憲法学習の二日目、天気がいいので多摩学習センター(小平)までバイクで行こうとしてみたら、キースイッチが入らない。バッテリーも充電されてるし、メインヒューズも問題ない。テスターも持ってないのでバイクショップに預けて、見てもらう。イグニッションパネルの故障。接点が腐っていたとのこと。中古はこれだからなあ。
直してもらって8,925円。部品4000円、工賃5000円といったところか。修理のたびにじゃんじゃんお金が出て行く。実家の父はバイクや車を「鉄の金食い箱」と呼んでいた。たしかに経費のかかる遊びである。
そうぼくのバイクは遊びなのだ。危険な遊びだよなあ。保険かければよいというものではない。事故のないように運転したいです。
組合活動の一環ではなく、放送大学の面接授業で憲法の講義を二日間聞く。論点は主に第九条。不戦宣言と非武装である。
軍備のない国は世界にも27か国あるらしい。しかしほとんどが太平洋に浮かぶ小国や、バチカンやモナコなど。日本のように一億人も人口のある大国が軍を持っていないのは常識はずれらしい。殴られても殴り返さない国という認識である。まあ日米安保があるから、攻撃を受けたらアメリカが戦ってくれるという話である。やはり聞けば聞くほど、そんなんでいいのかと思ってしまう。
第一次大戦、第二次大戦から敗戦に至り、平和憲法を持つに至った経緯も客観的に聞いた。マッカーサーの押し付けというステレオタイプな見方も、実はいろいろ論議があるようで、日本の政治家(芦田均、岸信介ら)がかかわっているということも知った。単純に、護憲・改憲の対立議論でもないようだ。
改憲への世論の盛り上がりがまだまだで、自民党は改憲させたいようだが今一歩とのことである。金正日が新潟にミサイルを撃ち込めば、たぶんすぐに日本は憲法改正して、自衛戦争OKの気運が高まるだろう。田母神論文も一挙に受け入れられる土壌になるかも。
先日理事長が話題にしていた「おくりびと」を見て、きょうは講師のかたが脚本を書いたという「ニセ札」を見る。
映画をわざわざ劇場に行って見るということに、以前は抵抗もあったのだ。ビデオやDVDになってから自宅で見るほうが合理的な気もするのだが、見に行くということは、時間や労力をかけるという点において、大きな意味があるのである。メッセージ活動にも通じるものがある。エヴァンゲリオン「まごころを君に」を見たときもそれは感じたからなあ。
おくりびとを見てから当然のように「納棺夫日記」を読んだし、葬祭関連の広告やそういう職業について見る目が変わったように思う。
ニセ札については時代状況は違うが、敗戦間もない時期が時代設定だったこともあり、生活の切実さということでは心に残るものがあった。
それにしても倍賞美津子の加齢ぶり! ちょっとショックだったかも。
昨日朝の出勤中に自転車のタイヤが回らなくなり、やむなく置き去りにして走って小竹向原駅へ行った。きょう工具類を持って、置き去りにしてあった自転車現場に向かう。ほんとに突然後輪が回らなくなったのだ。
ブレーキのスプリングでも飛んで、ブレーキがかかりっぱなしになったのかと踏んでいた。分解してブレーキを点検したが正常に作動している。はて??? リアタイヤをいったん外し、再度取り付ける。やはりまわらない。チチチチと回ることすらもしない。軸受けがつぶれたのかもしれない。諦めた。粗大ごみに出すことに決定。
購入から約四年であろうか。昨年パンク修理、チューブ交換もしたのだが、寿命が来るとは残念である。安物はほんとに寿命が短い。軽くて便利だったのにね。でもこれで新しい自転車が買えるから、ちょっとだけ楽しい気分。
授業二週目である。少しずつみんな緩んでくる。おかげでこちらも緊張しないですむようになるのだが、そのそのまま放置していると緩みっぱなしなので、締めるところは締めなくてはならない。教育現場というのはなかなかフィードバックがシビアなのだ。
最近の学生の皆さんはもうほとんどコンピュータを使った経験がある。一から教えなくていいだけ教える側も楽なのだが、けっこう自己流の人も多い。いやな言葉ではあるが「矯正」してスタンダードに導くのも、教えるスタイルなのだ。
課題を出すと、早くも到達度に差が出てくる。空いた時間に何を差し込むかも技量が問われるところだ。
埼玉強化月間である。きょうも埼玉のミーティング。埼京線の与野本町。初めて降りた駅かもしれない。ガード下に餃子の王将やサイゼリヤがある。ミーティング後にみんなでぞろぞろ出かける。小一時間お茶飲んで解散。仲間が西浦和まで車で送ってくれた。武蔵野線で北朝霞まで出て東上線に乗り換えたら、家まであっという間だ。板橋と埼玉は近いのだった。
他のグループのメッセージ活動だが、参加させてもらった。京浜東北線の与野駅から東口へ。担当グループのメンバーが二人、そして自分がメッセンジャーで、クリニックの患者さんは約20名。精神保健福祉士の方が司会進行をされていた。
初めての人もいるとのことで、担当グループの仲間が会の趣旨説明。ぼくはそのあとに自分の体験を話した。
自分も最初の頃はいろいろなとまどいや迷いがあった。それをどう処理したか、処理しなかったか、そして痛い目を見ていろいろなことを学んだ過程を思い出すのだった。
こういう活動は時間と労力をかけた分だけ自分に無形の報酬が「戻って」くるという感じがする。今回はたまたま他のスケジュールがあいたので参加できたが、こうしたチャンスは大切にしたいものだ。
南方への旅行が続くが、7月上旬に九州地域での宿泊研修会がある。宮崎である。大手国内航空会社で「定額給付金ツアー」なるバーゲン企画が組まれている。この旅行行程にドンピシャリである。
マイレージ先行予約で自分も含め四名の仲間のチケットを予約した。一般販売は4月24日からのようだが、バーゲンチケットは本当に助かる。
行く予定になっている宮崎の日南は小学生のときに父や姉と行った場所だ。電車に酔って車内でゲロ吐いた記憶がある。その頃は妻線というローカル気動車が走る国鉄線があった。西都原古墳群がなつかしい。今回も観光が組まれているのでちょっと楽しみである。
今年も新学期がやってきた。新しい学生の皆さんとの出会いである。
今年度は事情があってカリキュラムが大幅に改編された。各種座学講座はもちろんだが、自分の担当しているコンピュータの実習講座はいつも二年間(60週)かけて行っている内容を、今回は15週×2コマで圧縮して進めることになっている。濃密なカリキュラムだ。教える側としてはすいすい進めていけばいいし端折っていい単元が増えるから楽になるのだけれど、教わっている側からしたらストレスになるかもしれない。できるだけ個別フォローを大切にしていこう。
また四月から事務局が移動になり、教員も職員も待機するのが同じ部屋になった。ぼくは当初もともと職員プロパーで採用されたので事務局にいたのは長かったのだが、それにしても職員と机を並べるのは2003年以来だから六年ぶりとなる。仕事の局面がまた変化したということになろう。
仕事環境も変化、海外初体験ということで変化、ということでブログカラーもこの春一新してみました。
アルコール関連の自助グループミーティングを日々回って生活しているのだが、東京都内とくに西側を中心に歩いてきたため、他県のミーティングにはほとんど行ったことがない。埼玉県に関しては所沢や川越、和光、朝霞といった西側には少し足を向けたことがある程度である。大宮、浦和、川口など京浜東北線や埼京線エリアは皆無かもしれない。
今月の最初に浦和のセミナーで話をさせてもらった縁もあり、蕨の市民会館で開かれているミーティング場に初めて行った。
行く会場は初めてでも、最近よく歩いている仲間がたくさんいて、他の会場でお会いしていたりするので「知らない場所に来た」という感じはしない。むしろふだん聞かない話を聞いていると、自分の話も掘り起しができる。最初のたな卸しで話したことなどに触れたりできてよい刺激になった。
現在住んでいる住まいの仲介をしてくれた不動産屋はこの蕨市にあったのを思い出した。つながりはどこかしらにあるものである。
4月9日は昼間半日、現地係員による台北観光に当てられた。オプション追加費用はなし(サービス)。はとバス観光すら経験がないのに、いきなり海外でツアー参加はちょっと疲労感。修学旅行以来かなと思ったが、よく考えたら去年沖縄で半日観光があったのだった。
保安宮→孔子廟→お茶屋さん→総統府→中正(蒋介石)紀念堂→お土産屋さん→中華料理で午前中の行程は終了。蒋介石の紀念堂はあまりに巨大で、国力の誇示を感じる。むかしピラミッドを建築したのもたぶん同じ意図だっただろうか。日本にはあまり巨大建築はないからね。
午後は故宮博物院ですこし長時間→烈士祠(軍隊)→マッサージ→そしてブランド品の販売店で解散であった。ブランド品店の入り口で「お客さん、ブランド品のニセモノあるよ」と日本語で話しかけてくるおばさんが印象的。観光客にどんどん声をかけていた。需要と供給が一致しているんだろうと思う。烈士の姿は日本の皇宮警察を思い起こさせる。門番の兵隊は置物か?と見まがうばかりにピクリとも動かない。ちょうど交代式を見ることもできた。
夜は自由行動だった。ちょっときたない感じの食事処に入る。焼肉ラーメン90元(約270円)。台湾語はわからないのでメニューを指差したら「はいはい焼肉ラーメンね、先払いしてくれる?」と日本語で言われて仰天した。商売しているところでは日本語が結構通じるようだ。空港などでも日本語OKであった。
ラーメンに乗っかっていた牛のバラ肉は、とろけるほどに味が沁み込んでいてとてもうまかった。機内食で魯肉飯も出たが、現地の食事は絶品である。
昼間係員と行ったマッサージは、合法的で医療行為としての足裏マッサージ。免許制度があるらしい。これはちょっと高めで700元(約2100円)。でも40分だから日本の相場の半分である。日本人客であふれていた。
夜市内を歩いていると怪しげなマッサージの誘い。40過ぎくらいのおばちゃんが声をかけてくる。日本語がわからないようだったが、ぼくが日本人であるとわかると、おばちゃんはメモ用紙をさっと出し筆談モードに入った。いくら?と聞くと「A級小姐5000元、20歳〜30歳」と書いた。「高いねー」と言って首を振ると今度は「B級小姐4500元」と書いてきた。黙っていると「ホテル?部屋番号?」と書いてきた。気持ちはやまやまだが、リスク高すぎるよなーと考えスルー。
あとは地下鉄に乗ったり、ケーキ買ったりして過ごす。地下鉄初乗り20元(約60円)。切符は磁気コインになっていて、乗るとき改札でかざし、降りるとき改札機に入れる。たぶん捨てないで循環して使うのだろう。切符を何億枚と捨てている日本も見習ったほうがいいかも。
台湾の秋葉原と言えそうな光華市場も歩いてみた。露店のモニターに映し出されているのはなんとザ・ドリフターズのDVD。もちろん中国語の字幕がついているが、セリフは日本語である。街のあちこちにも志村けんのバカ殿のポスターを発見。日本の影響がかなり強いんだなと感じました。
生まれて初めて日本から外に出た。成田空港から台北へ。警察の取調べみたいな、根掘り葉掘りプライバシーを聞かれる…みたいな出国審査をイメージしていたのだが、そんなわけはないね。審査官はパスポートとチケットを預かり、写真を見たあとぼくの顔をちらっと見て、事務的に出国印を査証欄に押印していた。それだけだ。あっけない。
夕方成田空港を出て、夜に台北桃園(とうえん)空港に到着。時差が一時間あることを初めて知る。おれの一時間を返せー(笑)。帰国時にちゃんと一時間返してくれるので安心するように。
中華民国の入国審査。簡単なシートにパスポート番号や住所などを記してこれも簡単に終了。東西体制の頃の東側入国をもくろむ共産主義者は大変だったんだろうなあ…とかぼんやり考える。
台北の到着ロビーには旅行会社の現地係員が待っていた。日本人観光客がたくさんいて、一緒に大型バスに乗り込む。夜の高速道路をひた走り市内のちょっと古めの世聯(リンクワールド)ホテルに到着した。車が右側を走っているよ。海外では右側を走るというのは「知って」いたが、実際にバスに乗ってるとすごい違和感。とくに左折するときなんか大まわりで、えっ?ここに入ってくの?みたいな感じ。そして市内はすごい量のスクーター。台湾はスクーター社会のようだ。ナンバープレートも当然のことながら違う。海外に来たという実感。