自分の場合は自我の拡大はこの正義の拡大と同調路線のようである。そして他の人々を恨みながら生きるとき、苦しさは頂点へ向かう。もっと楽にやればいいのにね。ひとを見てるとそう思えるんだけど。
積極的に「借り」を作ろう。「借り」を作ると自我も縮小するよ。だって世話になってるんだもの。これがよく生きるコツだと思うようになった。ただ、自分のなすべきことはきちんと責任を取っていく用意も必要だ。主張すべきところは主張もしなくてはね。そして相手がそれをどう受け取るかは、もう相手の問題です。
平日になったばかりというのに、もうそれかい。でも今週末は大きなものが二つ続くのであった。まあ一人でやるわけではないしね。はしごだけは外さないでね、みんな。
正直に話し合える仲間を持って、ほんとうに助かっている。むろん、ぼくは理想に近づきたいとは祈っているが、神様の与えてくれているたくさんの指標までは達することはできない。step6のところにいるのだと思う。
問題点を話し合っているうちに、自然と答えが見つかる場合も多いのだ。あと「自分が本当はどうしたいのか?」とかね。実は…とか、口実はともかく、こうなってほしいとか、子供じみた考えはたくさん浮かんでくる。
まあしかし、自分はまだまだこんなものだ。
ここんとこずっと、仕事、ミーティング、プログラム、組合活動、勉強、で、あと体力なにも残ってない感じ。これがちょうど「過不足ない」感じでいいんだと思う。お金使う暇がないしね。あーなんか、評議員だった5,6年前に似てるねすごく。寝る前の一時間くらいに、一日のすべてのパワーが消耗できて、バッテリーがちょうどなくなるような感覚。
もちろんやんなきゃいけないことは山積してるんだけど、あいた日にやるしかないね。でもあいた日には寝て過ごしたりしちゃうんだなこれが。でもそれでちょうどいいのかも。
夏が近くなり、休日にはバイクで出かけることも増えてきた。小型、中型で走るとバイクも車と同じ制限速度となる。小さな路地の20,30km/hのところでは、ほぼ制限速度を守っている。自転車や子供が飛び出してくることが多いからだ。30km/hくらいまでなら、まだとっさに止まれる。
ちょっとした大きな道路に出て40km/hとなるとそうもいかない。4速だといきなり止まるのは厳しい。一昨年、二輪の教習所では急制動の実習もあった。エンストしていいからフットブレーキとハンドブレーキを一気にかけるのである。力いっぱいかけると、横滑りして転倒する。だからかけるコツとタイミングがある。
幹線道路の50km/hだともうけっこう流れている感じである。他の自動車やバイクも50km/hなんて守ってはいない。深夜は80km/hを越えている車もある。オービス注意。つかまって免許取消になった知人もある。幹線道路でも立体交差の前後などで40km/hのところもある。制限速度を守って走っていたら、後ろから警笛を鳴らされることもあるのだ。遵守者が非難されるのは納得のいかないものだが、むしろ制限速度を変えて欲しいと思う。
うしろにパトカーがついてしまったときは、大変緊張感がある。さっさと路肩に止めて、やり過ごすのが得策だろう。そしてパトカーの後ろをついていく。きょう高円寺のあたりでちょうどそんな状況になった。制限速度を守っているパトカーに警笛を鳴らすバカはいない。なかなかいい方法である。
あーすごい熱。38.7度までいった。死ぬかもねー。予定を全部キャンセルしてまっすぐ帰ってくる。風邪か?インフルの可能性もあり。としたら今日会った人たちに移ってなければよいが。
いまちょっと下がって38.1度。七、八年前にはしかにかかって死にそうになったことを思いだす。あのときは三週間も続いたのだから、いま振り返ってみると即入院が正解だった。でも「もう一日で収まるかも」がずっと続いたのだった。
早めに病院へ行こう。
_ はじめての学会発表であった。父の死去などで非常にタイトな準備スケジュールであったが、連休前までにフィールドデータをほとんどまとめておいたのでなんとか助かった。連休も柏に行って準備をしていたのでそれが正解だったかもしれない。第四紀の河成段丘がテーマなのだが、学部と修士のこの短い期間ではこのくらいが限界かなという感じである。経験者もみな「修士課程の二年は短い」と言っておられるが、自分もそう思う。あと半年で論文を仕上げなくてはならず、今回は体調の悪い中を押して、どうにか投げ出さずに発表できて、指導教員や協力してくれた周りの院生たちに感謝している。