一般ファン向けの告別式が青山葬儀所で行なわれた。ネットなどマスコミにも発表されているようだが、参加者43,000人、入場待ち行列は8kmにも及んだ。ぼくは友人と15:20に列に並んだのだが、乃木坂駅から葬儀所の入口までくねくねと列が折り返しており、進んだり止まったりで、葬儀所に入場できたのは20:00過ぎ。葬儀所内でもくねくねと列が続き、祭壇にたどり着いたのは20:30であった。五時間待ちの行列だった。
音楽葬で「青山ロックンロールショー」とアナウンスされていた。祭壇には骨壷と位牌、キヨシロー生前愛用の有名な自転車、ギターなどが多数展示されていた。香典を納め献花をし、歌いながら会場をあとにした。祭壇はロックショーさながらで赤や黄色の原色の色使いで、葬式特有の湿っぽさはほとんどなし。でももちろん喪服で訪れる人は多かった。ぼくらは普段着だったけれど。
キヨシローがよく描いていたウサギのキャラクターマスコットも巨大なタイプで登場、でもこれはライブで使われたものらしい。しかし会場を圧倒していた。古いポスターも並べられており、20年以上前の時代を偲ばせる。やはり永遠のロックスターである。
たっぷり時間があったので、再度の一人カラオケ。きょうは二時間ということでやってみたが、あっという間に時間がたったので一時間延長し、結局三時間。最近のカラオケボックスは飲み物無料、食事はデリバリー、部屋の大きさもちょうどよいし、おひとりさま仕様にもなっているようだ。池袋の歌広場である。
往年のキヨシローソングを歌いまくる。きょうはそんなに感傷的にもならず、ただただ楽しむのみ。DやEのキーが多いのだろうか、素人にはちょっと高い。
どの曲もあるかと思いきや、意外と用意がない曲もあった。著作権の関係なのだろう。タイマーズも数曲しかない。逸見アナウンサーのがん闘病の医療体制を皮肉った歌は是非歌いたかったがこれもなし。残念。
三時間歌ってさすがに気が済んだという感じがする。これで数百円は安い。カラオケも時間の過ごし方のレパートリーの一つに入りそうだ。
ぼくが高校生の頃、はじめてキヨシローの曲を聞いたアルバム「Blue」の中にこの多摩蘭坂(たまらんざか)という曲が入っている。ゆったりした弾き語りの曲だ。この坂は国立と国分寺の市境のあたりに実在する。京王バスのバス停もある。キヨシローが本当に住んでいたのかどうかはわからないが、多分そうなのだろう。
学生の頃や卒業してからも、何回か行った。そして最近も立川にバイクで行くときなんかにときどきここを通る。今日は仲間との約束が二つともキャンセルとなり、チャンスかもしれないと思い、キヨシローが没した記念に行ってみた。
折からのひどい雨。北九州で雨にあったときを思い出すなあ。傘を差してとぼとぼと約15分で到着した。坂の途中の多摩蘭坂の地名碑のところに、たくさんの花やお供えがしてあった。みんな考えることは同じだね。ぼくがそこにいた間も入れ替わり立ち代りファンとおぼしき人たちが、傘を差してわざわざやってきていた。雨が悲しさを盛り上げてくれる。
実はこの坂のすぐそばにある東京都立府中病院は、ぼくがアルコールで苦しんでいた頃に救急車で運ばれた病院なのだ。縁が深いね。
多摩蘭坂に行ってきて、荻窪に戻る。ミーティングまで少し時間があるのできょうは一人カラオケである。
「Sweet Lovin'」「多摩蘭坂」「エンジェル」「ひどい雨」「わかってもらえるさ」などを歌う。一人ならマイナーどころだって大丈夫だもんね。多摩蘭坂歌っていたら不覚にも涙が…。あうあう言いながら完唱(笑)。もうちょっと時間のあるときにまた行こう。
今使っている携帯電話の端末がAdvanced W-ZERO(es)という、ミニPDAみたいなものなので、けっこういろんなことができる。コンパクトなWindowsが入っているから、ワードやエクセルのファイルも読めるし、メディアプレーヤも起動する。MP3プレイヤーにもなるのである。外部メディアとしてminiSDカード2GBを装着しているのでかなりたくさんの曲が入る。1MBで一分くらいの長さが録音できるから、ざっと2000分、約32時間の音楽だ。でもそんなにバッテリーが持たないか。
CPUが500MHzくらいということだから、職場で使っているパソコンより速いかも。なんたること。メディアなしでもユーザーメモリが256MBくらいあるとのことだ。すごい時代になったものだ。
ビックカメラに行ってヘッドホンの変換アダプタを480円で購入した。ポイントで買えちゃったのでおまけみたいなものだ。キヨシローの最近の「Sweet Lovin'」とか「旅行」とかを入れて聴いてみる。ちょっとボリュームが足りない気もするが、けっこういい感じだ。
実はワンセグオプションをつけてTVも見られるのである。TV生活をしていないのであまり恩恵にあずかっていないが、安い端末であらゆることが可能なのはすごい。パケットが安いと言うことないんだけどね。
仲間10数名と大泉学園駅前のカラオケの鉄人でカラオケ。年二回の定例フェローシップである。メンツが同じなので、だいたい個々人の選曲傾向がわかってきて楽しい。それにしても長丁場だ。11:00〜18:00の七時間! でもメンバーが多いのでたいして順番が回ってこないのである。
こんなタイミングなので、30代、40代はみんなキヨシロー一色か?と思いきや、全然そんなことはなく、いつも通りである。キヨシローの曲を歌ったのは、ぼくとあと30代のメンバー一人だけであった。
城南地区の仲間の集まりによるバーベキュー大会に参加。キヨシローへの悲しみがまだ覚めぬ中、バイクで出かける。キヨシローの住んでいた自宅マンション前を通過。喪服の報道陣が詰め掛けていた。
東北沢から駒場にかけて、20代の頃によく原付でうろついたところだ。下北沢の裏町。駒場にもいろんな思い出が詰まっている。ここで仲間のフェローシップが行なわれるのはなんとも不思議な感じ。
入れ替わり立ち代わりで100数十人という発表のようだった。焼きそばもたっぷり食べてミーティングして終了。
バースデーミーティングを井荻に移して初の日。自分が司会をさせてもらった。みんなに話してもらいたいのだが、やはり半分くらい残ってしまう。しかし、感謝と喜びに満ちた、よいミーティングだった。意欲と正直さと開かれた心があれば回復できるのである。
終了後数人でお茶。話は尽きないが、きょうはここまで。この連休中ノンストップな感じ。予定はすべて与えられている。
深夜ある仲間からのメールで忌野清志郎が亡くなったと一報あり。58歳は早すぎる。合掌。ぼくの青春のページがひとつ終わった。
高校生のときにアルバム「Blue」を聞いてから人生が変化した。トランジスタラジオや雨上がりの夜空にを聞いて、熱狂した。大学生のときのバンド活動もキヨシローのコピーが中心だったのである。ぼくが就職したのは1990年だが、このときに出た「I like you」や翌年以後の「メンフィス」「Go Go 2,3's」と快調だった。ぼくが渋谷でフォークゲリラを展開した四年間も、キヨシローの曲がほとんどだった。
昨日自転車を買って成増から自宅に戻るときも、鼻歌で「サイクリングブルース」をハミングしながら帰っていたというのに、なんということだろう。この自転車はキヨシローの生まれ変わりかもしれない。
どこにいってもこの話題で持ちきりである。キヨシローの音楽はわれわれの記憶に残り続けるだろう。
西友成増店でシティサイクル購入。7980円。また安物だが今度は日本製だ。26インチなので10インチアップである。車輪が大きい。よく進む。ペダルを踏めば踏むほど前に進む(当たり前かw)。小径車はあんまり進まなかったので。
防犯登録の所轄警察が高島平警察である。都内も端の端。どうせなら埼玉まで渡って買えば戸田とか和光になっていたかもしれない。
機能面でいうと、ダイナモライトが明るくて衝撃的。いままで100円ショップの電池ライトを使っていたが、もう電力は車輪が作ってくれる。単純にうれしい。前にかごもある。ずっと忘れていたような気がするが、これが自転車なんだなあ、と実感。
ミーティングのテーマが「しあわせ」。各人各様の話が飛び出す。物質的なものをあまり求めていないという話がたくさん出る。ほんとなのか、みんな。ぼくはうまいものが食えて、きれいなねーちゃんがそばにいると、しあわせだけどね。まあとてもわかりやすい幸福感かもしれない。
人生が変化し始めたのは十数年前からなのだが、やはりあとからあとからいろんなものが、ついてきたのかもしれない。仲間や時間、仕事や達成、みんな大切なものである。
放送大学でも総合科目で「幸福の社会理論」を選択してみた。第四回は儀礼や呪術のあたりの話。生と死が密接にかかわっている。死ぬ人の表情についても最近よく周りで話題になる。納棺夫日記でも「ひかり」の話が出ていた。不可思議光はほんとうにあるんだろうか。
バイクを直し、自転車を捨て、通勤電車も使わないGWに突入。バイクは駐輪場が確保できないと動けないのと、仲間と駅まで歩いて分かち合えないのが難点である。神経使うから疲れているときは危ないしね。雨や風にも弱い。いっそ車にしたら……とも時々思うが、ますます駐車場のこととか経費のことを思うとそんなに気になれない。
野方や高円寺に出るにはバスが早い。ときわ台→高円寺で20分かからない。ただ、夜の本数が少なく30分待ちなんてことがある。日祝日は21:35発で終わっちゃうしね。
小回りがきいて適当にとめられるし、盗難やいたずらに遭っても大して困らない自転車がいちばん気楽かもしれない。手元からなくなって思う今日この頃。