能古島(「のこのしま」と読む)へ。実家の小倉に行く途中、今回はパックの宿泊がつく関係で福岡市内に前泊した。木曜朝一で羽田から福岡板付へ。空港から博多駅に出て、博多駅西鉄バスターミナルから姪浜の港へ出た。
姪浜からこの能古島へは船で10分である。博多湾には能古島と志賀島(しかのしま)が浮かんでいる。志賀島は島と言っても陸続き。漢の倭の奴の国王の金印といえばみんなわかるかも。だがこの能古島はれっきとした島である。歴史は古い。京都や奈良よりずっと古いのだ。福岡は卑弥呼のいた場所と言われている。能古島や壱岐、対馬は、外国からの侵略を防御するときの要衝だった。防人がいたところである。
時間があったら壱岐に行くつもりだった。しかし、空港から壱岐行きのフェリーの時間に間に合わなかった。次の便は三時間待ちだったのだ。ところが能古島行きの船は一時間ごとに出ている。方針変更。
島から博多湾を眺める。九州に来たなあという感じがする。島の港の船着場で食事。白身の魚の刺身。そして貝のたっぷり入った味噌汁。貝がとても身がしまってプリプリしている。子どもの頃に食べた貝汁とまったく同じだ。
島の中は大して広くないが、暑いし、歩いて回るにはちょっとしんどい。そこで電動自転車をレンタルした。
坂も山もラクラク……の予定だったのだが、途中でアシスト電力がよく切れる。電源切って復帰したりの繰り返しだった。でも自然の中を走り回って楽しい。
途中、神社を発見。たぶんかなり古い。百年とか二百年とかそういうレベルではなく、千何百年前とかそういう話かも。スサノオとかイザナギとか。
結局、島には二時間くらいいた。汗びっしょり。人間の体は水からできているということがよくわかった。ふたたび船に乗って姪浜港に戻る。船賃は往復400円。船は福岡市が運航しているようだった。
「振り向けば、天神。転んで中洲」の中洲である。
中洲の北西にある橋のたもとで19年前の夏、うろついているホームレスに混じって宝焼酎青キャップを飲んでいた記憶がある。酔っ払ってくると誰でもいいから話したくなるのだった。
中洲の南側、南新地辺りに行くとたくさんの風俗店がある。キャバクラで勤めていると思われるお姉さんたちがタクシーから降り立ち、コンビニに寄ったりしている。歌舞伎町や西池袋とそれほど変わらない。
本場のラーメンを食べてみようと店に入ったが、なんだか東京で食べる九州風ラーメンのようだった。もっと臭くて品のないラーメンが食べたい。
この日の夜は築港本町のホテルに宿泊した。福岡サンパレスとか国際会議場の近くだ。対馬小路(つましょうじ)近辺。昔は鉄道の引込み線が走っていた。もう鉄道は跡形もない。
この福岡サンパレスはぼくが初めてRCサクセションのコンサートに行った会場である。昭和57年4月2日だった。忌野清志郎の31歳の誕生日でもあった。若かったねー。ぼくも若かったよ。16歳だもんね。
思い出にひたりながら福岡の夜は更けていく。月がきれいだった。