_ 先々週の土曜日の出勤の代休で、明日の火曜日はお休みです。いよいよセレロンマシンの解体なるか。予告しながらなかなか時間も気力もなかったのですが、これでオーバークロックの真価が試されるかもしれませんね。激しくメモリやCPUを使うWinNTなどをぶんぶん振り回してみて熱暴走しなければ本物です^^;。メインマシンがM2やらCeleronやらで交代激しい昨今ですが、これもスピード狂のゆえ、なるべくしての展開でしょう。 今日も「わたしにしては」オーバーワークな一日でした。黙っている時間がほとんどないのは、疲れはしますが充実感があります。水曜からまた働くと思うといやですが、その力も明日一日で回復するかと思います。
…のつもりだったが、朝から洗濯・掃除などしてしまった。ていうか、今日やらないといつやるのだ、っていうこと。一人ぐらしに慣れてはいるものの、生活の些事はほんとにいつもついて回る。決して嫌いではないし、その証拠に時間のある年末年始とかは掃除・洗濯やりまくるのだが。
来週に控えた全国評議会に向けて、いろいろ事務的なことをこなしていく。過去数年の議事録も、ピックアップして流し読みしたり。すでに決まっていることを覆すのはなかなか難しいだろうなぁ…とか。ひとりで考えてると具合悪くなるね(笑)。
気分を変えよう、と、新宿に出てちょっと早い夕飯。丸の内線の定期があるので、新宿三丁目で下車して餃子の王将とかに行ってみる。お腹いっぱい。今度行くときは半ライスにしよう。
大塚へ。いつも遅刻して行ってすみません、伊○さん。「喫煙席はあそこだよ」と小声で教えてくれる。やさしくて、ベースも厚いなぁ(笑)。グループの仲間にも会えたし。
東中野で仲間と待ち合わせ。発表します。「コーヒーおごってもらった」です。ケンタッキーの営業終了直前。店がすいててよかった。コーヒーもうまかった。
しつこく続ける。
ちなみに、昨夜のタイトル「選択本願念仏集」は、法然上人のほうの著書であるので、念のため。
親鸞聖人のほうの思想は「善人なほもて往生を遂ぐ。いはんや悪人をや」というのが有名だね。悪人正機説である。しかしながらこれは悪事を勧める造悪論ではない。善人は、善行をしようという計らいがあるから、自力の高慢に陥りやすいということである。たいてい善いことをしているときというのは、調子に乗りやすい。それどころか、善いことをしていない人を裁いたり、善いことをするように命令したりする始末。それがおかしいと親鸞聖人は申されていたようだ。
われわれの為そうとする善悪など、地上の芥子粒のような範囲の、ちっぽけな善悪である。それに比べると「阿弥陀仏の本願」は大きな慈悲である。阿弥陀仏は、われわれ人間が考えることすらできないほど、大きなふところをもった、一切衆生を救ってくれる存在である。
3月に、父親と京都の(西)本願寺に行くことになった。今から少し楽しみなのである。
きょうなんか特にそうだったが、木曜はどうも夕方近くから分刻みでスケジュールが押し寄せていて、息つく暇もない。日中ではやれないことが多いのであるが、最近はやはりこれが自分に与えられたものなのだと思う。グループ討議では、出すぎず、引っ込みすぎず、言うべきことは105%くらい言っている、そんな感じであった。
みんなと別れてからも次々にメールや電話が飛び込んでくる感じ。珍しく、電車の走行中にも電話を一件つい取ってしまった。空いてたからまあよかったものの、「必要とされている」気持ちよさ。ちょっと注意していたほうがいいのかもしれないね。
四年生の卒業論文発表会に出席して聴講させてもらう。来年の今頃はたぶん自分たちの番だ。三年生より人数が少ないせいか、指導教員が集中している感じがする。もっとたくさんいる先生たちはどこへ行ってしまっているのだろう。
研究室が本郷と柏で分かれているのも妙な感じだ。本拠地を柏の大気海洋研究所などにおいている先生や大学院生が多いので、学部生もその先生の下で研究をしようと思ったら、本郷と柏を行き来しなくてはならないのである。
内容はそれほど難しいとは思わなかったが、たぶんバックグランドで相応の時間と労力をつぎ込んでいるのだろうと思う。自分たちが発表をしてみてそうだったから、おそらく上級生もそうだろうと予測するし、あるいはそれ以上なのかもしれない。
聴講したおかげで具体的なイメージが浮かんでくるようになってきた。