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奇跡の今日一日

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2014-04-01(Tue) [長年日記]

_ 春休み

近所では桜が満開なので散歩する。墨田区と江戸川区の境を旧中川が流れており、土手が散策路になっていて心地よい。白髭神社や立花図書館などがある。河原の休憩所で昼食。日光が降り注ぐとちょうどよい気温で、鳥が周りを飛んでいる。

大学院のガイダンスが3日、そして4日から授業開始である。柏中心の生活になってちょっとパターンが変化しそう。

_ 向島会場

何年かぶりで、近所のミーティングへ行った。知ってる仲間が何人かいてお互い驚く。歩いて帰ってきてまだ20:45。火曜は研究室会なのでここに出られるのは、この春休みのみである。


2014-03-24(Mon) [長年日記]

_ ウィルコム携帯電話機種変更

割賦割引が終了してしばらくすると、ほぼ無料で機種変更ができるウィルコムのシステム。折り畳めるHoneyBeeBox(青)を約三年間使った。色合い鮮やかなパステル系(原色)で、子どもたちが持っている携帯っぽかったのだが、今度はぐっとシックな黒のLIBERIOにした。機能はほとんど変わらない。しかし防水があるし緊急防災警報も鳴るし、日英バイリンガルモードもあったりしてちょっとうれしい。機種を変えるたびに、素材が頑丈で軽くなっていて、バッテリーの持ちもよくなっていることに驚かされる。また三年くらいはこれで行こう。


2014-03-20(Thu) [長年日記]

_ 卒業と入学

この2014年の3~4月は自分にとって大きな前進の一歩である。それは悲願だった大学院進学が実現するからである。48歳にして初めての大学院生活。「院生」(修士課程)にはじめてなる。英語の試験が大きな障壁になっており阻まれている感じだったが、二年半にわたってTOEIC,TOEFL_ITPを受け続け、ようやく合格水準に達したのだった。また、学部の授業で大気海洋、地質・地理学などの専門分野の授業を受け続け、レポートや試験に取り組み続けたのは、自分の知識や技術を底上げできたと感じる。二年前の入学時よりも四年進級時、そして一年前よりも現在の学部卒業時のほうが、はるかに多くのことを理解できている。ローマも学問も、一日にして成らず、である。

卒論の修正を二月末に提出した。そして実験の方法など基礎手順のマスターに取り組んでいる。読まなければならない英語の論文もあるので、この春休みの授業なし期間もやることがたくさんある。

公式な卒業アルバムを購入した。24年ぶりである。年齢はちょうど当時の2倍で、周りの学生さんの写真に比べて明らかに老けている自分がいる。でもクラスの皆さんは親のような世代の自分に対してとても親切であった。感謝の限りである。

来週は卒業式があり、ジュニアTAであるキャンパスツアーのフェアレル納会もある。そして新しい所属の研究室で新入生歓迎の自主巡検、そして理学系研究科の新入生ガイダンスもある。新学期の授業をどう組むかをいま指導教員に相談して決めつつある。毎度授業開始前のもっとも楽しいプロセスである。

柏と本郷を行き来する毎日がまた4月から始まる。おととい自転車を柏まで自力で移動したぞ。要するに東京から自転車を漕いで行ったのだ。これで柏キャンパスと東武江戸川台駅を往復できる。

研究室の自分の席も新しくいただいた。桜が咲くころに幸先よく大学院修士生活のスタートである。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

つくし野 おざき [おめでとうございます!! おじさん達の希望の星ですね!!]

和歌山G y [おめでとう(^。^)y-.。o○  新たな人生応援してます!(^^)!]


2014-03-12(Wed) [長年日記]

_ 再三の帰省

ふたたび北九州へ。マイレージを使い切って往復。父の意識は戻らないままだが、脳にたまった血塊を抜く手術と気管切開は成功したようだった。話しかけるとまぶたが少し動く。ちらと目が開くときもあるがまたすぐに閉じる。気管を切開しているので声も出ないわけだが、意識のあるなしも確認できない。

元気なうちに親孝行しておけばよかったと後悔している。もっとできたのにと思うが、時計の針は戻らない。かといって実家やその周辺に帰って、新しい生活をできるか(できたか)というと、できもしない。小倉で研究生活はおそらくできないと思う。現実は厳しい。

息が荒かった状態からは抜け出して、肺炎も治癒して熱が下がったようである。倒れてから一ヶ月経った父の意識は、いったいどの方向に向かうのか。

病院から実家に戻ると、まだどうにか歩ける程度の母がいる。母にもできるだけのことをしておきたい。

いったん東京に戻って研究に戻ったが、また小倉に行かなくてはと思う。


2014-03-03(Mon) [長年日記]

_ お役所まわり

大学院の入学料\282,000と授業料\535,800(年額)の免除申請のためにいろんな証明書を発行してもらいに、あちこちのお役所を走り回っている。一般的な学生たちなら親の年収で一律に決まるようなのだが、自分の場合は当然のことながら親とは独立家計になって久しい。そうなると、自分の収入や妻の収入、そして親とは扶養関係が切れていることを示す公的な書類がいる。確定申告は現住所地にしたが、昨年まで住んでいたところに住民税の証明を取りに行かねばならないし、父が倒れたのでその代理で父の関係の書類が必要なのだが、意識がない人から委任状は取れないので、戸籍で実子であることを証明せねばならず、本籍地の役所に行かなくてはならず、最近では郵送請求でも本人確認が必要だったりする。個人のプライバシー保護のためのセキュリティが二重、三重の足かせになっていて、思うように証明書の発行ができないのは本末転倒な感じである。自分の戸籍謄本を取りに来ているのに利用目的をしつこく聞かれ、めんどくさくなってきて、あーそれは××市に取れと言われたので言われたとおりにしているだけです…なんてぶっきらぼうに語気を強めて答えたら、ますます怪訝な顔をされてしまった。いまどきは妻の所得証明ですら委任状がいるなんて言われ、え?委任状?なんでですか?と問い質してしまった。住所地でないので今確認ができないですからと答えたので(それって別れたかもしれないという意味?)、エネルギーもったいないのでもうあまり突っ込まなかったけど、行政サービスの根本が「まずは疑ってかかれ」になっているように思えて、少し悲しい気分です。とにかく減免を実現したいというそれだけ。


2014-02-28(Fri) [長年日記]

_ 修正版の提出完了

一か月間の卒業論文修正期間が設けられていたので、発表会以降コメントを反映して、さらに追加実験も行い、露頭で集めたサンプルから火山灰テフラの確認をして、図版などを掲載した。厳しく指摘された点も直し、結局作業した都市計画図の塗り分けたものも紙の状態で添付した。本文と付図でだいたい70ページくらいである。これでひと段落。しかし学業は続く。

きょうちょうど大学院の入学手続き書類が到着していた。前回の研究生入学や学士入学のときにもそうだったのだが、手続き期間にたまたま小倉に行かなければならない用があって、タイトなスケジュールで行き来しなくてはならない。今回もちょうど父の転院予定日なのである。意識が戻らないまま入院生活が続いているが、父の病状に合わせてそちらでも必要な手続きをしなくてはならない。


2014-02-18(Tue) [長年日記]

_ 実父倒れる

先週2/11(火)に81歳の父が脳溢血で倒れ、深夜連絡があった。翌日午前北九州総合病院に急行したが、ICUの中。三年前の母の心筋梗塞のときに状況が似ている。危篤状態であったが、早い医療処置で生命の危機は脱して、その後酸素マスクもはずされ、一般の病床(SCU)に移されている。

いまだ意識は回復していない。予断を許さぬ状況だが、植物状態の父の病床に永久に張り付いているわけにもいかない。もしものときのための準備は整えていたが、同居の姉夫婦に後のことをお願いしてこの日曜(2/16)に帰京してきた。

今後どうなるかはやはり神様の決めること。母のときは生還してその後めでたく喜寿を迎えられたが、父に対してもまずは意識の回復を祈り、あとはできることをして祈るのみである。


2014-01-25(Sat) [長年日記]

_ 提出!

卒業論文と要旨を提出した。若干の残余感がある。いったん書き終えてからのリテイク(修正)がエネルギーを消費した。これまでの人生で自分の文章にここまでダメ出しされたことはなかったくらいの勢いだった。すべて正面から受け止めて臨んだ。そしてこれで終わりではなく、来週金曜日は発表会であり、プレゼン資料も作らなくてはならない。さらに定期試験も月曜・水曜に入っている。他の科目のレポート締切が二点ほど。休む間はなく一月が終わっていくだろう。二月は二月で集中講義と実習が二本ある。論文修正期間もたっぷりある。ほんとうに休みがやってくるのは三月くらいか。


2014-01-18(Sat) [長年日記]

_ 卒論あと六日

実験結果はすべて出て、考察も終了。卒論本文はだいたい書いた。だいたい3万字くらい。日本語版要旨も完了。

英語版の要旨を作って、できたらDTP組版で図版を入れて、都市計画図の整理まで行ければ出口である。なんとかなりそうだろうか。


2014-01-14(Tue) [長年日記]

_ 研究室セミナー

卒論の発表練習をみんなに聞いてもらう。パワポがプロジェクターに映らなくてまごまごしていたら、ラックの主電源が入っていなかった。

時間は15分発表の5分質問、計20分。実際は18分で発表できた。たくさんコメントをいただいた。論文提出は24日。本番の発表は小柴ホールで31日。いよいよ迫ってくる。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

和歌山G y [ 遠くから応援してます。 y]


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