きょうは少し余裕があった。雨が続く。梅雨入りしたんちゃう?っていう嘉門達夫のtwist and shoutだっけ。芽が出た朝顔がなかなか成長しないで、このまま腐っちゃうんじゃないかっていう勢い。
不動産屋に向かう途中で立ち止まる。ひさびさにMP3プレーヤを持ち歩いている。先頭にはカナダからの手紙。そしてスピッツのハチミツ。甘くて軽い歌声。ミドルビート。エフェクターのあまりかかっていない電気ギターの音色。なんだか村上春樹の世界みたいだ。でも違うのは、小説みたいなけだるさや悲観がないということだ。現実はいろいろとやることがいっぱい。きょうは駒場と本郷と池袋の往復だった。
楽しいんだけど、すごく忙しい。東京大学の授業、図書館で工学の勉強、労働組合活動、そして久々に茗荷谷でミーティング、スポンシーとちょっと分かち合い。そして夜は電話とメールだ。昼間も電話とメールだ。ハニービーボックス(Honey Bee Box)が大活躍。ウィルコムの新しい電話機である。
恩師はぼくなんかよりさらに忙しく、ワシントンに行って業務をこなしてくるらしい。桁もスケールも違うんだよね。ついていくには百倍くらい努力と能力が必要なようです。大学院入試まであと三ヶ月。
きょう初めて失業給付金が振り込まれていた。セーフティーネット。失業が認定された。じわじわと蓄えが減っていたところだったので「助かった」という感じだ。なんか学生の頃の仕送りに似た感覚である。働いてないんだけど、だれかがぼくを助けてくれている…っていう感覚だ。20年前と違うのは、その誰かが、父から国に変わったのだ。国費で生きている。すごいぞ森田さん。父さんぼくは生きてるからね。もうすぐ最後の親孝行だ。いやいや、ぼくが幸せであり続ける限り、親孝行はずっと続くのだ。まずはそのスタートである。
東京六大学野球の2011年度春季リーグ戦、東大のゲームの最終日。対立教大学。残念ながら0vs5で敗退。当初の組み合わせの早稲田戦で一度だけ引き分けがあったが、あとは全敗であった。
しかしながら、今回の試合も途中までは立教と同じくらいヒット数は出ていた。出塁するのだがなかなか得点に結びつかない。それに対して立教はデッドボールなどで蓄えたランナーを、一気に適時打でホームに帰す。満塁のときにクリーンヒットが出るあたり、よく練習してるんだろうという感じがする。
また秋までしばらく野球観戦はないだろう。来週は早慶戦で大いに盛り上がってほしい。まだ春先なのにかなり日焼けしてしまった。東大戦が午前中で終わりいったん自宅に帰ったら、帰り着いた途端に大雨。午後の法政と明治の試合は途中雨でコールドゲームになったようだ。雨に打たれず運がよかった。井荻から中野に移動中にいっきに降られたときの運気を取り返したのかもしれない。
きょうは初の失業認定日だった。申請書にこれまでの求職活動の実績、仕事をしたかどうか、就職する用意があるかどうか、自営をしていないかどうかなどの答えを書き、提出。そして呼ばれて認定される。初回は日数が少ないが、来週いくらかのお金が口座に振り込まれる。セーフティーネットの金銭を受け取るのは、健康保険など以外では初めてかもしれない。保険料を20年以上かけ続けてきたので、満期になったと考えると(ほんとうはそういう考え方はよくないらしいが)、必然的な感じがする。ずっと20年来税金を払い続けて、セーフティーネットの中にいる人たちを食わせていたという感覚も自分の中で根強い。身の回りにけっこう生活保護受給者がいる環境だからだ。しかし年金などに関しては、まだ実感がわかない。20年近くのちのことなので当然かもしれない。
教育訓練の説明も受ける。公共訓練や基金訓練、教育訓練給付など、いろんな種類があるらしい。英語の勉強はできませんかと聞いたら、職業の準備をするのと教養を高めるのとは少し質が違いますという返答だった。基礎教育は最大の職業訓練だと思うのだが、ハローワークは議論の場ではないからぼくは黙っている。ときどき行政機関の場でけんか腰になっている人を見かけるが、あなた自分の立場をわきまえなさいよと言いたくなる。助けてもらいに来ているのに、クレーム出せる立場なのかよ…ということかな。
自分は研究生でもあり、失業者でもあり、これからしばらく微妙な立場かも。責任を与えられていることが複数あるのはいいことかもしれない。やりたいことがあふれている。アテネフランセのイングリッシュレッスンも申し込んだ。どんどん人生が本格化していく。
昨夜楽しいメールや画像で喜びまくっていたのもツカの間、朝になって仲間にメールを打とうとしたら流れない。あれ?と思うが受信もダメ。もしやと思い電話を試したらこれもだめ。あ、機種変更で新機種に移行されちゃったんだと気づく。実は先日ウィルコムの新機種ハニービーに申し込みをして、昨日自宅に来ていたようなのだが、不在票が入っていたのだ。やばいなあと思ったが、本郷のコンビニで受け取れるよう転送依頼をしてしまった後である。あーあ、後の祭り。転送依頼するともう一日かかるのだ。したがって今日一日メールも電話も受けられない。PCや家電は大丈夫なんだけどね。こういう日に限ってほとんど外出である。とりあえずラブリーハニーとごく近いスポンシーだけは朝連絡しておく。そして自宅を出発。先に書いたとおり失業認定、大学研究室、そして企業フォーラム、職場の労使交渉、そして労働相談など、一日回ってこなしてくる。今日はミーティングも休み、自分の仕事と他人への奉仕。いままで20年続けてきたことがちょっとは役に立っているかも。
そう、携帯の話だった。写真を美しく撮りたい。メールをなめらかに処理したい。容量がもう少し欲しい…など、欲が出ている。明日受け取るのが楽しみである。
工学部授業の二週目。最初の週はお話とちょっとした統計解析だけだったので油断していたが、きょうは次々に数式が現われ、定義、微分方程式、積分方程式、とパンチを受けまくった。ラプラス変換、テイラー展開、フーリエ変換……とあの難解な大学数学の嵐である。関村先生の指先から次々に魔法のようにつむぎ出される数式のかずかず。「ラプラス変換、わからない人はいないよね、では次…」とさらっと言われ、誰一人「わかりません」と答える人のいない東大工学部四年生たち。完敗だ。がんばって精進します。
最近説明会多いよなあ。スペシャルイングリッシュレッスンと言って、大学に外部の英語スクールが出前をしてくれるすごい制度。数社の担当者と講師が来て、うちのカリキュラムやシステムはこうですよ、と説明してくれるのである。しかし、これがまた説明自体が英語。担当教授も英語で話すのだ。もちろん日本人ですよ。ああグローバルな社会になっているんだなあ最近は。ぼくが気づかなかっただけなのか。まくし立てられながら「今日はボディーブローが続くなあ」とぼんやり考える。今日のお昼は何を食べようか、などと空想しているうちに説明会終了。耳を慣らしてリスニングのスキルアップをしていきたい。アテネフランセあたりで取り組もうか。
札幌近郊英国風庭園。http://www.yuni-garden.co.jp/
少し寒かったか。東京が気温25度くらいの毎日なのが、さすがは北海道、日中10~15度くらいしかない。手袋が欲しい。
しかし花がきれい。ぶどうジュースも飲める。しかしちょっとワイン風の風味(テイスト)。やばいんじゃないの? まあ気にしない。屋内の温室はありがたかった。
仲間の運転が頼もしい。きりっとしてるし。ぼくがいつかハンドルを握る日は来るのか。都内だとなかなかね。
帰りに白石のオムライスの店に寄る。大入り満員。分量もすごい。Sサイズであれだけあったら、レギュラーだったらどんな騒ぎになるのだろう。でもおいしかった。前回時間が足りずに入れなかった雪辱である。
菊水でミーティング。2008年11月にも行った会場だ。地区全体でやるのはいいアイデアかも。東京もそうしたらいいのにとよく思う。でも会場選定やグループ間調整が大変か。
人数も多いし献金額も目玉が飛び出そうな額面。昔、築地のすき焼きフェローがこんな感じだったと思う。10数年、20年以上のロングソーバーの人たちの話がよい。オープンスピーカーに通じるものがある。終わって仲間たちと次々に話をする。評議員経験者がたくさん来ていてうれしい。
仲間と魚を食べに行く。居酒屋風、ていうか居酒屋だ。もちろん飲まないが。魚、てんぷら、ふきなど。自然の食べ物。九州のようなギトギトした感じではないんだよね。北と南でかなり違うと思う。歳を少し取ってからはこういうあっさりした感じのほうがよいかもしれない。ほっけやかれい。
ただの居酒屋での食事かと思いきや、見慣れたデンモクが出てくる。第一興商のDAM(カラオケ)のリモコンだ。最近のマイブーム「カナダからの手紙」や「倖せさがして」などを歌う。食事空間に大音量で音楽と歌声が響くのは、やはりしらふだと妙な感じである。新しい人たちにはちょっと刺激が強いかもしれない。まあ10年以上のメンバーならOKかもね。
きょうは本命の本郷の工学系大学院の説明会。原子力国際専攻である。思ったほどは志願者は来ていない。しかし、ちょうどマスターコースの新入生歓迎会も催されていて、教室のほうはかなりの盛り上がりであった。ドクターコースの学生のかたが研究室の中のプロジェクトのことなどを説明してくださる。先生も途中来てくださる。やはりここでやっていくしかないと思う。英語の講義がたくさんあるようだ。やはり英語なのだ。避けられないねえ。若い頃にもっと英語をやっておけばよかったなどと後悔してみても始まらない。今からやればいいのである。ガッツで行こう。
池袋のハローワークで雇用保険からの失業給付受給者のための初回説明会が実施される。参加した。かなりの人数。毎日のようにこんなにたくさん失業者が量産されているのか。ぼくもその一人。前後左右の人の受給者証を盗み見る。けっこう四五年で自己都合退職している人が多い。したがって受給日数も90日とかその前後。ぼくみたいに20年以上勤めていて、300日以上の受給日数を持っている人は少ないようだった。定年退職者は別だが。
およそ二時間近い説明会。ビデオと口頭説明。不正受給をしないように…という話が多い。後を絶たないのだろう。どんな仕事でもしたときは必ず申告するようにと何度も言われる。説明した係官は不正受給を調べて摘発する係なのだということだった。
区役所でも国民健康保険や国民年金の加入手続きをした。会社がなくなれば、全部自分でやらなくてはならない。前年分の所得に対して住民税を一年間持って行かれるのもちょっと痛い。抑制を効かせながらやっていこう。
北九州の父とときどき手紙やハガキをやり取りする。父は歳を取ってからずいぶん小さい文字を書くようになった。こんな豆みたいな字を本人読めるのか??みたいな。でもぼくはちょっと大きめの文字で書く。母は糖尿の影響で視力がかなり落ちているからもうほとんど字は読めない。おそらく父が音読して母がそれを聞いているのだろうと思われる。
ちなみに母は最近一般病院に転院したようである。CCUの毎日は綱渡りだったが、なんとか快方に向かっているようだ。陽気もよくなってきているしよくなる一方だと思う。こういうのは思い込みが大事なわけで、よくなるしかない、よくなるに違いない、よくなることしか考えられない、とそう思っているとほんとによくなるから不思議だ。がんを吹き飛ばした人たちはたいていそう考えて、それが実現している。われわれは回復するはずなのである。
最近はここにも書いているように、ぼくの身辺は電撃的とも言えるよいことばかりを伝えているので、父は喜寿を越えいま78歳だが、ますます元気に生き続けるであろう。母も病気を吹き飛ばしたようだし、ぼくもますます充実していく。悪い知らせばかり知らせていた18年〜20年前に比べると、いまは本当に親孝行できると思う。
井の頭線駒場東大前はぼくの大学生活の始まった昭和60年を非常に強く思い出すロケーションだ。教養学部があり、一、二年生が集まる若さ溢れるキャンパスである。ここで2年間一般教養を学んでから本郷の専門へ進む。
教養学部物理教室の授業を聴講することにした。そのものずばり「放射線科学」である。自分の専門をここで最初から学ぶのは非常に意義があると思う。放送大学でやっておきたかったところだったが、もう東大に戻ってしまったのだから、東大の中で一番基礎となる場所で聞けばよいことである。
鳥居先生について学ぶことになった。単位の話やマスコミ報道の件から入る。累積の当量と一時間あたりの微分的当量を報道が混同しているという話。定番のベクレルやシーベルトの話。蛍のたとえなど。まずはやはり放射線と放射能(放射性物質の能力)の話からである。
周りをざっと見るとおそらくほとんどが10代の学生さんたちである。こちらは今日いろんなクラスから集まっていると見えてとても静かだった。ほとんどが理科一類のみなさん。先生も理科一類出身で理学部ドクター卒のよう。ぼくは先生より四年前に理科一類に入っていることが判明。でも専門分野から離れていた時期がぼくは長かったことを考えると、頭を低くして謙虚に学ぼうと思います。モルやアボガドロ数、やはり計算で出てきた。一般教養を学びなおして損はない。
授業が終わって駒場東大前に向かうと、同じように5限目が終わった学生が一斉に駅に押し寄せている。朝ラッシュ並みの激混み井の頭線に渋谷まで乗車。懐かし過ぎるこの感じ。下北沢で麻雀というパターンも多かったが、今はぼくは行くところがあるのでそうはならないが。楽しい学生生活。