今日は東京都内で自転車一斉取締り、そして明日から20日まで全国交通安全運動週間である。配置された警視庁職員にむざむざ捕まることもあるまい。できるだけ徒歩や電車で一週間過ごそう。みなさんも気をつけて…。
春の関東宿泊研修会。金・土で行ってきた。仲間と一緒に電車で移動。鉄道の旅は楽しい。高尾までは京王線も利用。
天気がよければ往復バイクで遠征、とも考えたが、天気予報を見て断念していた。帰りはやはり雨。電車で正解だった。
現地での分かち合いでは、今回もたくさんのヒントをもらった。この出会いと仲間の姿が明日の力と肉になるのである。重要な決断は、この宿泊研修会のあとということがよくあった。信頼と愛。依存と厳しさ。甘えと献身。たくさんのキーワードがもらえたと思う。
忌野清志郎の墓参りへ出かける。墓地設置の通知が来たのだ。たぶん昨年の青山ロックンロールショーに参加したからだろう。
京王線で一路高尾へ。平日の京王特急は速くて安い。新宿から一時間かからない。しかも350円。たぶんJR中央線だと倍はかかる。
高尾駅南口を出てバスロータリーをうろつく。送迎バスも出ているという情報があったが、拓殖大行きの停留所はあるが、あとはふつうの路線バス。公称徒歩15分なので歩くことにする。公称よりはおそらく時間がかかるだろう。
ロータリーを出て右へ。突き当たって左に曲がる。後はみちなりにどんどん進む。途中、高尾霊園行きの石碑もある。あとは電信柱にずっと案内が出続けている。なだらかな上り坂。思ったより距離がある。たぶん25分くらい歩いた。
墓地に着くが、たぶん有名人の墓なので見回せばすぐわかるだろうくらいに踏んでいたが、広大な墓地である。公園墓地と銘打たれている。ペットのお墓もある。雑司が谷や多磨霊園より広い上に、山の斜面にびっしりと区画されている。でも一応全部見て回る。自力で見つけられなかった。ぐったり。ギブアップして管理事務所のお姉さんに聞く。お姉さん親切に教えてくれたよ。お姉さんと言っても50代かな…。「B区」だそうで。
区画はA,B,C区〜中区とか東区とか、まるで横浜市のよう。特区とかもある。身分が違うんだろうか。B区目指していく。B区のほぼ真ん中に発見。墓銘は「忌野清志郎」だ。堂々としたお墓である。お花がたくさん供えられていた。仕事のあとだったのでスーツで行ったが、迷うことなく地にひざをついて参る。合掌。お数珠を持って行くべきだった。平日の昼なので誰も同志はいない。土日だとごった返しているかもね。多摩蘭坂がそうだったように。
霊園には涅槃大仏や巨大観音などが配置されていた。み仏が涅槃に入るときの寝た仏像は一種異様であるが、霊園のメインとも言える。山肌の緑をじっと眺めていると、子どもの頃に眺めた北九州の足立山や貫山を思い出す。都内八王子市にまだまだこんなに自然が残っているのは少しほっとする。キヨシローも落ち着いて眠れているに違いない。
井の頭線駒場東大前はぼくの大学生活の始まった昭和60年を非常に強く思い出すロケーションだ。教養学部があり、一、二年生が集まる若さ溢れるキャンパスである。ここで2年間一般教養を学んでから本郷の専門へ進む。
教養学部物理教室の授業を聴講することにした。そのものずばり「放射線科学」である。自分の専門をここで最初から学ぶのは非常に意義があると思う。放送大学でやっておきたかったところだったが、もう東大に戻ってしまったのだから、東大の中で一番基礎となる場所で聞けばよいことである。
鳥居先生について学ぶことになった。単位の話やマスコミ報道の件から入る。累積の当量と一時間あたりの微分的当量を報道が混同しているという話。定番のベクレルやシーベルトの話。蛍のたとえなど。まずはやはり放射線と放射能(放射性物質の能力)の話からである。
周りをざっと見るとおそらくほとんどが10代の学生さんたちである。こちらは今日いろんなクラスから集まっていると見えてとても静かだった。ほとんどが理科一類のみなさん。先生も理科一類出身で理学部ドクター卒のよう。ぼくは先生より四年前に理科一類に入っていることが判明。でも専門分野から離れていた時期がぼくは長かったことを考えると、頭を低くして謙虚に学ぼうと思います。モルやアボガドロ数、やはり計算で出てきた。一般教養を学びなおして損はない。
授業が終わって駒場東大前に向かうと、同じように5限目が終わった学生が一斉に駅に押し寄せている。朝ラッシュ並みの激混み井の頭線に渋谷まで乗車。懐かし過ぎるこの感じ。下北沢で麻雀というパターンも多かったが、今はぼくは行くところがあるのでそうはならないが。楽しい学生生活。
今年は事務局に入り、今度はガイドさんを募集する側に回る。印刷した募集ポスターを持っていき、学生支援課の許可印を受け、学内の掲示板に貼る。正門や赤門、弥生門など門の横や食堂の横の掲示板など10か所近くある。自転車が力を発揮する。公式なポスターを許可を受けて貼ったのは初めて。
もちろん募集終了後全部責任を持って剥がして回らなくてはならない。貼るのも剥がすのも一時間近くかかる。大量の画鋲を使用。終わって帰ってきたら、靴の裏に画鋲が数個刺さっていた。
_ 五月の連休に入ってからあちこち旅行をしたのだが、今回の高知のセミナーで初めて四国地方に足を踏み入れることになった。
高知のはりまや橋近くのビジネスホテルに宿泊。全日空の羽田・高知最終便で向かったところ、高知の天候が悪く、なかなか着陸できずにいた。着陸試行全三回、無理なら羽田に引き返すかもしれないとアナウンスあり。着陸態勢に入ると横殴りの強風で機体が激しく揺れるのだった。無理に着陸すると事故が起きたかもしれない。でも最後には天候が回復し、着陸できた。 四国は初めてと書いたが、実は25年くらい前にオーシャン東九フェリーが小倉・徳島・東京を結んでいたので、二泊三日の航路の途中、徳島港に寄港していたことだけはあったのだった。
今回は高知に実際に上陸して、仲間のセミナーに参加した。話もさせてもらったのである。ステップの話を15分くらいしてから、みんなで50分の分かち合いを繰り返す。よくできたシステムだと感心してしまった。必ずすべてのステップをみんなが発言できるように考えられているのである。だから分科会を四つに分けていた。関東でもこういうことをできるといいなと思った。
セミナーが終わって解散してから移動まで時間があったので、高知城と本願寺別院を巡回。南国なせいか鹿児島によく似た町である。九州の県庁所在地都市はだいたい市電が通っていて、その左右に道路が往復していて、中心のアーケード街がある。高知もそのような町だった。
夕方高速バスで高知を後にした。次は松山である。愛媛県ももちろん初めての踏査だ。道後温泉のネオンがまぶしい。街中を通り抜けて松山駅そばのビジネスホテルで宿泊。夜は駅前の温泉に出かけた。手ぶらで570円。安い。パチンコ屋が併設されているのがちょっと品がない気もするが、もとも私に品はないのでちょうど釣り合っていたかもしれない。
松山まで来たのは翌日早めに出て、昼くらいまでには大分に船で渡りたいと思ったからである。松山で一泊して朝は予讃本線に乗車した。四国で初めてのJR線。時刻表で昔からよく目にしていた予讃本線とか土讃本線とか、とにかく旧地名の讃岐の一文字がついている。伊予も今治も宇和島も位置関係がよくわからず、八幡浜に向かうつもりで反対側の今治に向かってしまった。JRの車掌さんに聞いたら逆ですよ、次で乗り換えてくださいと言われ、とんぼ返り。そうしたら松山でちょうど特急宇和海に乗れたので、いいタイミングだったかもしれない。
八幡浜から港まで徒歩。着港の臼杵もJRの駅から歩けるということで、八幡浜・臼杵の航路を選択した。あとは別府航路や、船に乗る時間の最も短い佐賀関航路もあるようだったが、基本はバスよりJRで行ける臼杵航路とした。
二時間半かけて臼杵に到着した。豊後水道を渡って九州に来れるのは不思議な感じであった。四国・本州間は鉄道でつながっているのだし、四国・九州も鉄道や道路でつないだらどうなのだろう。そもそもその前に四国に新幹線を通したらどうなのか。いろんな妄想が広がるのだが、四国をもっと発展させる政策を自民党や民主党の人たちにやってほしいと思うのである。