九州二日目は天神から高速バスで一路日田へ。甘木や浮羽、朝倉を通る。卑弥呼の里を突き抜けていく。車窓からは小さな古墳がたくさん見えていた。
JR九州の日田駅から南側に広がる温泉郷を歩く。古い建物が多く、天領だけあって小京都のようだ。雰囲気が温泉「街」ではなく、完全に温泉「郷」である。川越とか倉敷に似ている。
温泉旅館が終わると突然目の前が開ける。こんな山奥なのにあまりにも大きな川が流れている。三隈川というようだ。屋形船のような遊覧船が並んでいた。昔の殿様たちはこういうところで遊んだのだろうなと思った。今日はどうかというと八月とはいっても平日の昼間だ。誰も遊んでいない。ふらふらしてるのはぼくくらいなものだ。
川の中州に鳥居があった。こんなところにまた神社? 入っていくとなんだかすごい由緒が書いてある。後醍醐天皇や楠正成である。蚊に刺されながら森のような神社の中を歩き回る。ちょっとサービスしてぼくの近影をどうぞ。二次使用しないでね。
タクシーなどは使わず、また延々と歩いて日田駅まで戻った。4〜5kmくらい歩いたような気がする。さすがに疲れたね。駅前の古そうなお店に入って、とり天定食を注文。うまかった。大分は鳥の揚げ物の名物は唐揚げではなくてんぷらなのだ。もちろん唐揚げもあるのだが、大根おろしと天つゆで食べるとり天である。満足した。
日田をあとにしてJR日田彦山線で小倉へ向かう。久大本線と日田彦山線の分岐駅が山奥の夜明駅だ。たいていここを訪れると駅は霧に包まれているのだが、今回は珍しくからっとしていた。ディーゼル列車(なんと1輌ワンマン列車・整理券付)は宝珠山、彦山、添田、田川後藤寺などを経て、小倉まで北上。正確にいうと田川後藤寺駅で車輌入替えがあった。
夕方ようやく実家に帰り着き、両親と再会。父とすこし込み入った話をして就寝。午後八時過ぎには皆寝てしまう。ちょっと早すぎかも。
能古島(「のこのしま」と読む)へ。実家の小倉に行く途中、今回はパックの宿泊がつく関係で福岡市内に前泊した。木曜朝一で羽田から福岡板付へ。空港から博多駅に出て、博多駅西鉄バスターミナルから姪浜の港へ出た。
姪浜からこの能古島へは船で10分である。博多湾には能古島と志賀島(しかのしま)が浮かんでいる。志賀島は島と言っても陸続き。漢の倭の奴の国王の金印といえばみんなわかるかも。だがこの能古島はれっきとした島である。歴史は古い。京都や奈良よりずっと古いのだ。福岡は卑弥呼のいた場所と言われている。能古島や壱岐、対馬は、外国からの侵略を防御するときの要衝だった。防人がいたところである。
時間があったら壱岐に行くつもりだった。しかし、空港から壱岐行きのフェリーの時間に間に合わなかった。次の便は三時間待ちだったのだ。ところが能古島行きの船は一時間ごとに出ている。方針変更。
島から博多湾を眺める。九州に来たなあという感じがする。島の港の船着場で食事。白身の魚の刺身。そして貝のたっぷり入った味噌汁。貝がとても身がしまってプリプリしている。子どもの頃に食べた貝汁とまったく同じだ。
島の中は大して広くないが、暑いし、歩いて回るにはちょっとしんどい。そこで電動自転車をレンタルした。
坂も山もラクラク……の予定だったのだが、途中でアシスト電力がよく切れる。電源切って復帰したりの繰り返しだった。でも自然の中を走り回って楽しい。
途中、神社を発見。たぶんかなり古い。百年とか二百年とかそういうレベルではなく、千何百年前とかそういう話かも。スサノオとかイザナギとか。
結局、島には二時間くらいいた。汗びっしょり。人間の体は水からできているということがよくわかった。ふたたび船に乗って姪浜港に戻る。船賃は往復400円。船は福岡市が運航しているようだった。
「振り向けば、天神。転んで中洲」の中洲である。
中洲の北西にある橋のたもとで19年前の夏、うろついているホームレスに混じって宝焼酎青キャップを飲んでいた記憶がある。酔っ払ってくると誰でもいいから話したくなるのだった。
中洲の南側、南新地辺りに行くとたくさんの風俗店がある。キャバクラで勤めていると思われるお姉さんたちがタクシーから降り立ち、コンビニに寄ったりしている。歌舞伎町や西池袋とそれほど変わらない。
本場のラーメンを食べてみようと店に入ったが、なんだか東京で食べる九州風ラーメンのようだった。もっと臭くて品のないラーメンが食べたい。
この日の夜は築港本町のホテルに宿泊した。福岡サンパレスとか国際会議場の近くだ。対馬小路(つましょうじ)近辺。昔は鉄道の引込み線が走っていた。もう鉄道は跡形もない。
この福岡サンパレスはぼくが初めてRCサクセションのコンサートに行った会場である。昭和57年4月2日だった。忌野清志郎の31歳の誕生日でもあった。若かったねー。ぼくも若かったよ。16歳だもんね。
思い出にひたりながら福岡の夜は更けていく。月がきれいだった。
ラフォーレ原宿の五階で開催されている。詳しくはググってくれ。興味のある人は、ぼくがここでいうまでもなく、すでに調べられていることと思うが。
清志郎の描いてきた絵画などの展示。ほとんど本格的な油絵である。絵本向けのものも多く見られた。ももちゃんがギターを持っている絵もあった。少し悲しいのは、抗がん剤で頭髪がすっかり抜け落ちたときの自画像。復活祭のDVDにも写真が出てくるが、清志郎とは思えなかった。
あと、未公開フィルムの上映がなかなかよかった。反戦メッセージの「QTU」など。
グッズ販売は高すぎてどうもいただけない。結局商売なのか……という後味の悪さ。場所代考えたらそれもやむなしか。
明日久しぶりに仕事だが、先週の半ばからほとんど毎日が日曜日状態だった。ゲームやカラオケ。歌舞伎町で過ごす日々。こんなんでいいのか……って感じもときどき。でもこれでよいのだ。金や時間を使いまくるのも時には大切だ。といってもなかなか思い切って使えないのが現実なんだけど。
仕事がひと段落してから、ほとんど毎日仲間にステップを渡し続けた。土曜日だけメッセージと委員会で渡せなかったが、日替わりで仲間と個人的に会い続けた毎日だった。そして今日からは名実ともに夏休みである。実家への帰省はまだ来週なので、数日は自分勝手に過ごそう。
きょうはゲームやカラオケ。カラオケ館の会員登録もした。プチ旅行も選択肢の一つだったが、計画なしですっと出て行くのはまだまだ抵抗感がある。
バイクにあまり乗っていなかった。きょうブレーキシューを自分で交換。片面はできたが、もう片面がどうしても達成できず。エンジンオイル交換もまだやったことがないのでこれから挑戦だろうか。
少し偏った読書をひとつ。
・叶恭子の知のジュエリー12ヵ月
・墨東綺譚(永井荷風)(「墨」は本当はさんずい付)
・わが闘争(アドルフ・ヒトラー)
ヒトラーは危険思想だね。でもマンガ版はなかなか迫力があった。口述筆記バージョンは文庫で上下巻で刊行されている。ドイツなどでは発禁本の一つらしい(古書でも表向きは手に入らない)。経済不況の不満が渦巻く中で、ヒトラーの演説が民衆の支持をどんどん得ていく有様がエキサイティングである(「よい」とは言っていないので念のため)。貧しい時代は革命か戦争に流れるというのは真実かもしれない。現代日本も他人事ではないよ。
墨東綺譚は現在まだ読み進めている最中。隅田川の東、現在の東向島のあたりが舞台である。もちろん女遊びの話だが、無粋ではないので直接的な表現はない。当時の日本でそれを描いたら、それこそ発禁処分だったかもしれない。
叶恭子の本は実はティーンズ向けの本だが、なかなか面白い。金の使い方とか、生き方を考えさせられる。
8/12に盆休み前最後の仕事をし、13日より休暇に入った。昨日も今日も仲間とテキストの読み合わせ。日曜や火曜にもその予定が入っている。全部別の仲間だ。自分が役に立つことなら何でもしようという気持ちがあれば、続けていける。自分の時間を手放すということは、たくさんの新しいものが手に入るということかもしれない。
とは言っても午前中はほとんど自分の用事に使うことができる。あまりろくなことは考えていないが、読書や遊びに少し使いたい。
ほんとうに何日かぶりの休み。夜のミーティング以外に何もないというのは一ヶ月ぶりくらいではなかろうか。
7/29に録画しておいたフジテレビの「忌野清志郎伝説」をやっとのことで見る。七月末あたりから容量一杯になっていたのかもしれない。DVDデッキの話ではなく、ぼくの処理能力が、である。
外部委託の夏期授業の講師を任されたことがとても大きい。そのための準備にエネルギーを使った。しかし上司や同僚はおそらくもっと殺人的な量の仕事をこなしていたと思われる。
そもそもの自分の選択間違いは、夏休みの時期は暇になると踏んで、いろんなスケジュールを事前に入れてあるのである。そしていざ八月に入ると予測を裏切り、仕事が入ってくる。そして容量オーバーという結末。去年もそうだった気がする。
夏季授業の合間をぬって、自分が受ける側のスクーリングもこなしていった。核融合関係の授業、セクシャリティ文化についての講義、七月末には放送授業の前期試験も続いた。五科目だがすべて受験し、だいたいの手応えがあった。厳しい感じのしていたコンピュータやドイツ語の試験もおそらくクリアしたと思う。
あー、でも、隙を突いて日野高校(清志郎の母校)の甲子園予選の応援をしようと神宮球場に行ったり、杉並のフェローシップに参加したりもしている。映画「蟹工船」も見た。だから休日も詰まっていたのだが。もちろん仲間にステップを手渡すことも怠らず、ミーティングの後の相談にも乗り、ほんとは自分が相談してもらいたいくらいの勢いだったのだが、それでうまく流れていたのかもしれない。
やっと休みとなったら地震と台風だ。出かけたいのだが大丈夫だろうか。雨が降り出したら、自宅に戻って休息というのもいいかもしれない。
この夏場に入って、にわかに働き過ぎて、参っております。声も嗄れ、気力もあとわずか。日曜までのスケジュールを何とかこなして、来週につなぎたいと考えております。
アーケード版のこのゲーム、自分が学生のとき(1987頃)に大流行した。平たく言えばブロック崩しゲームである。しかしアイテムの種類や面クリアの際の出口によって次の面のブロック配置が異なるなど、たくさんの戦略設計があり、無限に楽しめる。DSなど家庭用ゲームにも移植されているようだが、やはり臨場感で言えばゲームセンターでのゲームに勝るものはない。
しかしながらほとんどのゲームセンターでなくなってしまった。コントローラが丸いつまみというのも取り替えのきかない要因かもしれない。それでも地方都市に行くと初代のアルカノイドが置かれていることもある。大山のぶ代のプロ級の技がよく話題となった。初代の方のアルカノイドは新宿西口の三平酒寮の横のビルの二階にもある。
じつはこのアルカノイドⅡが、西武新宿駅すぐ横の「ミカド」(バーガーキング隣)に復活した。30数面の出口別の面地図もパウチして置いてある親切さ。
みんなでミカドに行こう。そして回転数を上げて、一日でも長くこのアルカノイドⅡを稼動させ続けよう。
朝の出勤でタクシーを使ってしまった。家を出たとき大雨だったのと、ふだんの経路に自転車を使わないと遅刻が見込まれたからである。
ところがタクシーを拾おうとして川越街道に出ると、なんと雨がやんでしまった。いまさら家に戻って自転車を使っても間に合わないし、ときわ台に歩いて池袋経由に切り替えてもたぶんギリギリ。やむなく、雨など一滴も降っていないのに、小竹向原までタクシーだ。乗ってみたら、とろとろ渋滞しているではないか。バカみたい。前に大雨のとき、東山町から武蔵野病院までバスで移動して小竹向原から電車に乗ったときも、バスが渋滞していてバカみたいだった。1140円支払ってタクシーを降り、小竹から電車に乗った。電車に乗れた時刻を確認すると、家を出てから23分。歩いて駅まで行った場合とまったく同じ時間がかかっている。ますますバカみたい。
朝のラッシュ時にふだんの交通機関以外のものを使って、快適で早く着いたためしがない。きょうもまた新しい経験ということで、ちょっとした授業料を支払ったということだろうか。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版の「破」を見に行った。夏休みで混み始める前のギリギリのラインだ。平日昼間ということもあり、劇場は空いてて快適だった。
新劇場版の一作目の「序」は、ほとんどテレビ版と変わらず、古くエヴァを見てきたファンの郷愁をそそる復習映画のような感じであった。ただ宇多田ヒカルの主題歌もいい感じだったし、背景ロケも取り入れているようで画像がきれいだなあという印象だった。そうして可もなく不可もなく「序」は終わった。印象としては、ファンの点検作業というところだっただろうか。
ところが今回の「破」は違った。アレンジというどころではない。パロディーに近い気もするが、オリジナリティーも溢れている。というか、別物とも思える。まったく違ったタイプの使徒。新しいチルドレン。アスカの苗字が「式波」?。なんかそういう次元ではない。そして巧妙な演出だなあと思うのは、セリフやモチーフにオリジナルがホログラフのように織り込まれているということだ。綾波の自爆やシンジの逃避はもともとオリジナルでも大きなテーマだったが、本作品でも新しい視点から取り入れられている。しかもそれが信じられないくらいフィットしているのだ。
使徒が綾波を食ってしまったあと、使徒の下半身があの感じに変化するあたりから鳥肌が立ち始めた。ダミープラグでの暴走。アスカは死んでしまったのか。謎が多い。難解でもあった。オリジナルを何度も何度も見ていたぼくでもこんな感じなので、初めてこれ見たらどんな印象なんだろうか。トータルで言えばあらすじの複雑化はそれほどないので、新規観客はそれなりに楽しめるのかもしれない。
綾波レイやアスカにも、人格の微妙な変化が見て取れる。他のキャラクターもオリジナル+αといった感じだろうか。新キャラのメガネっ娘は次回あたりブレイクかな。ちなみに次回は「急」ではなく「Q」らしい。村上春樹の小説タイトルにも使われてたQ。
「今日の日はさようなら」とか「翼をください」といったノスタルジックな曲が見せ場で挿入されているのだが、タイミングが絶妙だった。うかつにも涙出そうだったよ。
今回のこの作品は構成力がすばらしいと思った。オリジナルを実に上手く利用している。一見の価値有り。