駒場東大前の喫茶店で10何年ぶりの友人との再会。バンドサークルの頃の後輩の一人である。大学に残り工学博士号を取得したのち有名メーカーに就職し、海外勤務を続けているようだ。きちんと生きてきた人たちにいろんなことを学ばせてもらう機会がある。まだまだ自分はこれからだ。小一時間話して解散。こういう関係は大切にしたい。
東京大学運動会応援部の総決算イベント。去年は一人で参加したが、今回は家内と参加。吹奏楽、チア、そしてリーダーのパフォーマンス。熱い三時間半であった。
現役の頃はこういうものにまったく関心が向かなかったのが、大学に戻ってきた昨今はとても大切な絆だと感じる。リーダーの副将のかたがぼくと同じ高校出身であり、四年生の彼はこの淡青祭で最後の活動となる。イベント開始前に直接声をかけることもできた。今回のテーマどおり、ぼくも他の人たちへの「支える力になりたい」。
金、土、日と宿泊研修会が箱根で開かれた。土日に参加。金曜の夜、東大の本郷で英会話の授業を終えてから、レンタルした自動車で一路箱根へ。川口からスタートして環状八号線を世田谷まで。そして東名高速道路に初めて乗る。夜遅く22:00を過ぎているが、営業の物流トラックで混み合っている。御殿場インターで降りて、山道を芦ノ湖の付近まで行く。
土曜は午前中から午後にかけてほとんどミーティング。夕食はコース料理のようで豪華だった。温泉にも二回入る。夜遅くなってからのオールドタイマースピーカーもよい。自分たちで企画をした12conceptミーティングも宿泊研修会内では二回目ということで順調に開催できた。
五人部屋でゆっくり休み、日曜のラストは次回研修会のお知らせもした。われわれの地区が来年は担当になる。地区メンバー全員で一言メッセージ。すべてのプログラムを終了して再度東名高速を使って帰る。メリハリのある週末だった。
自分がしらふになって18年目の記念ミーティング。第一スポンシーに司会をしてもらう。ケーキなしで地味に開催。月単位の該当者がいないのは珍しい。じっくりと今年一年の話をする。本当は過去の話をすべきところだが、時間に限りがある。あちこちからやはり来てくれていた。また来年へつないでいきたい。
アルクの教材のTOEICマラソン(650点突破)を購入して、取り組み続けている。ようやく四週間分が終わり一サイクル。これを四サイクル繰り返さなくてはならない。苦手なリスニングやスピーキングがどう変化するかが楽しみだ。あまり自分ではまだ変化が感じられないが、同じ例文を三回四回五回と繰り返して声に出していくうちに、意味を考えるより口が勝手にしゃべっているという感覚になることがある。ひょっとしたらこれが「進歩」なのだろうか。母語である日本語もふだんあまり考えずにポンポン口からでまかせみたいにしゃべるのが普通だからなあ。(普通じゃないか)。
一般からいうと650点は志が低いのかもしれないが、でも自分としては400点台で煮詰まっている段階だから、少しでも数ヶ月でアップできればそれだけで幸いである。
為替差益を狙うFXから足を洗って約五年になる。しかし利息の高い外貨預金などにいくつか手を出していたのだ。アメリカやグアムに行くときにシティバンクの口座に米ドルなどで預け入れもあった。豪ドルやNZドルも今が円高と思い、預け入れたウン万円。それが果てしなく値下がりしていく。恐怖のこの数ヶ月であった。
ところが今日の日本銀行為替介入で一気に外貨が値上がりである。ほんの数時間で3円、4円と上がると大変な利益である。再安の水準で買っていたら大もうけだったかもしれない。でもFXはギャンブルなのでやれないのだ。しかし数ヶ月前に振り替えしていた外貨が一気に値を上げ、預け入れ前の水準に戻っている。すごいよ介入効果。しかも一瞬の値上がりではなく、午後数時間は1ドル=79.20円でずっと推移していた。介入が続いていたのであろう。豪ドルやNZドルも同様のようだった。このチャンスに全額日本円に振り替え決済した。元本が守られた上に十数万の利潤が出る。ほっとした一日だった。もうリスクは負いたくないと思う。
そしていよいよ理系の出番だ。数学検定。いきなり最上級の1級を受験。無茶かもしれない。でもチャレンジである。
一次一時間、二次二時間の検定である。線形代数、微分方程式、重積分、数理、統計など、大学数学のオンパレードである。駒場でもっとちゃんとやっておけばよかった…という感じ。マクローリン展開やユニタリー行列が出る。この辺はみんな大学院入試の数学とかぶるのだ。
時間は足りなくはなかったが解法の確信がないものが多く、惨敗であろう。次回は自分の身の丈も案じて、いったん高校数学レベルの2級や準1級に戻って挑戦してみるか。でも学び直しの好材料がたくさんあった。線形代数は怖くない。
仲間のフェローシップへ参加。「よもぎやま」と読む。蓬莱山(ほうらいさん)ともいうようだ。八月から毎月レンタカーで遠出するのが楽しみである。今回は川口から高速に乗り東北道を佐野藤岡インターまでひとっとび。一昔前とは違って割引も効くし、すごく快適だった。高速を降りてからみかもと田沼の道の駅に寄る。佐野の市内から山道に入り、一路、道がなくなるまで北上。ログビレッジに到着した。
小一時間仲間と話してから、みんなでバーベキュー。焼きそば、ローストビーフ、野菜とソーセージの煮物、イカやきなど。おなかいっぱいになる。秋の夕暮れは冷え込む。お風呂に入って一息。そして夜のミーティング。埼玉の古いメンバーの司会。ここもみたけと同じく、地元の人たちの継続でつないでいるのである。
夜半に一足先に帰宅。翌日の数学検定試験に備えるためである。少しだけ高速を使ってみたが、羽生からは一般国道をドライブを楽しみながら帰る。20年来のペーパードライバーがいっぱしに運転している。この人生には奇跡が起きるのだ。
この秋は怒涛の検定ラッシュ。久しぶりの漢字検定を受けた。どのくらい久しぶりかというと実に17年ぶりである。1994年に2級を取得した。そして何回か準1級にチャレンジしたが合格できなかった。まあ漢字の勉強は老後の楽しみに取っておくか…などと達観した考えもあったが、腕試しに受験を思いつく。準1級にエントリー。問題集を買って模擬試験を数回分受ける。自己採点してみると毎度約6割から7割程度の得点。合格水準は8割である。そして本日の本番。
自己採点してみるとやはり8割に届くか届かないか。字体や許容読みで許されるかどうかの微妙な採点で合否が決まりそう。17年前も自己採点してみたらスレスレで不合格だった記憶。ぼくの漢検準1級は永遠にスレスレで不合格になり続け、だからこそ受験の楽しみを捨てずに済むのかもしれない。
昨年中学生たちに混じって四級試験を受けてパスした。そもそも何級がどんなレベルなのかわからないまま受験したのだ。そして今回は二つ飛び級して準二級を受験した。見渡したところ高校生が多い。もう一つ上のレベルでもよかったか。最近TOEICの訓練を続けているためか、文法や単語がとてもやさしく思える。現役時代の英語レベルがぼくにも戻ってきたということであろう。準二級の文法や読解はほぼ完璧であった。満点かもしれない。しかしながら何十問もあったリスニング。これがしんどいのである。集中力が続かない。迷っているともう次の設問。そしてlost状態。いろいろ策を弄してもTOEICもTOEFLもこの英検も同じことだ。リスニングによって合否が決まるであろう。二次試験もある。もし一次が通ったら二次も頑張りたい。そして次は二級、そして準一級、ラストは一級である。並行してTOEICも手を抜かずに進めていこう。
大学の後期スケジュールが今日から始まった。学生食堂の混み具合や、銀杏並木を歩く学生の数の激増でそれとわかる。英語レッスンの詳細や各種募集要項が各学部からつぎつぎに張り出されている。前期は目標は達成しなかったが、後期は前進したい。しかしながら、そういった具体的な内容はおそらく天なる神が決めてくださることだろう。いまぼくにできるのは目の前にある課題や物事に全力を挙げて取り組むということだと思う。
時間は平等に与えられ、気がつけば速いペースで日々が進んでいく。あまり手抜きをしている余裕がない。しかし今こそ人生の小休止であり、立っているこの足元をじっくり見ることができる。何か一つしかできないとしたら、いったいあなたは何を選ぶのか。そう尋ねられているようにも思える。
入試生活の中で自分のレベルは客観的にどのくらいなのかを測る基準として、大学入試センターの実施する「センター試験」の得点力がある。ぼくが高校生のときは共通一次試験と呼ばれていた。国公立大学および福岡県の産業医科大学を受けるには、この共通一次試験を受けなければならず、この試験の成績を元にどこか一つの国公立大学を受けられるというものだった。その後国公立も前期・後期と分けられて二ヶ所の受験機会ができたり、他の私立大学もこのセンター試験を利用するようになったらしい。共通一次試験が実施されるさらに前(昭和40年代から50年代の前半)は、国公立は「一期校」「二期校」と分かれていて、明確な大学の序列があったと聞く。大学の序列を解消するために導入した共通一次試験が受験機会を狭め、その結果大学の一元的偏差値序列化を促進してしまったのは皮肉なことである。
当時の共通一次試験は誰しもが5教科7科目を受けなければならなかった。英数国はそれぞれ200点満点で、理科と社会は1科目100点満点のものをそれぞれ2科目受けて400点満点。合計で1000点満点だった。東大や京大の二段階選抜(足切り)は700点台後半から800点台だった。そこに達していないと門前払いになるのだ。今もその制度は残っていると思う。ぼくは現役、浪人と二回この共通一次試験を受けたが、現役の高校三年のときには860点、浪人した予備校生のときは850点を取れた。配点が二次試験に大きく偏っていたので、センター試験の成否はあまり関係がなかったといえるが、そこそこのレベルに達していれば自然とセンター試験も得点が取れるものだ。
有名予備校である駿台予備学校の発行するセンター試験模擬テストを購入し、全科目解いてみた。本番と同じ時間で区切り、きちんと鉛筆でマークシートにも記入した。一通り終わって自己採点もしてみたが、レベルはかなり落ちている。比較的得点できたのは数学、物理、国語。しかし六割程度の得点。化学や社会、英語などは五割を切っている。英語はリスニングもあるので足を引っ張られるのである。記憶がものをいう科目はやはり壊滅的である。比較的得点できた数学や物理でも、余弦定理・方べきの定理など幾何の部門や回折・振動波動の部門はほとんど無力であった。
試験はそれなりの訓練と短期的な記憶力の勝負かもしれない。全体的な論文作成などは社会経験と論述訓練ができているのである程度可能だが、受験勉強の分野は再開拓が必要かもしれない。
どんな試験内容であったとしてもこのブログでも再三書いているように、おそらく英語の力というのはどこに行っても応用が効くし役に立つだろうと感じている。