あっという間に八月が終わっちゃうよ。自分の有給休暇を使いつづけている。九月に入ったらまたしばらく休暇を使うこともないだろう。しらふになったぼくは、当日電話して当日仕事を休むとか、不如意の休暇とか、そういうのをやらなくなった。ていうか、やれなくなってしまったのかも。まあ、人の評価を気にする小心な自分を発見したということかもしれない。ドタキャンをしないというのはまあ結局そういうことで、遅刻やドタキャンは悪い評価もあるが、その人の特性なのだろうと思うようにもなってきた。いいとか、悪いとかではなくて、要するにそういう特性がある…というだけに過ぎず、連発する人はそれなりに信用されなかったりマイナスも甘受しているわけだし、結局バランスは取れているような気がしてくる。気のせいかな。
とにかく3月31日に二十日を超える休暇が残っていると、それは権利消滅してしまうのだ。だから比較的自由に休める8月のうちに、二十日を割っておく。今日で残り十八、明日使って残り十七。ベストなところだ。これでもう、3月まで一日も休まなかったとしても、権利消滅はない。三十七日となるだけだ。
青少年センターで団体登録。地域の催しではないものをやる計画があり、会場を予約に行ったところ、新たに登録をすることになってしまい、結構時間がかかる。しかし、もうこれからはゼネラルサービスの名前で会場が取れる。なんかうれしい。
午後、奥多摩まで温泉に行くつもりが、やはり途中で「自分は温泉なんていうものが本当に好きなのだろうか?」という根本的な問題に立ち往生してしまう。考えていても、どんどん進む青梅線。鳩ノ巣で下車。そして、渓谷に降り、川の中を歩くことに。水が冷たくていい感じだった。温泉は当然キャンセル。
夜は新宿で労働委員会。西武線で戻ってきて時間的にぎりぎりだった。20:30に終了。まあきょうもよい休暇だっただろうか。あまり「考える」ことはやめたいね。
九州二日目は天神から高速バスで一路日田へ。甘木や浮羽、朝倉を通る。卑弥呼の里を突き抜けていく。車窓からは小さな古墳がたくさん見えていた。
JR九州の日田駅から南側に広がる温泉郷を歩く。古い建物が多く、天領だけあって小京都のようだ。雰囲気が温泉「街」ではなく、完全に温泉「郷」である。川越とか倉敷に似ている。
温泉旅館が終わると突然目の前が開ける。こんな山奥なのにあまりにも大きな川が流れている。三隈川というようだ。屋形船のような遊覧船が並んでいた。昔の殿様たちはこういうところで遊んだのだろうなと思った。今日はどうかというと八月とはいっても平日の昼間だ。誰も遊んでいない。ふらふらしてるのはぼくくらいなものだ。
川の中州に鳥居があった。こんなところにまた神社? 入っていくとなんだかすごい由緒が書いてある。後醍醐天皇や楠正成である。蚊に刺されながら森のような神社の中を歩き回る。ちょっとサービスしてぼくの近影をどうぞ。二次使用しないでね。
タクシーなどは使わず、また延々と歩いて日田駅まで戻った。4〜5kmくらい歩いたような気がする。さすがに疲れたね。駅前の古そうなお店に入って、とり天定食を注文。うまかった。大分は鳥の揚げ物の名物は唐揚げではなくてんぷらなのだ。もちろん唐揚げもあるのだが、大根おろしと天つゆで食べるとり天である。満足した。
日田をあとにしてJR日田彦山線で小倉へ向かう。久大本線と日田彦山線の分岐駅が山奥の夜明駅だ。たいていここを訪れると駅は霧に包まれているのだが、今回は珍しくからっとしていた。ディーゼル列車(なんと1輌ワンマン列車・整理券付)は宝珠山、彦山、添田、田川後藤寺などを経て、小倉まで北上。正確にいうと田川後藤寺駅で車輌入替えがあった。
夕方ようやく実家に帰り着き、両親と再会。父とすこし込み入った話をして就寝。午後八時過ぎには皆寝てしまう。ちょっと早すぎかも。
山形の市内で広報のためのフォーラムに参加。全国七地域の持ち回りで今回のこの東北地域開催で最後となる。ぼくは第二回の栃木のときに実行委員長の役割だった。あれからはや7年。フォーラムはいかにすれば開催できるかということだけは、これで全国に浸透したのではないかと思う。
前後各一日を青春18きっぷの各駅停車での旅にあてる。前日は只見線(新潟県小出→福島県会津若松)を約四時間かけて完乗。翌日は新庄、小牛田(こごた)、仙台、原ノ町を経て常磐線より帰京。この夏は前述の甲子園もそうだったが、各駅停車の旅行の再燃であった。高校卒業直後は福岡と東京のあいだをよく往復した。紀伊や山陰に普通夜行ディーゼルカーが走っていたこともある。いまは快適なムーンライト号もある。貧乏旅行も格が上がったと思う。
三年四か月前、有名ロッカーが亡くなった日に偶然買った自転車が、ついにパンクした。安い自転車は寿命が短いなあ、と思う。しかし修理すれば延命する。チューブを傷めないようにパンク後輪を浮かせて持ち上げながら、春日のオリンピックに自転車を運んだ。東大構内から約1km。疲れた。
診断してもらったら、タイヤには問題なく、虫ゴムの劣化であった。前にも同じことがあった気が…。798円で修復完了。自分で修理できたかも。
最近また思うところあって、施設や病院へのメッセージを再開している。先週の立川に続き、今日は大泉のクリニックへ。底つきの頃の話をする。ミーティングでの話し方に慣れてしまい、短くまとめすぎたかもしれない。しかし20年くらい前の苦しんでいたころの記憶がよみがえる。あれを忘れてはいけない。忘れるわけにはいかないのだ。苦しみの経験は、ぼくたちの財産である。
大学院の筆記試験が終了した。怒濤のようなTOEFL対策。そして地球科学を中心とした理学の勉強に明け暮れた一ヶ月であった。数学、物理学、化学、生物学、地学から試験問題を見て科目を選ぶのだが、難しそうに見えた問題が実は簡単だったり、簡単そうに見えてほとんど点数のとれない構造の出題などに翻弄された感がある。予定では地学二問、熱力学一問、あと数学か化学をその場で選ぶつもりだったのだが、実際には地学、数学、生物、化学の一問ずつをその場で選んでしまった。数学でいつもの固有値問題が出たので食いついてしまったが、その後の極座標変換、調和関数、ベクトル解析が致命的なまでに解けなかった。ダッシュポットのシンボルが書かれているだけで後ずさりして敬遠した地学問題がよくよく読んでみると直列や並列の基本的なことしか尋ねていない。付随していた鉱物の反応系のややこしい状態図も、よく見ると析出温度や融点くらいしか問うていなかったのである。あー残念です。でも化学の反応速度論の問題を解き終えた時点で残り時間は15分くらいしか残っていなかったし、それから固有値問題の解答を消して地学に切り替えても、実質10分で冷静にダッシュポットや状態図を分析できたかどうか不明である。科目の選択という行為自体も実はスキルを試されているのかもしれない。
先日の新領域創成科学研究科と今回の理学系研究科の受験で、この学士入学の決算が示されるのだと思う。とにかく厳しい試験であった。