1993年もっともぼくの状態がよくない頃に、外来で通っていた病院にきょう行った。患者としてではなく、メッセージが必要ではないかというお伺いだ。自分の所属している自助グループの機関紙・パンフレット・書籍・地区の地図など、広報一式も兼ねてである。場所は小竹向原の環七沿い。もう15年経っているのに、その近辺に行っただけでそのころの暗澹たる思いや絶望感がはっきりと思い出される。待合室、近くの処方箋薬局、環七のバス停、すべて当時のままである。そのころの診察券をまだ持っていたので、念のためそれも持参した。
新グループで月に一回何人かで訪れてメッセージを運べればいいなと思い、ビジネスでも話題に出しておき、今日のところはまずは自助グループの紹介のつもりだった。しかしながら地域連携係(庶務課)で話してみてわかったことは、すでにここではアルコール問題の患者は受け入れをやめたとのことである。ぼくが通っていたころはもちろんそんなことはなく、外来も可、入院も可、自助グループへの参加も医師から勧められていた。院内にはBOX916も置いてあった。しかし今は、井の頭病院などへ紹介して受け入れ先を変更してもらっているそうである。きっと過去いろいろとあったのだろう。
事情を飲み込み、病院をあとにした。同じようなケースの病院もあったと聞いている。やはり難しい患者が多いのだろうか。他をまた探す活動をしていこう。そもそもコンタクトするのにちょっと間が空きすぎだったか。