学校のインターネットが、回線が月曜から切れていたようである。なんでまたこんな一年で一番忙しいときに…とか思うのだが、それも神様のなせる技なのか。ルーターの自動接続と任意IP割り当てが効けば、何も考えなくても切断が復旧するのだが、安物のルーターを買ったおかげで、ネットワークが麻痺してしまう。年に何度もこういうことが起きるようなら、ルーター買い替えだな。
そういうわけで、きょうは午前中半休で、ゆっくり朝寝して行くつもりだったのだが、9:00に学校に電話して、総務の人に復旧作業をしてもらうことになった。半休取り消して出勤するほどではなかったけどね。午後から出勤。5日ぶりの仕事になった。
グループのミーティングへ。時間ぎりぎりで到着。無事に終わって、家路に着く。最近出席メンバーが固定化しつつある。
日曜朝までのタイムリミットでやらなくちゃいけないことがある。評議会の報告項目一覧。土曜にやるしかないかなぁ。平日もう一日休むという手もあるが。
1993年もっともぼくの状態がよくない頃に、外来で通っていた病院にきょう行った。患者としてではなく、メッセージが必要ではないかというお伺いだ。自分の所属している自助グループの機関紙・パンフレット・書籍・地区の地図など、広報一式も兼ねてである。場所は小竹向原の環七沿い。もう15年経っているのに、その近辺に行っただけでそのころの暗澹たる思いや絶望感がはっきりと思い出される。待合室、近くの処方箋薬局、環七のバス停、すべて当時のままである。そのころの診察券をまだ持っていたので、念のためそれも持参した。
新グループで月に一回何人かで訪れてメッセージを運べればいいなと思い、ビジネスでも話題に出しておき、今日のところはまずは自助グループの紹介のつもりだった。しかしながら地域連携係(庶務課)で話してみてわかったことは、すでにここではアルコール問題の患者は受け入れをやめたとのことである。ぼくが通っていたころはもちろんそんなことはなく、外来も可、入院も可、自助グループへの参加も医師から勧められていた。院内にはBOX916も置いてあった。しかし今は、井の頭病院などへ紹介して受け入れ先を変更してもらっているそうである。きっと過去いろいろとあったのだろう。
事情を飲み込み、病院をあとにした。同じようなケースの病院もあったと聞いている。やはり難しい患者が多いのだろうか。他をまた探す活動をしていこう。そもそもコンタクトするのにちょっと間が空きすぎだったか。
今日は変わってローカルサービス集会。まる二年間、副議長・議長と千鳥でやらせてもらった。次期副議長選挙が終わり、退任挨拶。あっという間の二年間だったと思う。いろんなことがあったが登録数も増えたし、一定の成果があったと自己評価している。仲間の支えがあってこそというのは言うまでもない。
長野県に引っ越した仲間が上京するということで、久々に中野のミーティングへ。駅前北口のロータリーが構造変化している。書店などあちこち歩いてみる。パソコン雑誌が新鮮。地学の新刊書を見て、大学の研究とちまたの関心の合流を見る想い。思わず長時間立ち読みしてしまった。
ミーティングは昔とそう変わらず。古い人たちがどっしりいると安心感がある。ベーシックな分かち合いがとても大切だと思う。