話題はあちこちに。もらうことよりも、何を与えることができるか。そちらに関心が行っていたほうが、健全に過ごせるみたいである。
明日は清瀬・明後日は前橋・月曜は豊島の予定。ドタキャンもありだなぁ、体調を鑑みて。
代々木あたりで日光浴でもしていたい。
あまり大きな声ではいえないのだが、このバイク、譲り受けた直後からスピードメーターの回転を伝えるワイヤーケーブルがぶち切れていたようで、メーターが動かなくなっていたのだ。走行に支障はないのでほったらかしにしていたが、感覚でしかスピードがわからないし、燃料補給の目安である走行キロ積算も回っていないので、いつガス欠になるかもわからない。そしてやはり(大きな声で言えないのは)、整備不良は反則金対象なので、点数は引かれなくても、つかまったら金を取られるのである。
燃料計がついてないバイクのガソリンの量を調べるには、(1.)タンクのふたを開けて中を覗き込む、(2.)押して歩くときにバイクの重さを腕で感じ取る、(3.)ゆさゆさ揺らしてガソリンのタプンタプンいう音を注意深く聞く、と三つの方法があることを経験的に知った。いや、そんなことはいいから修理せい、っちゅう話だね。
自宅そばにホンダドリーム新宿店がある。大して高い部品ではないから、今回は純正を選択しようと思った。こないだ電装で六万ふっかけられたバイク屋にはもちろん二度と門はくぐりません。ホンダドリームはとてもにこやかで親切な対応。部品納入で電話をくれて、きょうバイクを持っていき、ものの10分でケーブル交換してくれた。ささっと試乗して、タイヤの空気も入れてくれて、大きな声で挨拶してくれる。あーなんか幸せなお客気分。工賃込みで2,000円ちょっとだった。これで晴れて、スピードがわかるバイクになった。当たり前のことなのだが……。
深夜ある仲間からのメールで忌野清志郎が亡くなったと一報あり。58歳は早すぎる。合掌。ぼくの青春のページがひとつ終わった。
高校生のときにアルバム「Blue」を聞いてから人生が変化した。トランジスタラジオや雨上がりの夜空にを聞いて、熱狂した。大学生のときのバンド活動もキヨシローのコピーが中心だったのである。ぼくが就職したのは1990年だが、このときに出た「I like you」や翌年以後の「メンフィス」「Go Go 2,3's」と快調だった。ぼくが渋谷でフォークゲリラを展開した四年間も、キヨシローの曲がほとんどだった。
昨日自転車を買って成増から自宅に戻るときも、鼻歌で「サイクリングブルース」をハミングしながら帰っていたというのに、なんということだろう。この自転車はキヨシローの生まれ変わりかもしれない。
どこにいってもこの話題で持ちきりである。キヨシローの音楽はわれわれの記憶に残り続けるだろう。
国立や渋谷ではイベントも開催されたようだが、情報を知るのが遅く、出かけられなかった。しかしNHK FMなどで特番が組まれ、一日RCの曲などをエアチェックしながら聴いて過ごす。ラジオを録音するなんて高校生のとき以来かもしれない。
昨年の青山ロックンロールショーでお香典を包んだせいか、墓地の所在など通知が来ていた。特製ストラップがうれしい。これでやっと喪が明ける。
仲間のバースデー。いやはや慶弔忙しい連休である。新潟からも仲間来る。日曜日のミーティング設定はよかったのかもしれない。日曜夜は遠方のかたも来やすいタイミングかもしれない。
ジョナサンでお茶飲んで解散。
いざバイクに乗ろうとしたらバッテリー上がり。今回は結構あいだをあけてしまったからね。充電して復活である。
_ 午前中、キャンパスツアーで働く。ガイドをやっているのだ。安田講堂の説明をもう何十回やったことだろう。どの建物が何年に建てられ、誰が設計したかとか、ほとんど暗記している。明治19年帝国大学令とか、歴史の参考書みたい。
午後は神宮球場へ。対慶応義塾戦。0-8で完敗である。そろそろ100連敗が近いのではないだろうか。大敗のときでもせめて一点くらいは入れてほしい。応援歌「ただひとつ」を肩を組んで歌いたいのだ。それだけである。