東京大学の公式キャンパスガイドを続けている。最近は月に一回程度。一般のお客様に約二時間大学の建物や内情を説明しながらお散歩をする役割である。しかし今日のガイドは寒風吹きすさぶ中、荒行のようであった。
この役割は多岐にわたる大学の事情を客観的に整理するうえでも効果的だと感じる。あと、愛校心がなくてはできない。明治や大正のころの古き良き時代への憧れや畏敬の念も必要。例えばマンホールのふたに書いてある文字(「帝大下水」「東京帝国大学・電」)の説明をしながら、楽しめるかどうかにかかっている。いまの自分にはうってつけの役割という気がする。
結論から言うと、今年も無税の人となった。わずかなアルバイト収入と不動産収入があるが、経費を引いて控除を引くと所得は春の雪のようにきれいに消える。控除のほうが圧倒的に多いので、むしろ「逆税」(ぼくの造語)にして、赤字額の10%を支給してもらいたいくらいである。アルバイトで引かれていた源泉徴収額27円が何か月かしたら振り込まれるであろう。国税庁が負担する振込手数料のほうが高いぞ。
退職して収入が激減しても、なぜかこの確定申告は楽しい。棚卸の満足感なのだろう。着々と消えていく建物の減価償却、経費の領収書を集めて仕分けする作業、寄付や保険料が控除として発揮されるその威力、これらはまるで経済学の演習だ。出入りの金額が何ケタも大きければ当然税務署も厳しくチェックにかかるだろうが、数十万~数百万程度の収支なら気楽なものだ。一日がかりで労力は必要だが楽しい作業である。
長野県に引っ越した仲間が上京するということで、久々に中野のミーティングへ。駅前北口のロータリーが構造変化している。書店などあちこち歩いてみる。パソコン雑誌が新鮮。地学の新刊書を見て、大学の研究とちまたの関心の合流を見る想い。思わず長時間立ち読みしてしまった。
ミーティングは昔とそう変わらず。古い人たちがどっしりいると安心感がある。ベーシックな分かち合いがとても大切だと思う。
長く続いた深川開催と川崎開催を経て、今回新習志野に場所を変えて新しい評議会が始まった。オブザーバーで三日間参加した。
初日にはNPO法人の総会にも出席。こちらは法的にクローズド。いままで委任していたが、今回は実際に出席した。終了後いよいよ評議会の本会議開催である。理事から事業の報告と、今年度の活動計画の説明がある。じっくり聞いて初日は終わり。
二日目は分科会。最近ぽつぽつと自分のスポンシーたちが評議員になって参加している。時代が流れたものだ。自分が評議員デビューした時からもう10年以上過ぎているのだから。
夜は再び全体会議。採決が始まるとだんだんみんなexciteし始める。評議員の本領発揮である。
二日目の終了が22:00を過ぎて、三日目が朝9:00からなので、幕張のネットカフェで一夜を過ごす。ネットカフェは初体験だ。眠れない夜を過ごして、再度評議会会場へ。
最終日は採決が続き、15:00に終了。常任理事も全員無事信任された。
役割から離れて5年が過ぎたが、仲間のサービスに対する熱意にはいつも興味がある。フォローできるところはしていきたい。
他学部科目もたくさん取っている。法学部の科目の定期試験。鉛筆不可。座席札を取り試験中は座席固定。判例の載っていない六法持込可である。職員の絶え間ない監視つき。大変厳粛だ。こんなことをブログに書いているだけでも取り締まられるかもしれない。日本の法曹界の人材を輩出する東大法学部なのだから当然かもしれない。びっしりと2時間の試験を受けて、学籍番号ごとの提出箱に答案を提出して終了。ずっしりとした経験になった。
文学部宗教学の島薗先生の最終講義に出席。理科三類に入学して文学部に進学したという異色の履歴を持った先生である。
小林一茶の話と死生観の話題であった。2号館の1番大教室が満席となっていた。このようなタイミングに参加できるのは幸運なことだと思う。
地球惑星環境学科3年配当の最後の試験「地球環境化学」の試験と、農学部の「緑化工学」「水文学」の試験があった。環境化学の担当教授は著書でも大変有名な川幡穂高先生である。とにかく地学と化学のことは、この先生はおそらく何でも知っている、という印象。語り口も独特で飽きさせない。しかしなんだか若い学生の皆さんはいまいち冗談にウケないのだ。なぜか? この疑問が解けたら心理学に一歩踏み出せる予感がする。
先生の評はともかくとして、試験なのだからこの自分が評価される日なのだ。試験問題はどれも手ごわかった。当たり前だけれどね。学部の定期試験というのは、ある意味大学院の修士課程の入学試験レベルなのだと思う。クリアできたら次、クリアできないようなら足止めである。しかし、自分が教員だったときもそうだったのだが、若干の温情が入る余地がある。ほとんど休まず授業に出ていればなおさらだ。
対策していたヤマが外れるとちょっとダメージがある。しかし、たぶん無駄な学問などない。どこかできっと役に立つはずだ。
授業期間にも定期開催されていたのだが、2限と3限の間は本郷と駒場の往復があったりしてなかなか参加できなかった地球惑星科学専攻のランチセミナー。春休みに入ったので余裕で出席できる。
本日は東北大学で学位を取って東大の助教になった先生の体験談であった。岩手の山中でひたすら地質調査を行い、ペルム紀と三畳紀の間の大量絶滅(P/T境界イベントという)を研究したという話。また論文執筆にエネルギーを使ったという話など。地道な努力が研究に不可欠ということであろう。大学院を目指すにあたって、とても参考になったセミナーだった。
先日もここで話題に出した社会基盤工学の他学部聴講。授業が全部英語で行われるのがやはりすごい。試験も英語であったが、英文だけで記述するのはもう不可能と思い、最後のテストは開き直って日本語で書いた。とは言っても半分くらいは数式なのでまあなんだか経済学部の授業のようである。
この授業はJICAの関係者がご教授下さり、発展途上国にどのように手を差し伸べられるのかが議論されていた。ふだん日常生活をしている範囲では考えもしないようなことが、フロンティアでは行われている。高校の同級生のひとりもスーダンで医師をしていると聞く。とても真似できない尊い仕事であると思う。
四年生の卒業論文発表会に出席して聴講させてもらう。来年の今頃はたぶん自分たちの番だ。三年生より人数が少ないせいか、指導教員が集中している感じがする。もっとたくさんいる先生たちはどこへ行ってしまっているのだろう。
研究室が本郷と柏で分かれているのも妙な感じだ。本拠地を柏の大気海洋研究所などにおいている先生や大学院生が多いので、学部生もその先生の下で研究をしようと思ったら、本郷と柏を行き来しなくてはならないのである。
内容はそれほど難しいとは思わなかったが、たぶんバックグランドで相応の時間と労力をつぎ込んでいるのだろうと思う。自分たちが発表をしてみてそうだったから、おそらく上級生もそうだろうと予測するし、あるいはそれ以上なのかもしれない。
聴講したおかげで具体的なイメージが浮かんでくるようになってきた。
陸水の授業の試験。最近とてもたくさん文字を書いている気がする。学生になってから鉛筆やシャープペンシルをよく使うようになった。社会人のときにはほとんどボールペンだったのだが。
水質や化学のことをよく学んだ。地球科学の分野には化学のエキスパートが非常に多い印象がある。ケイ酸塩の風化や炭酸カルシウムの堆積が、二酸化炭素の放出や固定に密接に絡んでいるので地球温暖化と切っても切れない関係なのだ。環境問題を論じるときに必須の知識と言える。